米国のテレビドラマ「刑事コロンボ」の主役を務めたピーター・フォークが死去した。私はこの芸能人に興味がある訳でもなく、また83歳の死は平均寿命と言ってよく特に取り立てて言及する必要もないように思われよう。にもかかわらず、ある種の感慨を抱かざる得ない。それは、このドラマが日本のテレビで盛んに放映されていた1970年代半ばの世相と現在の世相が酷似しているからに他ならない。

70年代半ば、日本の高度経済成長が終わりを告げ、不況に傾き始めたときに石油ショックが世界経済を直撃し、日本と世界が劇的な不況に陥った。しかも当時日本国内の反原発運動は現在以上に盛んであり、エネルギー政策に何らの展望も見出せなかった。更に魚介類から汚染物質PCBが検出されたとかで大騒ぎとなり、食の安全も脅かされていたのも今と同様であった。

もっと似ているのは米軍がベトナム戦争に敗退し、自由主義の南ベトナムが共産主義の北ベトナムに武力併合された事である。今米軍がアフガニスタンから撤退を開始したのを見て不吉な予感に囚われるのは私だけであろうか。

テレビも今と同様くだらない番組ばかりの中で、この米国製の推理ドラマだけが異彩を放っていた。斬新な推理ドラマの手法もさることながら、米国のセレブや上流社会の生活を見せてくれるこのドラマは日本国民に新たな目標を与えたのだ。つまり高度成長でカラーテレビやクーラーや自家用車を手に入れ一段落していた日本国民に別荘やリムジン、高級ワインといった新たな欲望の対象を示したのである。

現在の暗い世相にあって私は危機感を覚えつつもそれほど絶望していないのは、このときの経験があるからだ。70年代の暗さは80年代に一気に明るさへと変わった。米国でレーガン政権が成立し、軍拡路線を採り日欧と協力してソ連を崩壊させバブルの絶頂へと日本は駈け登って行ったのだ。

もちろん70年代と現在にも違いはあり、歴史が全く同じ繰返しをする筈もない。今の民主党政権は70年代の自民党政権に比べて、はるかに有害だし米国に第2のレーガンが現れる気配もない。しかしもっと重要な事は、日本国民の新たな欲望を掻き立てくれるようなドラマをもはや外国からの輸入に頼れそうにない点だ。刑事コロンボはもはや過去の遺物であり、今これを見なおしてもバブルの虚しさを感ずるだけだ。だからといってハリーポッターに新たな欲望を見出す訳にはいかないのだ。欲望を希望とか理想という言葉に安易に置き換えることを私は好まない。欲望に基づかない希望や理想は意志を伴わず必ず絵に描いた餅に終わる。

刑事コロンボの終焉に感慨を抱かざる得ない所以である。