一昨日は11月のつくばフォロー会でした。

人数が少なかったのでエピソードを使って一対一でのカウンセリング練習をすることにして、

久し振りにわたしのエピソードも聴いていただけることに。

話を聴いてもらってわかったことは、

わたしは有機物無機物問わず気を通わせて暮らすのを大事にしている

ということです。

娘が身の回りの物(エピソードでは洗濯物)を片付けないのは邪魔だからとか汚れる・失くすからとかじゃなく、

洋服さんが可哀そうだから、失礼だから

なんです。

うわー、独特。笑

とわかったところで、

残念ながらカウンセリングは時間切れとなってしまいました。



“モノたちと気を通わせて暮らす”

ふーん。

話を聴いてもらうまでは、

洗濯ものを片付けない娘をやだなぁと思っていたのがそんなことを望んでいたからだとは知りませんでした。



そうしていて昨日、ふと浮かんできた問いがありました。




じゃあ世界中の人たちみんながそうなることを望んでるの?

それって実現可能?



いやいや・・・笑

この独特な世界は少数派でしょうね。

世の中は多様であることが望ましく、

もっとダイナミックなエネルギーを持った人たちの躍動も必要だし、

いろんな世界観を持った人たちがいる中で、

わたしたち少数派も静かに暮らす場所がある

くらいの方が、

豊かで自由で安心な世界です。



浮かんできた問いによって、

ふっと力が抜けました。



それによく考えたら、

こんな少数派(変わり者ともいう笑)のわたしもこうして穏やかに暮らせる居場所があるんだから、

ありがたいことだよなぁ。



子育て・躾は15歳までと言うけれど、

娘もその年に近づいて、いよいよ

本当に必要なことを教える時期は終わって、

お互いが違ったまま認め合う時期の色合いが濃くなってきているのを感じます。



片付けてもらえない洗濯物は、

わたしが「お洋服たちが置かれて可哀そうじゃない場所」に置いてあとは娘に任せることにして、

それよりもっと、

彼女が大切にしている世界や、

彼女が既に能力を発揮できている役割を見ていくことにします。



アドラー心理学を茨城で学ぶなら

 

 




会の後、寄り道しました。

大好きな公園のそばにあるカフェ。
 




 

美味しいものをいただけるのも幸せだけど、

そのときに、あーあの人にも食べてほしいな、今度一緒に来たいな。と思えることが、

ほんとうの幸せな気がします。



みなさんと、みなさんの大好きな人が幸せでありますように。