鍛冶俊樹の軍事ジャーナル

(2024年8月10日号)

*台湾と朝鮮半島の地政学3

 そもそもスペインは如何にして中南米とフィリピンを支配するに至ったのか?これは、コロンブスに話が遡(さかのぼ)る。

 1492年、コロンブスがアメリカ大陸を発見したのか?単に漂着しただけなのか?という議論は、別段、真新しいものではない。実はコロンブスの在世中から議論はあった。しかも興味深いことに、コロンブス自身が新大陸を発見したとは思っていなかった。

 コロンブスはインドに到着したと思っていたのだ。だからコロンブスはそこの住民をスペイン語でインド人を意味する「インディオ」と呼んだのである。英語では「インディアン」 アメリカ大陸の住民がインド人と呼ばれる奇妙な習慣は20世紀末まで続いた。

 ただし当時のヨーロッパ人にとってインドのイメージは曖昧なもので現在のアジアのような感じだった。

 

 13世紀、チンギス・ハーンの興したモンゴル帝国がアジアからヨーロッパに至る交通を可能にした。イタリア人のマルコ・ポーロはユーラシア大陸を横断し、アジア各地を旅行してイタリアに戻って東方見聞録を著した。日本を含むアジアの情報がこれによりヨーロッパにもたらされたのである。

 その後、モンゴル帝国が崩壊し1453年オスマントルコ帝国が東ローマ帝国を滅ぼすと、ヨーロッパとアジアの陸上交通は困難になり、ヨーロッパ人はアジアへの海上交通路を模索する事となった。

 

 コロンブスは科学者トスカネリから「大地は球状をなしている」という地球説を聞き、それならば大西洋を西に進めばアジアに行ける筈だと考えたのである。

 そこでスペインのイザベル女王を説得して資金を拠出させ、3隻の帆船で大西洋を西に進んで2か月余りの航海の後に島々に到着した。コロンブスはそこがインドの西の島々だと考えたのである。

 

 だが、その後、この地域を探検したイタリアの地理学者アメリゴ・ヴェスプッチは、ここはインドではなく、従来知られていたヨーロッパ大陸でもアジア大陸でもアフリカ大陸でもない新大陸であると主張した。

 1522年、マゼラン提督率いるスペインの艦隊は大西洋を西に進み南米大陸の最南端を迂回して太平洋に出てインド洋を通りアフリカの最南端を迂回してスペインに戻った。

 つまり初めて地球を一周したわけで、大地が球状をなしているという地球説は実証され、またアメリゴ・ヴェスプッチが主張した新大陸説も実証されたのである。

 アメリカという呼称は、彼の名アメリゴに由来する。つまり当初、新大陸の発見者はコロンブスではなくアメリゴ・ヴェスプッチだとヨーロッパでは考えられたのである。

(続く)

 

 軍事ジャーナリスト鍛冶俊樹(かじとしき)

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