オオタスセリ『スセリ☆台本劇場』#13 | カラサワの演劇ブログ

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オオタスセリ『スセリ☆台本劇場』#13観劇、於下北沢『楽園』。

 

 

「2020年の還暦までは続ける」

と宣言しているオオタスセリさんの舞台、13回めにしてやっと鑑賞。

 

「スセリさんのコント、面白いですよ」

「絶対カラサワさんの好みだと思う」

と人からはよく勧められていたのだが、これまでなぜか予定が掛け違っていた。

 

なんとスセリさんが先日の私の舞台『お父さんは生きている』を観に来てくださり(島敏光さんの関係)、アンケートに

「実はかなりツボでした」

と書いてくださって、お返しに今度こそ、と出かけた次第。

 

スセリさんのコントデビューは渋谷ジァンジァンだったそうで、この楽園でずっと公演しているのは、劇場の作りがジァンジァンに似ているから、だそう。で、ジァンジァンでのイッセー尾形の公演の形式(舞台上で衣装替えするところなども見せる)などもモデルにしていることだろう。

 

ただイッセーは舞台上ではカーテンコールの挨拶以外は人格を消し、役になりきり、次の役への転換の衣装替えなどは完全な無人格になって行っていた。スセリさんは、コントとコントの合間のかなり“本人”を出し、自分の舞台への姿勢や、批評に傷ついた経験などを自虐的に語り、笑いを取っている。それが、実にイッセーのよく語っていたことと相似していて、誰か彼かと疑問や悩みを分かち合える一般演劇と違い、やはり一人コントの場合は内省的にならざるを得ないのだろうな、と興味深かった。

 

中で印象に残ったのは、彼女が“面白い”と思ったものと、観客が“面白い”と思うものの落差にとまどい続けている、ということで、スタッフからもよく“もっとわかりやすくしましょう”と言われるという。それでも、最初の面接コントが終わったあと

「オチがわかりにくくてすいません」

と謝っていたところを見ると(笑)、自分の趣味を突き通しているのだろう。

 

演劇というのは集団芸術なので、主宰個人の独りよがりで他の出演者、スタッフに意味がわからない状況では作品が成り立たない。なによりわからないものにはお客さんが来ない(今の時代は特に)ので、興行が成立しない。勢い、わかりやすく、わかりやすくという姿勢が何よりたっとばれる。私も自分の芝居での気に入ったシーンを、よく出演者やスタッフの意向で直される。致し方ない、と思う場合もあれば、やはりあれで舞台の個性が薄まっちゃったな、と反省する場合もある。

 

スセリさんは、そこらへんで観客にもスタッフにも妥協せず、自分の方向性をつらぬき、小劇場なりとはいえ全ステージを満席にしている。えらいと思うし、ここまで苦労もあったと思う。

 

この台本劇場は一人コントではなく、声優の田中真弓(『ONE PIECE』のルフィや『ドラゴンボール』のクリリン)はじめ、さまざまな役者たちがスセリさんの書いた台本を演じ、彼女は演出席でそれを見ている、という趣向が主らしいが、今回は3本の芝居全部にスセリさんも出演する。最初は田中が再就職の面接にやってくる『受付』、次がゲストの渡辺菜生子(同じく声優。『ちびまる子ちゃん』のたまちゃん)との『素敵な靴』、そして3人による合同コント『路上アイドル(このタイトルは勝手にこちらでつけた)』。

 

中では2本目の『素敵な靴』が一番面白かった。ビルの屋上で、飛び降り自殺の真似をしてストレスを解消(?)している女性(スセリ)が、そこで片方だけ脱ぎ捨てられている赤い靴を発見する。なぜ、こんなところに片方だけが、といぶかしむ彼女の前に、正体不明の女(渡辺)が現れて……という話。オチは予想がつくが、そこに持って行くまでの会話がいろいろ飛んでいて、いろんな意味が付与できて、観客が想像を膨らませる余地が十二分にある。オチの意外性よりも、そこにたどり着く過程が眼目である。

 

一人芝居は観客の想像力がどれだけ内容に踏み込んで参加できるか、が勝負である。そういう意味では観客を非常に選ぶ。そして、選ばれた(想像力豊かな)観客たちは、演者に、もっともっと、自分たちの参加の余地を広げろ、と要求してくる。ところが、あまりにそういう“エリート”観客の声だけに耳を傾けると、一般大衆である観客たちはある時点でついていけなくなり、一斉に離れていく結果になる。難しいところであるが、スセリさんの舞台は、そこのちょうどはざかいで、うまくバランスを取っていた。もちろん、危ういバランスではあるが、危ういからこそ、観客は綱渡り芸を楽しむように、ハラハラしながら観ているのだろう。

 

2020年でいったん区切りを付けた後に、どういうところに今度は進出していくのだろう、ということも考えてしまった舞台だった。