劇団虚幻癖回帰公演『狂える星霜』 | カラサワの演劇ブログ

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劇団虚幻癖回帰公演『狂える星霜』於下北沢GEKI地下リバティ

 

司会者「ダークファンタジーを基調とした特異な世界観を特長とする劇団、虚幻癖の第17回公演です。“回帰公演”と銘打っているのは、この『狂える星霜』が2013年に上演した作品の再演だからでしょう。ABのダブルキャスト公演ですが、今回取り上げるのはBキャストの方です。森の奥にある集落にある巨大な時計をめぐって、集落の支配者である貴族たちと民衆の対立、そして、突如止まった時計をめぐるストーリィで、話の中に、時間とは何かという観念論的な、膨大な量のセリフがやりとりされ、一般のファンタジーとは異なる哲学的な思想が盛り込まれています」

 

観劇マニア「新鮮な舞台との出合いを大事にするため、いつも一切前情報は入れずに芝居を観るのが習慣なんだが、この作品だけはせめてあらすじだけでも読んでおくべきだった、と思ったな。いきなり、森の中に祀られている大時計と、それを守る人々の存在、その人々の間での対立、学者が語る時間論、外部からやってきた怪しい男など、いったいなぜこのような世界が成立しているのか、説明がほとんどないまま話がはじまり、なにがなにやらという感じで進んでいって、すさまじい取り残され感を味わった。ストーリィ展開はまあ、ファンタジーものの基本をなぞって、チャンバラもあり、見せ所は押えていたが、とにかく怒濤のような観念的なセリフのやり取りがある割に、なぜその時計が止まったのか、止まったことでどう世界に影響があり、登場人物たちがどうなるのか、こちらにはさっぱりわからない。てっきり、シリーズものを途中から観てしまったのかと思ったよ」

 

演劇ファン「確かに、他にも入り組んだ設定に凝る劇団はいくつもあるが、ここに比べればテレビの再現ドラマに見えるくらい単純に思えてきます(笑)。意味は最初からわからせようと思っていないのでしょう、おそらく。……要するに、特殊な閉鎖状況下におかれた人間たちの憎しみや愛情を純粋に抽出することがこの作品のテーマで、設定や状況に何か意味を持たせようという気がないのだと感じました」

 

役者ファン「ボクは途中からストーリィを追うのは放棄して、役者さんたちの熱演を楽しむことに集中しました。印象に残ったのは旅の奇術師・ラディゲ役の米倉啓さんと、セリーヌ役の伊藤綾佳さんですね。米倉さんは自由自在な、こういうファンタジー系の芝居では浮いてしまう芝居だけに、逆にひとりだけ村人ではない登場人物としての存在感を無茶苦茶に発揮していましたし、セリーヌ役の伊藤さんは、自分の美しさを永遠に保たせるために、時間をむしろ止めておこうとするキャラクター設定がいいし、貴族の娘のオーラがびしびし感じられましたねえ」

 

脚本教室の先生「まあ、演劇というものはそれぞれの劇団、それぞれの脚本家が持つ世界観が全てだから、ヨソからどうこういうことはできない(嫌なら観なければいい)というわけだが、しかし、とはいえ、前売3800円という決して安くないチケット代を払った者の権利として言わせてもらうと、設定説明がほとんどないままにストーリィが動き出すというのは無謀極まりないな。時間の象徴である大時計が存在する世界というのはどういうものなのか、時間そのものを神としてあがめるという世界観は、われわれの想像する世界とどう違っているのか、貴族・平民の違いは何か、彼らの暮らしはどのように営まれているのか、という手がかりというか世界設定を、前半で観客に与えないと、最後まで置いてきぼりにされる人が相当数出て来るわけでね」

 

設定マニア「ただ、その設定そのものに最後まで疑問を持ってしまいました。大時計が何らかのシンボルとして存在する以上、どんな動力でうごいているのかとか、整備はどうやっているのかとか質問するのは野暮というものでしょうが、時計という工業製品を“護る人々”と聞いたら、絶対に整備したり修繕したりする仕事だと思うでしょう。砂時計とか日時計でなく、歯車仕掛の時計が自然に存在するというのは無理がありすぎると思う」

 

ツッコミ屋「時計は人間の手が触れられない神秘的な存在なのかと思ったら、最後にラディゲが、時計の針が止まったのは自分が仕掛けをほどこして止まるように仕掛けたトリックだ、とあかす。そんな細工が出来る程度のものなら、学者とか貴族とかが揃っているのだから、誰かが仕掛け自体を分析するくらい出来るだろうし、時計が止まったとき、内部を調べようと誰かが言い出さないのはおかしい。こういう穴のある設定は話の完成度を大いに低くしていると思う」

 

設定マニア「まあ、こういうファンタジーの常として基本の性格などは中世ヨーロッパを元ネタにしているのだが、登場人物が使う刀が日本刀だったり、現代の規格工業品そのもののベビーカーが出てきたり、世界観が穴だらけなんだよね。そこが気になって仕方なかった」

 

演劇ファン「ファンタジーな世界設定は“こういうこともある世界”と決めたものの勝手(もちろん、どれだけ観客に理解されるかは別問題)だが、しかし、最後に全てはこの村を全滅させようとしたラディゲの陰謀だった、というオチは設定ではなく人間の考えの問題だ。人の思考の流れは、不自然なものであってはいけない。一村の人間を完全に殺し尽くすという極端に残忍な行動には、“なぜ”という動機(良いにしろ悪いにしろ、観客を納得させうるだけのもの)が必要だが、その説明がまったくない。いちばん引っかかったのはそこだな」

 

観劇マニア「われわれが演劇を観て感動するのは、限定された舞台上の世界の上で、ひとつの物語が生まれ、発展し、そして収まるところに収まるという一連の過程がこちらの情動をゆさぶるからなんだが、この作品は、そもそもこの物語自体がどういう目的で描かれたのか、という問題提起がなされておらず、どこに登場人物たちが行こうとしているかという目標点(例えば時計を動かす方法を知っているものを探し求めるとか)を持っている者もいない、ということだと思う。だから、主人公たちの言動にこちらを納得させるところがない。唯一、セリーヌの“自分の美しさを永久のものにしたい”というモチベーションが、こちらに理解できる範囲のもので、彼女のキャラがいちばん輝いてみえるのはそのせいなんだな。この作品、あっちこっちを撃ちまくってはいるが、弾ごめを忘れた鉄砲、というところだろう」

 

辛口ファン「先行きの予想がまるでつかない話につきあうのはつらいよ。90分という上演時間がかなり長く感じられて、“本当に時間が止まっているんじゃないか”と思えて、何度も腕時計をのぞき込んでしまった(笑)」

 

演技ファン「繰り返しますが、役者さんたちは頑張っていたので、ちょっと気の毒でしたね。長い観念的なセリフを大声で怒鳴るようにして言い合う。ボクの観たのは千秋楽の前日だったが、みんな、声もからさずによくやっているなあ、と、そこにいちばん感動しました」