巷のマスコミがさかんに煽る「女性天皇」、「愛子天皇」であるが、
これは天皇陛下も敬宮愛子内親王殿下ご自身も望まれておられないことです。
確認してみましょう。
天皇陛下は先の2月23日のお誕生日会見において敬宮様の将来について
「自分のやりたいことを見つけ、成年皇族としての公務とのバランスを見出しながら
将来への希望を描いていってもらえれば、と思っております」
https://www.sankei.com/life/news/200223/lif2002230013-n4.html
と、敬宮様の希望される人生を歩んで欲しいとの望みを語られておられます。
そこには巷の人々が煽る「女性天皇」や「愛子天皇」は眼中にありません。
なぜなら、國と民族の重責を担う「天皇」という存在には希望してなるようなもの
ではないからです。
そのことを誰よりもご存知の今上天皇陛下ご自身が敬宮様が「希望する将来」
を望まれおられるのですからこれは決して「女性天皇」や「愛子天皇」のことでは
ないのです。
「天皇」とは左翼女系派や女性週刊誌読者の人たちが思っているような気楽な
ただのロイヤルセレブではないのです。
次に敬宮様ご自身のお気持ちですが、
敬宮様は当初、高校卒業の後は雅子皇后様のように国際外交指向の
学習院大学「国際社会科学部」に進学する、してもらいたいというのが
左翼ジャーナリスト達の希望と目論みでした。
「愛子さまは、皇后となられてからの雅子さまの目覚ましいご活躍を間近でご覧になって、
その姿に憧れ、皇室外交への意欲を抱かれているのかもしれません」(「女性自身」)
https://jisin.jp/domestic/1768981/
しかし、実際には敬宮様は「文学部日本語文学科」に進まれました。
https://bunshun.jp/articles/-/36265
この記事(朝霞保人氏)の「宮内庁関係者」は
「愛子さまはご結婚をされれば皇室を離れられる女性皇族ではありますが、
天皇家の長子として、天皇陛下のなさりようを見習い、
同じ学習院大学文学部を選ばれたということではないでしょうか」
と語っていますが、ぜんぜん違います。
2020年1月21号の「女性自身」の記事では
「「12月末に愛子さまが『文学部日本語日本文学科』に内定されたと聞き、とても意外に思いました。
文学部の史学科は候補の一つとして報じられることがありましたが、
これまで一度たりとも日本語日本文学科の名前が挙がることはなかったからです」
そう語る学習院関係者は、驚きを隠さない。」
https://jisin.jp/domestic/1818217/
と、その予想が覆されたことの驚きを「学習院関係者」をもって語らせている。
が、
次の記事で
「両陛下は愛子さまにも皇族として国際親善の担い手になることを期待されています。
“お母さまと同じ道を歩む”という意味でも国際社会科学部という志望先は、
3人で検討されたうえでの結論なのではないかと考えていました」(皇室ジャーナリスト)
と言っている。
この論から言えば、つまり敬宮様は「雅子さまと同じ道を歩む」ことを拒否されたということに
なります。
この記事では敬宮様が初等科卒業直前に「御堂関白日記」についてのレポートを書かれた
ことに触れてはいるが、
2月24日の女性自身のサイトの記事(https://jisin.jp/domestic/1834450/)
には
タイトルに「天皇陛下と同じ道を選ばれた理由」としたり、
「天皇陛下と同じ学習院大学文学部への進学」と意図的に前回の「雅子様と同じ道」から
素知らぬ顔で今度は「天皇陛下と同じ道」に方針転換するという姑息な真似をしている。
女性週刊誌だからこのような姑息な真似が許されるのだろうか?女だから?
が、そもそも天皇陛下の通われた「史学科」と敬宮様の通われる「日本語文学科」では
その学ぶ内容がぜんぜん違うことは大学を出ている人間ならすぐにわかるはずだ。
先日、4月5日に放送された「皇室日記」では
敬宮様は高等科の卒業リポートで「源氏物語」「枕草紙」「更科日記」での猫や犬と人との
関りについて考察されたとの報道がありました。
これらの日本の古典文学が挙げられているということは敬宮様に
女性天皇、愛子天皇になる気などないことは、日本の古典文学を知る伝統的な日本人なら
すぐにわかることです。
わからないのは日本の歴史も伝統も古典もろくに知らない左翼ジャーナリスト達だけです。
左翼女系派ジャーナリスト達が推してきた、「国際」だとか「社会」だとかうわべだけの
ペラペラな世界とは別次元の日本古来の精神に満ちた優雅で雅な世界です。
以上の理由から、天皇陛下、敬宮愛子内親王殿下(愛子さま)ご本人も
「女性天皇」、「愛子天皇」などという虚構は眼中にないことはあきらかです。
左翼ジャーナリズムはご本人方のご意向を無視していつまでも担ぎ上げる
という戦中の軍部のような真似は一刻も早くやめていただきたいものです。