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…のあらすじ

夫、風邪をひく


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2024年1月24日水曜日

義父が亡くなってから丸1週間。


この前日までに、入院していたしい病院から請求書が来ていた。

夫の体調も良くなり、通夜2日前でもあるので、

そろそろ本格的に動かねばならない。


しい病院へ入院費の支払いに行く。

12日に入院し17日に亡くなるまで6日間と短期間だったため、

夫の財布に入っていた分で間に合った。

入ったらいきなり患者さん倒れてびっくりした…


危篤の報せを受けてしい病院に行った時は、行きは余裕がなかったし帰りは暗かった。

住宅地のど真ん中にそびえ立つ、前身は軍の病院。

その遺構があると知って、意識して見たら確かにあった。

義父関連でしい病院に行くのはこれが最後となる。と思う。


その後地元駅前のスーパーに車を停め、

近くの銀行で夫がお金を下ろす。

葬儀費用は振込になるのでそこでの大金は必要ないにしても、

夫の給料1.5ヶ月分の御布施等は包んで手渡しになるし、今後何にいくらかかるのか分からないので、

とにかく多めに下ろしておこうということだ。


スーパーで買い物して帰宅。

昼食にしようと用意していたら、

今度は義母の入院するあい病院から電話があった。

前日入院中の外出について問い合わせていたのでその返事である。


結果、外出は許可が出たが車椅子必須という。

病院と式場えむ斎場間の移動も含めてこちらで検討しないといけないようだ。

ただ、肝心の義母本人の意向を聞いていない。

この後面会に行くのでまたその時に、と伝えた。


すぐ夫にそう社の担当はいさんに電話するよう指示し、

車椅子を手配できないか聞いてもらった。

手配可能という返答をもらった。

まぁ葬儀という場面の特性上用意はあるはずだ。


午後、面会へ。

病棟移動になって初めての面会なので部屋番号を教えてもらう。

ナースステーション真後ろの部屋だった。

前の病室より個々のスペースが広い。


義母は寝ていたが、夫が声をかけると起きた。

まだ私達のことは認識できるらしい。

覚悟を決めて夫が伝えた。

以下、夫が水色、義母がピンク


「あなたの旦那、〇〇、わかる?」

「わかるわよぉ」

「亡くなったの」

「え…そう…だってまだ若いでしょう」


お、理解したっぽいぞ。

なお義母の方が義父より1歳半上である。


「いやぁ…最近会ってなかったからねぇ、悲しいとかよりも…なんとも言えないねぇ」


そりゃあ、前年の硬膜下血腫での入院以来義父母が会ったのって、

手術の時と10月のゆうホームでの面会の時だけだもんなぁ。

そして多分今の義母はどっちも覚えていない。


「週末お葬式なんだけど」

「こんな体じゃ無理でしょう」

「じゃあ行かない?」

「行けないわね」


ということで、義母の意向は「行かない」だった。

今年で結婚60年、永遠の別れの場に妻がいない。

夫は「俺が喪主挨拶で言い訳すればいいから」と受け止めていた。


病室をあとにし、ナースステーションに外出の件のキャンセルを申し出た。

帰宅後はいさんに電話して、車椅子もキャンセルにした。


翌25日、通夜前日。


まず近所を回って義父が亡くなりしばらくバタバタすることを伝えに行く。

真っ先に行ったのは、2022年秋に義父が体調を崩した時に、

義母が助けを求めたご近所さん。

詳しくは↓


このご近所さんは町内会の役員も務めていらっしゃる。

実は今年度、町内会の当番が我が家なのだが本来は義実家で、

当番が回ってきた時点で義父は入院していたし義母も腰椎圧迫骨折と物忘れ(認知症)で無理と判断。

このご近所さんに相談して、1軒にまとめて我が家で受け持つことにした。

そこでもご面倒をお掛けしている。

他に回ったご近所さんも、義父母が古くからお世話になってきた方々だ。


戻ってきたら今度は義実家の掃除。

翌日通夜の打ち合わせをする際に後飾り祭壇を置くので、その場所を整えておかねばならない。


この部屋は、

・元は義父母の寝室

・義実家の中では一番広く、玄関から入ると最初に通る和室

・義父も義母も介護ベッドを置いていた

・先日照明のリモコンが壊れて買い換えた

という、要は『今は何も無い部屋』である。


部屋にあった細かいものを他の部屋に移す。

打ち合わせに使うリビングも、テーブルにあったものを片付けて掃除機をかける。

幸い目立って汚いわけではないのですぐに済んだ。


その後自分が葬儀で履く靴を出そうと2足ある黒の靴を出したのだが、

1つはキツい。

もう1つは表面が破れているしキツい。


え、

私の足、成長してます?????

太った…にしても足って太るんかね


しかも元々25cmあるのだが、

それがキツいんだから25.5cmはないとダメらしい。

急遽買いに行くことにしたが、

そんじょそこらの靴屋じゃこの足に合う靴なんぞなかなか…


と思ったら、

東京靴流通センターにありましたぁ〜ニヤニヤ

もうここがなかったら生きていけない私。


葬儀では喪主の妻として動かねばならず、踵の低い靴を選んだ。

ストッキング素材の靴下で行ったが、やはり25cmはキツかった。


靴屋から帰宅後、書留が届いた。

義母宛だが、義実家にいない場合は我が家にとドアホン横に貼っているので我が家が預かる。


義母の後期高齢者医療被保険証だった。

期限は7月末なのでまだ先では、と思ったら、

義父が亡くなったことで世帯収入が義母の年金のみとなり(義父の年金の3分の1にまで下がってしまう)、

負担割合が2割だったのが2月からは1割に下がるんだそう。


と、いうことは、

そう社での打ち合わせで預けた死亡届が受理されたことになる。

そしてこれをあい病院に届けなくてはならないのだ。

なんだ昨日までに届いていれば面会と一緒に行けたのに…

まぁ葬儀終わってからでいいや。


次回、通夜当日。



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◎我が家は今回そう社からもらった



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