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こちらのブログは、アニメや漫画の二次制作、および歴史小説から登場人物を想像し、イラストに起こした画像を載せています。そういったテーマについて書き、語り合う場としてブログを開設しています。
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こんばんは!今回もイラスト記事ですが、その前に読者の方へお返事を追記致します。
>ヘタリア関係の記事のイラストがPCでは見られなかったです。
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もし、それでも表示されない場合、またご連絡ください。
蜥蜴堂のイラスト保存形式がjpegなので、GIFや手描きブログなんかの保存形式に比べて、イラストの劣化が早いのかもしれません。
あと、Windouws7で閲覧してたら、左サイドバーに入れたpixivのプラグインのイラストが、再び非表示になりました。
とにかく、解決策を見つけねば……。
長々と書きましたが、下から本題のイラストです。
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2010年06月07日 00:27|480×546|鉛筆
司馬遼太郎『韃靼疾風録』上・下(中公文庫、1991)より。鎖国前の日本は九州・平戸に流れ着いた満州貴族(マンジュ・ベイレ)の姫君アイシン・アビアは、平戸武士の桂庄助と故郷を目指す― 17世紀初頭の東アジアに投げ込まれた2人に絡んで、満州族勃興に動揺する明と朝鮮王朝、政権を固めてゆく江戸幕府という激動の時代を描いています!! ■アビアの服装は、オーギュスト・ラシネ『続 民族衣装』(マール社、2009)の満州族内親王の室内着を参考に。■ちなみに、アイシン・アビアは満州族の言葉で「黄金の響き」という意味です。萌え要素ありすぎの「俺得!」な一枚(^q^) ■ □ 評価嬉しいです!!謝謝~!!

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中国モノを漫画で描きたいと思った原因が、この『韃靼疾風録』でした↓
●司馬遼太郎『韃靼疾風録』上・下(中公文庫、1991)


16、17世紀ごろの世界って、西ヨーロッパも東アジアも中東も、とにかく船を駆って海の向こうへ行ってみよう!という時代だったと思います。
そんな中で鎖国へ向かっていった東アジアを中心に、当時の人々の対異文化意識、「政権同士」(江戸幕府と朝鮮王朝など)の「仲直り」の方法など触れてみたいです。
ちょうど、桂庄助が中国大陸を目指した時、朝鮮王朝は光海君が王様でした。江戸幕府成立後、徳川家康は朝鮮王朝と国交を回復し、朝鮮通信使を送ってもらうようになりますが、この決断を下したのが光海君です。日本史にも世界史にも名前は出てこないけど、私としては朝鮮王朝の歴史上、けっこう重要な外交政策を展開した王だと評価しています。
※『王の女』や「キム尚宮」など、韓国の時代劇ドラマを見ると、光海君の置かれていた厳しい政治的立場が分かります。宮中が敵だらけで、政敵になった兄と弟を排除しました。これが汚点となり、最後は流刑地で亡くなりました。死後は王として都の廟に祀られなかったという運命に。
(最近は、光海君の再評価が始まっているそうですが、詳しいことは調べないと…。)
世界史の教科書では、朝鮮通信使の最初の目的は、「秀吉の朝鮮侵略で日本に連れ去られた朝鮮人捕虜を朝鮮半島に連れて帰ること」だと説明されることが多いですね。江戸幕府が開かれて間もないころ、朝鮮半島の人々が「倭人」に複雑な感情を抱いていた様子が『韃靼疾風録』の上巻に散りばめられています。
2010年代を生きる私としては、『韃靼疾風録』の時代を振り返ることで、「特定の価値観が拡大してゆくグローバル化」の現在を生き抜く方法を模索できないかと考えています。
偉そうなことを書きましたが、詰まるところ、漫画にすることで「当時の人たちだって、国が滅ぶくら
いの状況で必死に生きてたんだから、自分も踏ん張ろう!」と励まされたかっただけなんですねぇ…。
面白い時代なので、ちびちび、文庫を読みつつ、作画できたらと思っています。
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