渡辺慧『知るということ』3 | 宇宙とブラックホールのQ&A

宇宙とブラックホールのQ&A

2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

渡辺慧『知るということ』1:http://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/65513312.html
渡辺慧『知るということ』2:http://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/65517280.html
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「第7章 パターンとエントロピー最小の原理」
パターン認識には、a.クラスタリングとb.実例付きパターン認識という二種類があります。
実例付きパターン認識とは、たとえばいろいろな動物の実例を見せて「これはイヌですよ」「これはネコですよ」・・・と教えておき、その後でどちらに属するか分からない動物をもってきて、分類させるというものです。
これは先にみたパラディグマです。
クラスタリングとは、たとえばいろいろな種類の魚をその名前を知らない人に見せて共通した性質をもつもの同士を集めて分類してもらうことです。
クラスタリングはさらに合体によるものと分離によるものの二種類に分かれます。
さまざまな性質(全部でn個)の測定結果の数値でベクトルをつくると、対象の数Nだけのn次元ベクトルができます。
合体によるクラスタリングとは、ベクトルの距離の近いものをまとめていくというものです。
分離によるクラスタリングとは、n次元空間に散らばったベクトルを(n-1)超平面で分離していくものです。
n次元では大変なので、次元の数を減らす方法としてカルフーネン-ロエーブ展開というものがあります。
これは多変量解析のうちの因子分析と一致するということです。
(このあたり数学的説明もあるのですが省略します。ご興味のある方は本書に直接当たってください。)

関連して、「もの」と「こと」の相対性が論じられます。
20世紀の物理学(量子論)では、粒子とされてきた電子が波とみなされるようになりました。
これは、「もの」が「こと」に置き換えられると解釈できます。
生命や渦巻・台風も、「もの」というより「こと」だと解釈できます。

さて、「これはネコである」について、アリストテレス的見方は、「これ」という個物と「ネコである」という一般者の二つを結びつける、つまり「もの」と「こと」を結びつけると考えます。
一方、プラトン的見方では、「もの」というのはないというのです。
パターン認識でも、カルフーネン-ロエーブの方法ではnは「こと」の数、Nは「もの」の数です。
カルフーネン-ロエーブの方法ではn行n列の行列式の逆転操作が必要となり、nが非常に大きくなるとコンピュータでも計算が困難となります。
しかし、Nの方が少ないときには、シュミット(Schmidt,E)の変換によってnとNを入れ替えて計算することができます(元のデータから作られるn次の対称行列とN次の対称行列の固有値が同じ。)。
これが「はしがき」でも触れられていた「もの」と「こと」の相対性です。
ただ、私の感想としては、こういう数学的テクニックをそのように仰々しく称する価値があるのかどうか疑問です。

「第8章 時の向き」から時間論に入ります。
渡辺さんは、時間に関して少なくとも4つの向きが指摘できるといいます。
第1は宇宙膨張の向きで、これが一番主だったものだといいます。
第2は人間などの生命の時間の流れです。
これには、老化現象の時間、成長の時間、心理的時間が含まれます。
第3は熱力学的な向き、エントロピーが減ることはないというものです。
第4は因果律で、過去は未来を決定するが、未来は過去を決定しないというものです。
哲学者はヒューム、カント以来、時間の向きを因果律と結びつけて考えてきたが、その根拠ははっきりしないといいます。
さて、以上の4つの時間の向きについて、それぞれバラバラであるはずはないので、もう少し深い関係があるに違いないが、その関係は分かっていないとします。
(k:物理学的時間論については、二間瀬敏史著『どうして時間は「流れる」のか』が詳しかったですが、同書は当然本書の議論を踏まえているわけです。
http://blogs.yahoo.co.jp/karaokegurui/65073003.html )

次の節で渡辺さんは第4の因果律を批判しています。
「過去から未来を説明する因果律は正しいが、未来から過去を説明する目的論は間違っている」というのは迷信だと決め付けています。
その関連で、ダーウィンの進化論も批判されます。

また、物理の電磁気学でマクスウェル方程式を解くと、電荷をもった粒子が電磁波を未来に向けて発射する遅延ポテンシャルと荷電粒子が過去から来た電磁波を吸収する先進ポテンシャルという二つの解が出てきます。
先進ポテンシャルは過去に向かって影響を及ぼしていると解釈することもできるので、先進ポテンシャルを使ってはいけないといわれてきたが、それは因果律の悪用であって、両方認めるべきだといいます。

熱力学第2法則について、渡辺さんは、熱力学的変数を使えば位相空間におけるより広い領域に移る、しかし、他の変数つまり力学および電磁気学的変数を使えばそれは成り立たない、として、変数の選択が重要だといいます。
また、熱力学の第2法則は因果律を可能にするために必要だと主張します。

次に、渡辺さんはエントロピー最大の原理(の濫用)を批判します。
これは、熱力学的問題以外の問題についても、われわれの分からないときにはあらゆる可能な状態に一様な確率で広がっているとするものです。
この原理は次の二つの条件が成り立てば正しい、と渡辺さんはいいます。
 1.物理学のように前経験的(アプリオリ)な確率が決まっている
 2.準エルゴード性が成立する
準エルゴード性とは、「位相空間において、時間を十分長くかければ、その出発点にいくらでも近づく」(p.162)、「一様にグルグル回って、結局あらゆる状態に一様に広がるという性質」(p.164)です。
(k:この二つの定義?が同じことを意味するのかどうかは自明ではありませんね。)
しかし、物理以外、たとえば情報理論的な問題では1と2のいずれも成り立たないのです。

「第9章 因果律と自由」では、因果律をより詳しくとり上げています。
マクロ的世界における因果律は、仏教では紀元前6世紀からすでにいわれており、西洋ではヒューム(Hume,D)とカント(Kant,I)により重視されました。

原因と結果の関係を論理的に考えると、原因は結果の十分条件であると一応はいえます。
しかし、原因と結果の関係は必ずしもそういうものばかりではありません。
渡辺さんは、「加湿器のスイッチを入れて湿度を上げる」「シャワーの口を開けて湿度を上げる」「マッチを擦って火をつける」「そのときに同時におまじないを言う」などさまざまな事例を考察して、因果律については
 1.人間の目的を達するために使われる
 2.われわれに手段を選ぶ自由がある
という二点が重要だといいます。
人間的条件を離れて、初期条件と終期条件が因果律で結ばれているという形にしたものが因果律の科学的表現です。
ところが、初期条件と終期条件についても、観測できるすべての条件を記載することはなく、われわれが重要だと思うことを選んでおり、変数の選択が入ってきます。
すなわち、因果律の成立は変数のとり方に依存する、というのが渡辺さんの重要な主張です。

エントロピーの増加も変数のとり方に依存しています。
たとえば、生物について変数を生物の体内に関する変数のみに限定すると、エントロピーが減少するという結果が得られます。
これは、熱と炭酸ガスや水などのエントロピーの大きい=自由エネルギーの小さい物質を対外に排出することを無視しているからです。
もう一つの例として、逆立ちコマをとり上げています。
逆立ちコマでは、コマの軸周りの運動だけに変数を限定すればエントロピーは減っていますが、コマと紙の接触面で生じる熱量を記述に入れればエントロピーは増えているのです。

本章の最後は決定論批判です。
19世紀物理学では、宇宙全体の状態が分かれば今後の宇宙の状態をすべて知ることができるという「ラプラスの魔物」というものが考えられました。
渡辺さんの批判は、現在の宇宙の状態を知るためには宇宙の果てと通信する必要があるので通信の往復に無限の時間がかかり、現在の宇宙の状態を科学的実証的に知ることはできない、したがって、「予言としての決定論」はまったく無意味であるというものです。
過去のできごとについての説明を行うことができるという「説明としての決定論」についても、実際に証明することはできません。
問題となるのは、将来の予測あるいは現在の状態の説明に際してすべての変数をとることはできず、どの変数をとるかが常に問われるということです。
人間の使っている変数を使えば、人間の未来は決まっていないという非決定論がただしいのです。
また、われわれが使う変数を使えば生命現象は逆因果的、逆エントロピー的ということになります。

しかし、生物とその環境を合わせて考えればエントロピーが増加することは渡辺さんも認めているので、生命現象について「逆因果的、逆エントロピー的」をそれほど強調する必要があるのかどうか私は疑問に思います。

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