『改訂新版 思想史の中の科学』2 | 宇宙とブラックホールのQ&A

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2019年6月6日にYahoo!ブログから引っ越してきました。よろしくお願いします。

『改訂新版 思想史の中の科学』1:https://ameblo.jp/karaokegurui/entry-12471779060.html

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アリストテレスの天動説的宇宙像は、地球は宇宙の中心に静止し、その周りを水、空気、火の各元素が順次層をなし、さらにその外側を月から恒星に至る多くの天球が取り巻いているという、有限な地球中心のコスモス像です。
四元素は月の天球より下の世界を作っており、それ以上の天球は完全な「第5元素」(ギリシア語でアイテール、現代語のエーテルの語源)によりできているとされます。
なお、これを発展させたプトレマイオスの天文学については、以前『宇宙像の変遷』の書評でご紹介しました。

アリストテレス自然学の重要な主張として、真空の否定があります(後の標語「真空嫌悪」"horror vacui"、「自然は真空を嫌う」)。
そもそも真空には、「何もない」ということが「本当に存在しうるのか」といういわば論理的疑問と、物理的に真空状態を実現できない(当時の技術では当然だが、今日でも完全な真空状態を作り出すことは事実上不可能)という問題がつきまとっており、ギリシア思想の主流は否定的でした。
真空を認めたのはアリストテレスの主要な論敵の一つである原子論であり、不可分の最小単位である原子とその原子が動き回る場所としての真空を想定しました。
一方、アリストテレス運動論においては、速度は動力一定の場合には媒体の抵抗に反比例するので、真空中では速度無限大になってしまい、この点からも真空はありえないと考えられました。
ガリレオやデカルトも真空を否定しており、デカルトは機械論的世界観を採用したにもかかわらず原子論者の友人ガッサンディの説得に耳を貸しませんでした。
(余談ですが、ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムの短編集『完全な真空』の表題は「あり得ないこと」を意味しているのだと思います。)

第1章の最後に置かれた第6節では「ルネサンスの意義」を解説しています。
ルネサンスは、科学理論そのものについては、ビュリダンら14世紀の「ガリレオの先駆者たち」の時代とガリレオ、ニュートンの活躍する17世紀科学革命という2つの創造的時代の谷間にすぎません。

実際、この時代にはコペルニクス(1473~1543)を除けば、第一級の「理論的」仕事をした科学者はいません。
ルネサンスのもつ意義は、さまざまな意味でそれまでの西欧世界の知的・社会的・経済的状況を大きく変え、来るべき「科学革命」において西欧の新しい知的創造を可能にする思想的・社会的地盤を作り上げたことにあると、伊東さんはいいます。
科学革命を準備したルネサンスの条件は次の4点です。
1.西欧世界の世界的拡大=大航海時代。1418年から約1世紀間。
2.ギリシアの科学古典、特にアレキサンドリアの厳密科学(ユークリッド、アルキメデス、プトレマイオス)の原本や翻訳の印刷。ちなみにグーテンベルグの印刷術の発明は1440年ころ。
3.思想史的には「新プラトン主義」と「アルキメデス的数学的自然観」と「デモクリトス的原子論」の復活。
4.社会史的には、イタリアを中心とする自由都市において初めて近代の「市民社会」が形成され、学者的階層と職人的階層が接近融合した。この点は、インドや中国など他の世界で近代科学が誕生し得なかった理由として、プロローグの鼎談でも議論しています。

第2章のテーマは「科学革命」で、第1節はその特質を8点にわたり列挙しています。
1.アリストテレス的世界像の崩壊。地球中心のコスモス的世界像、一定の形相の実現を目指す目的論的な生気論的(物活論的)世界像が否定された。
2.「科学的方法」がはじめて確立された。その方法とは、単なる観察とは区別された構成的実験を行い、そうした実験に現れる量的関数関係を数学的に把握し、こうした因果的数学的関係を法則として樹立するもの。
3.科学が累積的知識となる基礎がおかれた。それ以前はいくら観察・観測・実験を重ねても曲げて解釈され、知識が積み重なることがなかった。
4.3により科学的知識の加速度的(指数関数的)進歩が始まった。
5.制度としての科学が成立した。平等な個人研究者からなるさまざまな科学の学会がつくり出された。
6.「科学と技術の提携」が原理的に可能となった。アリストテレスの観照的科学からベイコンの操作的科学へ。
7.6により科学が社会・人間生活に大きな現実的影響を及ぼすようになった。
8.科学の担い手に大きな変化が起こった。それまでのような世界全体を思索する哲学者ではなく、自然現象の限定された個々の問題を取り上げ、それに理論的考察を施すと同時に、仕事場の実践的技術、実験的操作にも従事し、こうした個別的問題を現実的かつ知的に処理しようとする実践的にして合理的な知識人、つまり今日の科学者と同じタイプの学者が初めて登場し、彼らがその後の科学を推進していく。

第2節は個別科学における科学革命を運動論に即して具体的に見ていくのですが、すでにある程度ご紹介しているので、表だけ引用しておきます。
 各分野における科学革命の段階的整理
      旧思想の体系    中間段階     科学革命の進行   
 力学  アリストテレス インペトゥス理論 ガリレオ┬─ニュートン
 天文学 プトレマイオス  コペルニクス  ケプラー┘
 生理学 ガノレス     ヴェサリウス    ハーヴィ
 化学   錬金術      ボイル      ラヴワジェ
巻末の年表と見比べると、化学は他分野と比べて遅れたのが分かります。

第3節では、科学革命の思想的支柱として次の3点を挙げています。
1.ブルーノにおける無限宇宙論の確立=コスモス的世界像の破壊
2.デカルトにおける機械論的世界像の形成。「精神を物質から分離すること(身心分離)」。「物体即延長」
3.F.ベイコンにおける自然支配の理念の確立。「知識は力である」"Scientia Potentia est"
ブルーノの意義を大きく評価している点が村上さんの『宇宙像の変遷』と異なります。

次に大きく飛んで(^^;、第13章後半の「現代文明という変革期」を駆け足で見ておきたいと思います。
・量的増大の原理の破綻
・要素主義の反省
・決定論の没落
・西欧中心主義の終わり
・「情報革命」から「環境革命」へ:今日の文明の転機を根底において規定するものは環境革命である。その内容は以下の3点。
・科学技術の変革:科学(science)は、その言葉が示すように、知識(scientia)として出発したが、今やそれは単に知る(scio)ことのみならず、その知識が人間や地球の生とどのように関わるかということを十分にわきまえる(sapio)叡知(sapientia)へと変わってゆかねばならない。科学技術は、今やうちに閉ざされた自存的な体系ではなく、つねに人間の生、地球の存立に深く関わる「生存のための科学技術」「地球のための科学技術」として、はっきりとした目的意識をもたねばならないだろう。
・世界観の変革:
 デカルト批判;「思惟」と「延長」の間に、「生命」を脱落させてきた近代の機械論的世界像こそ、人間と地球の共生を実現させるために、今や最大の認識論的桎梏と化している。
 ベイコン批判;人間は自然と対立するどころか自然の一連の自己組織的発展の一段階にすぎない。人間はこの宇宙の自己組織系の中で適合的に生きていくべきであり、人間だけがそこからはみ出して他のシステムを壊してゆくことはもとより正しいとはいえない。人間や生物はおろか、地球も宇宙も生きている。
・文明の変革:われわれはこれまで自然の改造や世界の改造についてしばしば語ってきた。しかし、今日本当に必要とされているのは、巨大な物的欲望の化け物となった人間の改造そのものではないだろうか。文明の概念軸をこれまでの外的物質的なものから、より内的精神的なものへと移し、人間の生き方、文明のあり方をも大きく変換しなければならない。

鼎談形式のプロローグとエピローグで目立つのは、当時盛んだった反科学運動を取り上げて、特にその心情主義を批判していることです。
このあたり、時代背景が変化したことを痛感します。

アディショナル・ノートは15ページあります。
「1975年から2002年に至る科学の進展を概観して」という副題通りの内容で、丁寧にまとめられていると思いますが、本文との関係を感じさせません。
執筆者が違うので、やむを得ないでしょう。

巻末に「事項索引」が14ページ、「人名索引」が8ページあります。1995年に改訂新版が出されたときに追加されたもので、本書の価値を高めていると思います。
また、やや変わった試みとして「科学思想史年表」というものが9ページあります。これは年表に科学者の生きた期間を実線で記入したもので、誰と誰が同時代か、どちらが歴史的に先行しているかというようなことを一目で確認するのに大変便利ですが、よく見るとあまり正確ではありません。人名索引に生没年が記載されているので、そちらで確認する方が賢明です。

本書は科学史を通観した古典です。
今回はほとんど触れなかった村上さん、広重さん執筆部分にも興味深い内容が多いので、自然科学の歴史に関心をもたれる方はぜひ一読されるようお勧めします。


★ 伊東さんは私の恩師のお一人といってもよいと思います。その割には今回初めて読んだわけですが(^^;