鍛冶俊樹の軍事ジャーナル

(2024年8月15日号)

*台湾と朝鮮半島の地政学4

 従来、この時代は「地理上の発見の時代」と呼ばれていた。だが、アメリカ大陸には既に住民がいたわけだから、住民にして見ればとっくにこの地域を発見して住み着いていたわけで、「発見」と言う表現は不適切と言う事になる。

 そこで日本ではこの時代を「大航海時代」と呼ぶようになった。一見、公平な呼び名の様に思えるが、実はこれでは、この時代のダイナミズムをとらえることが出来ないのである。

 「地理上の発見」という言葉は、この後の「天文学上の発見」そして「物理学上の発見」の先駆けをなしているという意味合いを含んでいる。つまり近代とは科学的発見の時代なのであり、その科学的発見はまず地理的な発見に始まり、コペルニクスやケプラーなどの天文学上の発見に引き継がれ、そしてガリレオやニュートンなどの物理学上の発見に引き継がれたのである。

 

 コロンブスは科学者のトスカネリから地球説を聞いたのだが、地球説は古代ギリシアの文献に記されていた。従って16世紀のヨーロッパで地球説を知っていたのは、古代ギリシア語を読める極一部のインテリに過ぎなかった。

 もちろん、古代ギリシア人も地球を一周した訳ではなかったから、地球説はあくまで仮説に過ぎず、本当の所は誰にも分からなかった。

 科学は、誰かが仮説を唱え、それが実証されることで真理と認められる。これは、今日、科学の方法として常識だが、実は近代以前では、常識ではなかった。

 

 近代以前の学問は、古典を読んで、それを解釈することだった。ヨーロッパでは古代ギリシアの大哲学者アリストテレスの学説が絶対視され、これを解釈することが当時の学者の最重要課題だった。

 アリストテレスは地球説を採用していたから、トスカネリも地球説を信奉していたに過ぎない。トスカネリから地球説を聞いたコロンブスは、自ら地球儀を作成し、インド航路を開拓しようとした。

 コロンブスの率いた艦隊は、大西洋を西に進み未知の海域に至ると船員たちは不安を感じ、反乱が起こりかけた。地球などと言っても誰も見たわけではない。ヨーロッパから見れば東にあるインドに西に進んで到達するなどという仮説に命を懸けるというのは、並みの神経では出来ない事なのだ。

 

 軍事ジャーナリスト鍛冶俊樹(かじとしき)

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