<赤木忠春>
1871年~1949年
黒住教、黒門の双璧、黒住教のパウロとも言われた。
弘化2年(1845年)、30歳の時に宗忠に失明を治癒されて入信。
京都、神楽岡の宗忠神社の創建に尽力。
慶応元年4月16日、宗忠神社が孝明天皇勅願所に決定したその日に波乱万丈の生涯を閉じた。
<御逸話>
一、赤木騒動 行く先々で「備前から生き神様が来た!」と騒動になる
一、柏手一つで大鯛を捕らえる
一、舟に乗っているとき風の向きを変える
一、きつねつきを救う
一、紙のこよりで鉄火鉢を突き刺す
一、亡き宗忠神より返歌をもらう(宗忠神社建立の時)
一、井戸に水を湧かせる
一、死人を立ち去らす
一、国事を占う
一、蛤御門の変にて朝廷からの問いに「御動座御無用!」
<お歌>
儒と仏の夢見て眠る諸人を
ゆすり起せし宗忠の神
神の代の再ひあけて富士の山
見渡す沖に霧霞なし
千早振る神代に優る玉幸ふ
神代と悟る人そかしこき
身は社心は神の分霊
出入りの息は天照す神
あるものは皆吹はらへ大空の
なきこそ元の住家なりけり
(此御神詠を唱へ天照大神と御一體と成りて無念の所より發することは自然天言也)
「それ天地は誠の外他なし、此誠は活物此活物は恐れ乍ら 天照大神なり此神と一體なるか
人なり故に誠一つに止む」
(参考文献:「赤木忠春」河本一信著、「赤木忠春大人歌文集」赤木覺市編)