神道實行教 | 魁!神社旅日記

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<神道實行教>

 

(概略)

(参照資料をひととおり読んでのち、私がまとめたものです)

 

神道實行教は古くからの富士信仰の一つ不二道の道統を受け継ぐ教派神道である。

 

開祖は多くの富士講が祖と仰ぐ長谷川角行尊師。

 

戦国時代ごろに富士で荒行を積まれたお方です。

 

長谷川角行より五世中興の祖が伊藤食行身禄尊師。

 

江戸時代初期から中期の方で、不二道四世・森月行から道統を継承され、富士山中にて

 

入定された方です。

 

そして、不二道統十世柴田咲行尊師は江戸後期の国学者出身で、時代が明治を迎えると

 

不二道を教派神道・實行社として当局より公認の神道宗派とされ、今に至るのである。

 

他の教派神道の歴史が多くは幕末時代であるのと比べると戦国時代までさかのぼる

 

という非常に長い歴史をもった教派神道であると言えます。

 

 

 

(以下、参照資料よりほぼ引用)

 

實行教は天文10年、肥前長崎に生まれた長谷川角行を道祖と仰ぐ。

 

長谷川角行は富士の人穴で、角木の上に爪立ちの行をし、

 

精神の統一をはかると、ついに山霊の感応あり、

 

「富士山は参神(みはしらのみかみ)の分霊(わけみたま)の御在所(みましどころ)また天地

 

開ける国土の柱また天下参り国治まる大行の本なり(あめがしたまいり、くにおさまるたいぎょうのもとなり)」

 

と発覚しました。

 

そして天地和合の御神語を感得し、後世の人に伝えました。

 

「ごうくう たいそく みょうおうそくたい じっぽう こうくうしん」

 

これがお身抜きと呼ばれる御神語です。角行さまは弟子たちに言葉の意味を解説することはせず、

 

理解するには一身をかけた修行を通じて体得せよとお教えになられたそうです。

 

 

その後、食行身禄さま(1671~1732)は徳川の封建時代にあって、人間の平等、男女の平等を

 

唱え封建社会の変革を予言されました。

 

 

小谷禄行三志さま(1765~1841)は従来の富士信仰にあった加持祈祷を排し、不二道を提唱

 

されました。(万物創造の神への感謝、人間愛、勤労、社会奉仕活動への参加)

 

 

柴田咲行尊師(花守さま、1809~1890)は純然たる神道の体系化をし明治11年実行社を創立されました。

 

 

<信條五則>

 

一、参鏡(みかがみ)、天祖参神を主斎神とす

 

二、不二山(ふじさん)は大神の分霊(わけみたま)の御座所(みましどころ)と信ず

 

三、惟神(かんながら)の彝倫(いりん)を章明する

 

四、幽顕(ゆうげん)に貫通して死生を申明する

 

五、実践躬行(じっせんきゅうこう)を専とし虚文の弊を矯正す

 

                                          以上

 

 

 

<神拝御恩礼詞>

 

一、祓詞

 

諸罪穢祓給清給(もろもろのつみけがれはらいたまえきよめたまえ) 三唱

 

一、

 

遠神咲給厳魂幸給(とほつかみえみたまへいづのみたまをさきはへたまへ) 三唱

 

一、賀詞(よごと)  (内容略)

 

一、遥拝詞      (内容略)

 

一、御恩礼詞

 

 

<ご神語>(角行様が授かったお言葉)(お身抜)(天地和合の秘文)

 

『ごうくう たいそく みょうおう そくたい じっぽう こうくうしん』

 

 

 

不二道統第十世柴田咲行尊師による解説(やまと言葉による身貫神言)

 

〇つくいきひくいきの おおほいなるいきは たへなるみはしらなれば

                   いきもみも あめつちやもにみちて こころからはなり

 

 

つく息 ひく息の 大きなる

 

息は妙なる みはしらなれば

 

息も身も あめつちやもにみちて 心からはなり(心身分離)

 

 

『 呼 吸 大 息 妙 王 息 体 十 方 光 空 心 』

 

 

 

(参考文献「神道實行教パンフレット」、「ふたつなき道(上)」)

(資料提供:神道実行教 惟神名古屋教会)