わたしたちは毎日忙しくて、
嫌だな、なんだよ、おかしいよね、ひどくない?
不安だな、困ったな、悲しいな、ひどいことしちゃったな、
というようなことをなんとなくやり過ごしてしまって、
その積み残しがなんなのかもよくわからなくてモヤモヤしながら暮らしていたりします。
どこから手を付けていいかわからないのは、
もしかすると、
一気に全部、
今すぐに、
全てを思い通りに、
変えたいと思ってるからかもしれません。
なんか自分、結構無理なことを願ってるんだなぁ・・・。
仲間と話しながら、ちょっとずつ。
それに気がついていくことで、今できること・したいことが見えてくることがあります。
見つかるのが“わたしにできること”だけじゃなくて、
“わたしがしたいこと”でもあるっていうのがいいですよね。
無理なことって、わたしができることでもしたいことでもなかったのかも。
アドラー心理学を一緒に学びませんか?
よくアドラー心理学では、
「具合が悪いから○○ができない」のではなくて、
「○○をすることから逃れるために具合が悪いという症状をつかっている」
という解釈をします。
まぁ、、、
アドラー心理学を学ぶ上でそう理解はしてるけど、
その解釈を具合が悪い人にぶつけるのって何の意味があるんだろうって思う。
具合悪いって、しんどいよね。
痛かったり苦しかったり、からだも心も。
わたし自身もそう強い方じゃないからかもしれないけど、
具合悪いのに「その症状を使って逃れたいことがある」なんて言われたらがっかりしちゃうな。
アドラー心理学の残酷さとか、世の中の冷たさとか、自分の不甲斐なさに。
アドラー心理学は触れる人を甘やかしはしないけど、
叩きのめすものではないから。
学び伝える者として忘れてはならないことだと思っています。
青すぎる空。
みなさんが安心して健やかな毎日を送れますように。