今日は映画を観に行きました。
『ゴジラ-1.0』の評判が良いようなのでそれが目的だったのですが、すでに封切りから1か月経っていたせいかすぐの上映がなく時間が空いたので、先に『エクソシスト 信じる者』を観ました。
『ゴジラ-1.0』を観ている方も多いでしょうが、私は大体後から空いた映画館で観るのが趣味なので、誰も読む価値のない感想となってしまうのは止むを得ませんね(^^;
以下、当然両方ともネタバレ注意です。
ゴジラの方は初代が1954年だったので2024年に70周年ですが、『エクソシスト』も最初の映画が1973年だったので、『信じる者』は50周年ということです。
私は初代『ゴジラ』はもちろんテレビで観ていますし、最初の『エクソシスト』は劇場でリアルタイムで観ています。
それぞれシリーズ化されていて、特にゴジラは前回の『シン・ゴジラ』が日本での29作目、今作が同30作目となります。
ゴジラはアメリカで製作されたものもあって、私は2作品とも観ていますが、どちらも予告編が一番良かったという評価です(^^;
『エクソシスト 信じる者』は、2人の少女が悪魔にとりつかれます。
現代アメリカの宗教事情もあってか半世紀前のようには行かず、バチカンは手を出さない決定をして、隣近所有志ボランティアの集まりで悪魔憑きと対決することになるのですが、結局2人のうち一方は亡くなります。
悪魔祓いというのは聖書の文句を読み上げるわけで、半世紀前どう感じたかはよく覚えていないのですが、予期していたこととはいえ聖書の文句を聞かされるのはどうにも違和感を感じます。
その前の段階で悪魔憑きのようなことはいろいろな宗教で認められていると多文化主義的配慮を滲ませておきながら、やっぱり聖書が出てくるのかよ、と言いたくなりました。
まあ、時間つぶしに選んだだけだし予期していたので、文句を言うほどではありませんけど。
『ゴジラ-1.0』は、監督・脚本・VFXが山崎貴。
山崎さんは、『ALWAYS 三丁目の夕日』『永遠の0』『STAND BY ME ドラえもん』などの監督として知られています。
VFXとは視覚効果の意で、実写映像をコンピュータグラフィックスや合成処理で加工すること。
『シン・ゴジラ』は21世紀版大人のゴジラといった趣で、一つの完成形を示したわけです。
ならばその次はどうするんだろう?と思っていたのですが、予想を良い意味で裏切られました。
映画評『シン・ゴジラ』と『君の名は。』 | 宇宙とブラックホールのQ&A (ameblo.jp)
初代が同時代(1954年)だったのに対して、時代設定をその前の戦中戦後直後に持ってきたのです。
題名は、そういう意味の『-1.0』だったのですね。
戦後直後、日本は武装解除され、マッカーサーのGHQはソ連と戦うことになるのを恐れているため、ゴジラと戦うのは旧海軍の民間人たちという設定です。
このあたり、偶然でしょうが『エクソシスト 信じる者』と似ていますね。
主人公は、神木隆之介演じる戦闘機乗りの敷島浩一。
特攻隊として飛び立ったものの、機体が故障したふりをして大戸島基地に着陸します。
そこでゴジラの前身(15m級)である怪獣に遭遇するのですが、戦闘機の機関銃で怪獣を殺すように頼まれるもののビビッて逃げ出し、その結果大戸島基地の兵隊たちは一人を残して全滅します。
勇気がなくて恐怖からは逃げ出すダメ男と見えますが、それは敵を倒すためならば命を惜しまない当時の軍人的な価値観・死生観によるものであり、命を大事にしながら問題を解決する方が現代的には望ましいわけです。
また、私自身そういう状況に置かれたら、恐怖のあまり大事なときに適切な判断・行動ができないというのはいくらでもあり得ると感じました。
(自分が全く勇敢ではないことを自覚しているので、フィクションの主人公には勇敢な行動を期待したくなるのですが。)
最後は、敷島が勇気を出して秘密裏に開発されていた戦闘機に乗りゴジラと戦います。
ただ、特攻隊的自己犠牲でゴジラをやっつけてめでたしめでたしとなるのかと思ったら、そこは違いました。
赤ん坊を連れて敷島宅(最初はバラック)に押し掛ける娘である典子役が、浜辺美波。
しかし、その赤ん坊は彼女の子ではありません。
敷島を家で支える役割だけのように見ていたのですが、なんと典子自身も山手線に載っているところをゴジラに遭遇し、九死に一生を得てようやく敷島と会えたと思ったら、今度はゴジラの起こした爆風で吹き飛ばされて行方不明となり、葬式まで執り行われます。
ただ、最後は再会できてハッピーエンドとなります。
隣りのおばちゃん役の安藤さくらさんもそうですが、当時の女性の雰囲気が出ているように感じました。(私は当然その頃まだ生まれていないけど)
人間とは別の主役のゴジラは、上陸して特に銀座あたりを大々的に破壊します。
この辺はお約束ではありますが、迫力が半端ないです。
特に、50m級のゴジラに咥えられた山手線の電車内で典子が何とか鉄棒につかまりながら最後は落ちていくシーンや、電車が吹っ飛んでくるシーンは、凄まじい迫力です。
(ハリウッドのアクション映画だとよく自動車が吹っ飛んでくるのですが、電車の方が長い分勝っています。)
その一方で、敷島たちと対決するのは水上、水中のシーンが多いのが今作ゴジラの特色であり、見せ方描き方の苦労があったようです。
ちなみに、アメリカでは、1989年公開の『子猫物語』を超えて歴代邦画実写作品で興業第1位の記録を樹立したそうです。
映画『ゴジラ-1.0』米国公開の邦画実写作品で興収1位 34年ぶりに記録更新 - KAI-YOU.net
また、アメリカでの高評価というより大絶賛については次のサイトをご覧ください。
【海外の反応】 パンドラの憂鬱 海外「映画まで日本の時代に…」 日本の最新ゴジラ映画に海外の辛口評論家たちも異例の大絶賛 (pandora11.com)
パンフレット(¥1,100)を買いましたが、その真ん中あたりに歴代29作品のポスターと内容紹介が小文字で掲載されています。
また、ゴジラ造形の歴史(30作品での頭部比較写真)や29作品での都道府県別ゴジラ襲来ポイントも整理されています。
ファンとしては見逃せないでしょう。
今頃こんな記事を書いても、自分用の記録メモ以外にあまり価値はないかもしれませんが、もし観ていない方がいらっしゃればぜひご覧になるようお勧めします。
あと、映画の内容とは無関係ですが、『ゴジラ-1.0』では私の席の前列左に高校生のグループ5人が座りました。
男子1人に女子4人で、男子が真ん中。まるでなろう小説にでも出てくるようなハーレム設定ですが、こんなことが現実にあるのですね。
「リア充爆発しろ!」と心の中で強く念じはしても、決して口には出しませんでした(^^;
映画からは全く離れますが、ついでに大学で講義したことも少しだけ書いておきます。
知り合いの女性教授に頼まれて、毎年夏と冬に1回ずつ八王子の山の上にある大学に講義に行っていて、冬の分が今週火曜でした。
寒い日で風もあり、山の上はことさら寒さが身に沁みましたが、天気が良かっただけマシでしょう。
教授の研究室のある高層階の待合スペースからは、富士山がきれいに見えました。
ただ、出席した学生は27人で、人数は良いのですが、全員男子だったのが残念でした。
ご興味のある方は(そんな人はいないだろうけど)、ここ数年の12月の記事をご覧ください。
★ 今日のロジバン 不思議の国のアリス127
(to ku’i ta’e nai mapti zukte toi)
(でも、その通りにすることはほとんどなかったんだけどね)。
ta’e : 習慣的に/いつものように。相制詞(時間・間隔)TAhE類
mapti : 相応しい/和合性がある,x1は x2に対して x3(性質)の点で;x1はx2に適する/合う。「似合う」「交換性がある」も。-mat-
zukte : 行為/実行する,x1は x2(行動内容)を x3(目的/目標)のために。-zuk-, -zu’e-
出典は、
lo selfri be la .alis. bei bu'u la selmacygu'e (lojban.org)