コロナ禍の中学校の、

主に保健室での学校風景である。

 

別に舞台をコロナ禍にしなくても

思ったけれど、

あの、人間関係がなーんだか

あやふや、というか

マスク一つ隔てた、

それでも足りなくて

距離をとっていた、

そして目に見えない未知の脅威に

冒されるかも知れないと恐怖していた

あの頃が

こんな内容のお芝居に合うと

作者は考えたんだろう。

 

ヤングケアラーの凛、

親に進学先を強制されている天音、

周囲からのプレッシャーに苛まれる

棒高跳び選手の青木

望まない妊娠をして悩む養護教諭、

 

それぞれが「常識」や「正しさ」

や「完璧を目指すこと」に

押しつぶされそうになりながらも

勇気を出して

ささやかな一歩を踏み出す。

自分で考え、自分で決めた一歩だ。

 

常識なんて時間が経てばコロコロ変わっていくし、

正しさはその人がそれまで

生きてきて培った正しさ

であって、他人に簡単にあてはめて

いいモノじゃないし、

完璧にたどり着く間に

一体いくつ機会損失してしまう

だろう。

そもそもそれってたどりつけるのか?

 

ヤングケアラーを「美談」として

広めようと

言い出す校長の鈍感さと

想像力のなさと時代錯誤は、

世間そのものじゃないか。

犠牲になった者たちのその後を

思いやる気持ちも、

考える気持ちも持たない。

 

このお芝居の中で

悩んだ人たち、

小さくても一歩一歩、

周囲の圧力に負けずに生きて行って

欲しい、と思った。

 

窓の外は、風がそよいで花も咲いている。自分のアタマで考えて生きたらきっと捨てたもんじゃない世界だ。換気はコロナ禍でも有効な予防法でしたね。窓を開けましょう!窓を!

 

スモークの使い方が旨かったな、

と思った。

コロナ禍の得体の知れないものに

取り込まれているようなモヤモヤ感、

常識や正しさが押し付けてくる

モノへのモヤモヤ感、

或る時は、プレッシャーに負けて

だんだん自分をなくしていく

青木をさえ表現していた。

保健室のセットも、いろいろな

舞台となって新鮮だった。

 

また、JCを演じた二人も

身のこなし方が、JCそのものだった。

一体どうやって?

というくらい中学生だった。

 

さなぎの中で液体になって

リセットしちゃいたいような

世の中は、なんとかしなきゃ、

ですよね。

 

この、上に吊るしてある布は今回の舞台でも吊るされていた。何の象徴だったんだろう。それは見え方や、色が照明によって変わった。悩める幼虫たちのゆりかごだろうか。後ろの、滑り台みたいなのを回転させると保健室になる。

 

 

或る嫌な物語

 

このお芝居を観ていて、

或る

半世紀前に聞いた

嫌な物語を思い出した。

 

「お前は飯炊きだ」と

父親に言われたある娘。

母親が死んだのだ。

娘の姉たちは嫁ぎ、

下の娘は未だ小学校に

上がったばかり。

煮炊きのできる、目端の利く

しっかりものの娘は

「家族のために」

家の中を切り盛りした。兄弟は多く、

みんな、娘の作った食事を食べ、

娘の掃除した家のなかでくつろぎ、

娘の繕った靴下やシャツを着て

外へ出て行った。

上の学校へは

通わせてはもらえなかった。

結婚し、周囲の期待通り、

一男一女をもうけた。

夫が大病した。

自分が働かなくては

ならなくなった時、

「中卒」でしかないことで

彼女は辛酸ともいえる目にあわされる。

体を壊しながらいくつかの

業種を言っただけで気の毒そうな

顔をされる仕事を転々としたあと、

大事な長男がぐれた。

学校のせんせいはじめ世間の人は

 

「母親が家にいないからだ」

 

と彼女を責めた。

 

「夫が働けなくて私まで

家にいたら食べていけません

どうしたらいいっていうの!?」

 

世間から帰ってきた言葉は

 

「娘を学校辞めさせて

働かせればいいだろ」

 

辞めさせて、自分と同じ学歴しか

持たない我が子がどんな目に

あわされるっていうの-

 

その後夫の回復もあり、彼女の

娘は

学校を辞めずにすんだけれど。

 

世間ってそんなもん

世間の常識から外れたら

どんだけでも残酷に

無責任になれるのだ。

 

という言葉が、彼女の娘の胸に

深く刻まれた。

 

ああ本当に

 

冷たい水の中を

ふるえながらのぼってゆけ、

 

である。(中島みゆき「ファイト!}