『先端技術のゆくえ』1 | 宇宙とブラックホールのQ&A

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2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

書評です。
坂本 賢三 著 『先端技術のゆくえ』 岩波書店 岩波新書(黄版)362 1987年1月発行 193頁

絶版のようなので値段は記しませんが、古本はネットでリーズナブルな値段で入手可能なようです。

坂本賢三さんについては以前書いた記事をご覧ください。

https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471780231.html

なお、坂本さんは本書刊行から4年後の1991年に61歳で亡くなっています。


先端技術というのはその時代の最先端の技術のことですから、四半世紀も前に書かれた本書を今さら読んでみても時代遅れで参考になることはほとんどないと考えるのが普通でしょう。
内容がその時代の先端技術だけを扱っているのであればその通りです。
しかし、坂本さんは哲学者ですから、技術というものを人類の長い歴史の中に位置づけて論じており、そう簡単に古びるような書物ではありません。
むしろ長期的な視野で時代のゆくえを予測しており、現在読んでも参考になる点は多々あると思い、ここで取り上げることにしたわけです。

題名の「先端技術」ですが、この本が書かれた頃、「ハイテク」という言葉がマスコミで流行っていました。
坂本さんによると、英語の「ハイ・テクノロジー」の訳語は「高度先端技術」になるということですが、その略語として、表題では「先端技術」を使っています。
しかし本文中では、最新の技術というだけでなく従来の技術と質的に異なっているという意味合いを示すために、「高度技術」を用いています。
高度技術の時代がやってくるだろうというのが、本書の基本となる予測です。

目次は次の通り。
 第1章 高度技術
 第2章 技術の技術
 第3章 技術と社会
 第4章 技術と経済
 第5章 日本の技術
 第6章 高度技術時代
 終章 先端技術のゆくえ

第1章では、現代の技術がそれまでの技術と質的に区別される高度技術といえる理由として、次の三点を挙げています。
1.科学と一体となった科学技術であること
2.情報加工と情報伝達を根底に持っていること(しかし高度技術を情報技術だけに代表させる捉え方には坂本さんは反対しています)
3.「技術の技術」がすべての技術の根底に置かれていること

また、技術と科学の関係について哲学的に規定するとともに、歴史を踏まえて整理しています。
前者については前回の記事をご覧ください。

技術と科学の関係:https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471782771.html

 

ここでは2の情報技術の部分を要約しておきます。
本書が書かれる20年ほど前、つまり1970年頃から、情報化社会という用語が流行していました。
その場合の「情報」は知識とかニュースという意味でも用いられていましたが、坂本さんは、そうではなく、コンピュータや電気通信のように、その加工や伝達が人間の手を離れて対象化されているものだけに限定すべきだとしています。

情報について対象化されているという点が重要だとする理由は、坂本さんによれば、技術史とは「人間能力の対象化と外的自然の主体化の歴史」だからです。
抽象的で分かりづらいかもしれませんが、別の記事でその部分を引用しているので、ご覧いただきたいと思います。

https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471782816.html

 

技術史の初期には材料が重要であり、時代区分も利器の材料に着目して、100万年近く続いた石器時代の後、6千年ほど前から銅の冶金が始まって金属器時代になったとします。
材料(マテリア)を加工して利用しやすいものにする技術から「物質(マター)」の概念が成立しました。
しかし、金属器成立以後の技術史は、材料面よりも動力面に注目して、畜力、風力、水力という発達をみなければなりません。
特に重要なのは蒸気機関をはじめとする熱機関で、それまでの水車や風車が水力や風力という機械的運動をそのまま利用していたのに対し、熱を機械的運動に変換した点が根本的に異なるところです。
これにより、熱と機械的運動は同一性をもっていることが認識されて、「エネルギー」の概念が成立しました。

情報技術の歴史についてその画期だけを取り出せば、次の通りです。
・制御の自動化 : 1787年、ウォットによる蒸気機関の調速機(ガバナ)の発明、これはフィードバック(アウトプットからインプットへの情報の流れ)を使います。
・通信の対象化 : 1844年、モースによる電気通信
・電子計算機(情報処理機械)の開発 : ノイマン方式によるプログラム内蔵型コンピュータ

情報処理機械の開発により人間の神経活動の一部が対象化され、「情報」概念が成立しました。
これは、材料の加工により「物質」概念が成立し、動力生産により「エネルギー」概念が成立したのと同様です。
情報処理の対象化および情報伝達と制御の対象化は、高度技術の時代の基本的特徴です。

本章第4節は「生命技術(バイオテクノロジー)」と題され、情報概念の技術に及ぼしたもっとも重大な影響の一つとして、人間自身が技術の対象となっていくこと(主体性の加工)を挙げ、遺伝子工学・遺伝子治療の例を出しています(もちろん当時の水準は今日とは比べ物になりませんが。)。
「情報技術は、・・・生命にまで及んでいるのである。」という文章が、本章の結語です。
こうした記述をみると、坂本さんの予測は現在までを十分に視野に収めているといってよいでしょう。

第2章では、20世紀後半以降の技術の特徴となった「技術の技術」について解説しています。
技術論として重要だと思いますが、うまく要約できなかったので、各節の題名の後に内容をごく簡単にメモしておきます。
 1 標準化とIE(インダストリアル・エンジニアリング、生産工学):フォードシステム、テイラーシステムなど
 2 信頼性技術:品質管理、冗長設計、FTAなど
 3 安全性技術:ハインリッヒの法則、システム安全、テクノロジー・アセスメント
 4 OR(オペレーションズ・リサーチ)とシステム技術:第二次大戦中の「作戦研究」
 5 技術の発達過程:技術と生物の比較、バスタブ曲線、ロジスティック曲線など

本章第4節では、SE(システム・エンジニアリング)に触れた箇所で、技術過程全体の設計が課題となってきたことが高度技術時代の特徴の一つだと述べています。
そして、技術の中心はシステム設計というソフトになりつつあるとしています。

本章の最後では、原子力や宇宙開発にみられるように、今や技術は原理的には何でもできるようになった(時間や性能や信頼性や安全性や芸術性に問題があるとしても)と述べています。
こうなると、最大の問題は「技術は何をすべきで何をすべきでないのか」ということですが、それは技術からは出てこないのであり、社会のコントロールが不可欠だと主張しています。

第3章と第4章では、ヨーロッパと日本における技術の歴史を追っています。
ヨーロッパでは、技術者養成に関してフランス大革命の時期に作られ基礎科学教育を重視したエコール・ポリテクニク(1794年創設、翌年現在の名称となる)が重要で、この方針がヨーロッパ各地をはじめ世界に広がったと指摘しています(p.92-95)。
なお、エコール・ポリテクニクはフランス陸軍所管の学校であって、大学ではありません(p.22)。
日本については、特に明治初めの近代技術の受容について詳しく、坂本さん自身がヨーロッパで関連資料の調査を行った結果も紹介されています。
大学に工学部が設置されたのは、世界的にみても日本の工部大学校(1876年設置、後の帝国大学工科大学、現在の東京大学工学部)が最初です。
そのカリキュラム編成には、W.トムソン(ケルヴィン卿)も助言しているということです。

第5章では、日本は技術的にも経済的にも後発国が先進国に追いつきさらにトップに躍り出た唯一の例であるとして、その原因を探っています。
こうした問題意識は、本書執筆時くらいまでは私を含む多くの日本人に共有されていたと思います。
しかし、今ではそれは昔語りとなり、大部分の発展途上国は経済成長を遂げ、先進国に追いつきつつあります。
その一方で、日本は坂本さんが亡くなるころにバブルの崩壊を経験し、その後長期にわたる経済不況に苦しんでいます。
坂本さんの時代であればハイテクといえばソニーなど日本企業の名称が思い浮かんだでしょうが、残念ながら今では見る影もありません。

少し戻りますが、坂本さんは、第3章冒頭で「何のための技術か」という問いを立て、ヨーロッパと日本の技術の歴史を振り返って、問い(何のための)の答に応じて次のような時代区分を行っています(第3、4章)。
a.13世紀頃は宗教の時代だった(ヨーロッパでは教会、日本では寺社)。その頃の技術の中核は建築
その後長い過渡期(ヨーロッパでは百年戦争や宗教改革、日本では戦国時代の動乱)を経て、
b.16世紀末には政治がすべてを決定する国家の時代となった(近世。ヨーロッパの絶対王政、日本の江戸幕府)。17世紀は日本もヨーロッパも土木の世紀。
c.18世紀末のフランス大革命により世界史的には経済の時代に移った(国によりかなり時間差があり、日本では明治維新がこれに当たる)。工業の時代。

その上で、今や経済の時代が終わりつつあるのではないかとし、その徴候として経済の時代の特徴であった「機械工業」が産業の中心ではなくなったこと、思想的特徴であった「進歩」の観念や「合理主義」が希薄になりつつあることなどを挙げています(第6章p.162)。
そして、来たりつつある新たな時代は「高度技術時代」であろうと予測しています。
「技術の時代」の技術は、第1・2章でみたように、科学と技術が一体となった情報中心の、技術の技術で武装された高度技術です。
そして、高度技術時代とは経済も政治も技術のために奉仕するようになる時代であろう、と述べています。

なお、坂本さんは以上の時代区分自体を技術の歴史に基づいて行っていますが、これは経済の時代にカール・マルクスが経済のあり方から時代区分を行ったことを意識しているのだと思います。

--------------- 続 く ---------------

『先端技術のゆくえ』2:https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471782804.html