「戦後日本の出発」 元宮内次官の証言③ (宮中祭祀) | 魁!神社旅日記

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問: 戦後、宮中にとって最も大きな事件は占領下における皇室令の改正ではなかったかと思います。旧皇室令は実に多くのことを規定してあり、それは日本の国家の伝統に深く根ざしたものでございました。また、これらの規定により、日本の宮中の伝統が守り伝えられてきた根拠とも申せましょう。ところが新皇室令はそうした細かな規定が多く消えてしまっており、今日では例えば祭儀の形式が変更されたりといった事態が生じるに至っている訳です。このことは占領が残した最大の問題点ではないかと思います。何故、かかる重大な問題を含む皇室令の改正がなされたのか、そのいきさつについてうかがいたいと思います。

 

加藤: 旧皇室令は仰る通り、じつに多くの規定があり、またそれによって伝統の線が守られてきておりました。更にその重要性からしても、この皇室令は憲法の拘束を受けない、すなわち政治から超然とした存在でもありました。これは政治的な干渉から皇室を守るための形態であったと申せます。当時は皇室祭祀については無論、皇室令の中で扱っておりました。

日本の法律には二つの柱がありました。一つは憲法があって、その下に法律があるのですが、一方には皇室令があって、皇室だけは法律的に全然政府の法律や勅令に拘束されない区域があった。皇室祭祀令もそこにあったのです。

実はなぜか、進駐軍は少しも皇室祭祀に触れなかった。神道指令があるため、世間では混同していますが、先に述べたように、皇室令は全然政府の法律や勅令に拘束されないから、皇室令は神道指令の影響は受けなかったのです。この点は世間の人々もお気づきになっていないのではないでしょうか。

 ところが、占領軍の意思が反映した新憲法では皇室令といえども憲法から切り離された別法は認められませんでした。憲法改正にともない、憲法から超然とした存在として皇室令が認められない。これは重大なことでした。もし、このままの形で新皇室令が規定されるならば、規定の文は同一でも内容的には政府、時の為政者の意思によって様々な干渉を受けるところとなってしまうでしょう。そこで私たち宮内官はどうしても皇室の伝統を守るためには、規定を大幅に削除してでも、皇室の伝統へ政治が介入できないようにする必要があると考えたのです。

 皇室典範を例にしても、三種の神器の規定、天皇の監督権(注1)、太傅(たいふ)(注2)の規定が削除されていますが、これらも、そうした考えによるものでした。

 三種の神器については、これを国務で行うということになると、三種の神器では何かと占領軍とトラブルを生じかねないことから、内閣法制局あたりから占領軍に通りやすいようにとの意見でしたので書き改めたのでした。改めるにあたっては法制局の誰かの知恵で「由緒ある」という表現でこれを規定しました。ですから、皇室経済法第7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」は、三種の神器を当然に含んでいる訳です。それから大嘗祭のことについても、もし内閣の助言と承認が必要ということになってしまうならばとんでもないことになってしまいます。例えば何故京都で行わねばならないのか、皇居が自然ではないかといった具合で勝手に政府の力で変えられる危険がある訳なのです。

 

問: しかし、それでは官僚はどうやって規定のない大嘗祭を守っていくのでしょうか

 

加藤: そのことについては宮内省の内規として昭和22年、依命通牒(注3)がだされ、特に変更の要のないものについては従前の例にならうという原則があったのです。ですから皇室の諸行事についても、ほとんど変更はなかったはずです。私共にしてみれば皇室が続く限り天皇がおわす限り、厳として、自分が為すべきことを為すのだという考えがございました。この点がしっかりしておりましたから、動揺が起こることもございませんでした。

 しかし、今日こうしたいきさつを知らない新しい世代の宮内官が出てくるに従って様々な問題を生じ始めていると思います。規定がない以上、むしろ問題は宮内官がどこまで天皇の祭祀に御奉仕申し上げるかということではないでしょうか。例えば毎朝の御代拝を、今までは装束を着け殿上で行っていたのをやめてしまって、モーニング・コートで、しかも我々普通人が拝礼するような場から行うなど、形をだいなしにしてしまう。私が恐ろしいのは役人の姿勢の変化です。今の憲法を非常に厳格に解釈することに知恵を出すことがすべてよいことだと思い、当時の解釈について無視している者たちがいるのですから、困ったものです。

 

問: 大変重要な課題ですね

 

加藤: しかも、そうした思想的にしっかりとしていない人々が側近の中にも多くおりましたなら、皇太子殿下や妃殿下もお若い場合には、いろいろと影響をお受けになってくる可能性がございます。皇祖皇宗の御神霊、特に明治天皇に対する崇拝、礼拝を忘れることのないように、これは特に希望するところです。

 

問: 大変長い間、終戦、占領下における国体の護持についてうかがってまいった訳ですが、最後に、今日の宮中に残された課題とは何かをうかがいたく思います。

 

加藤: それは様々でございますが、なかでも、私の手の及ばないことでございますが、、天皇陛下の祭祀をなさる大御心が何とか伝わってほしいと思います。陛下には日々の祭祀を大切に思召しておられますが、これが陛下の思召しのとおりに行われてほしいものだと思いますし、更にこの形が東宮職の方にも伝わってほしいものだと希望しております。

 

問: 本日はありがとうございました。

 

 

注1、旧皇室典範第25条に「皇族は天皇之を監督す」とあり、伊藤博文「皇室典範義解」によれば、天皇が皇族を監督するは家人が家父におけるが如し、と説明している。

 

注2、天皇が未だ御成年に達せざる間、その御保育御教導、即ち幼帝の御教育にあたり輔導し奉る重大なる地位。その人選は最も慎重な御詮衝を要することから、旧皇室典範では先帝の御遺命をもって任ずる旨を明示せられている。(旧皇室典範第26条~29条)

 

注3、昭和22年5月2日、皇室典範、皇室令の失効、廃止を直前にして宮内府では今後のことについて五ヶ条の依命通牒を発した。

それには次のような条項がある

一、新法令ができているものは、当然それぞれの条規によること

三、従前の規定が廃止となり新しい規定ができていないものは従前の例に準じて事務を処理すること

皇室の祭祀をはじめ多くの皇室令は、法的に廃止となったが、この第三項によって、皇室の祭祀その他の重大事は成文法規としてではなく「従前の例」として、ほぼ欽定の皇室令のままの御制が生きていた。

 

以上全出典:「祖国と青年」第71号・昭和59年 特集・敗戦・占領下の皇室と国民 戦後日本の出発 -元宮内次官の証言 より