いつもありがとうございます。


レイキとアロマの小さなお店

ホリスティックサロン伽蘭


セラピストの辻 朋伽です。




私は長年、看護師として働いてきましたが、



とくに志望動機はなく、



むしろ子どもの頃は、



学校の先生になろうかな などと



考えていました。





高校3年生となりいよいよ進路を



決めなければならない状況にあたり



手に職があれば食べていくのには困らないこと、



大学が実家の近所であったことから



急遽看護師になろうと思いました。







無事に大学入学でき、



あっという間に大学4年生になって



どこの病院に就職するか



考えなければならなくなりました。




看護師は大変な職業のひとつとして



認識していましたから



ずっと続けていく熱意などなくて



3年くらいしたら保健師になろうと考え



とりあえず実務経験のための修行と思い



就職先を考えました。





保健師としての国際協力活動に興味があったため、



当時お世話になった教授にそのことを話したところ



『では◯◯病院の小児科にいきなさい』と言われ、



言われるがままに国際系に強い某組織を選び、



無事に就職できました。





国際活動はその過酷さを知り、



早々に目指すのは辞めました。






下積みの日々は大変でしたが



2人の子どもさんとの出逢いが、



私に看護師としてのやりがいや



楽しさを教えてくれ、



続けることができました。




ありがたいことに当時の指導者さんが



何かを感じとってくれたようで



当時パシフィコ横浜で行われた



日本緩和医療学会に連れていってくれました。



ちょうど就職して3年目のころでした。







緩和医療の在り方に目指している看護観が重なり、



都会でもっと学び働きたい、と思うようになり



上京を決意しました。



もともと全国展開の組織でしたから



幸い異動という形をとりスムーズに



上京することができました。








小児科の経験しかなかったので



まずは成人病棟で働き学ぼう、と



希望を出したのですが



配属されたのはPCU(緩和ケア病棟)でした。



分野の振り幅が大きくて



戸惑うことが多々ありましたが



4年かけて本当にたくさんのことを



教えてもらいました。



気付けば病気になる人を減らしたい、と



予防医学というテーマがみえはじめ



また、自分自身の死生観を考えるようになり



霊性について学び始めるようになりました。



ある2人のご家族から名誉な言葉をいただいて



「あ、ここでの学びは終わったんだな」と



腹落ちして病院を去りました。







早いものでそこから4年経ち、



今に至ります。




振り返ってみれば、



3年で辞めたいと思った仕事を続けていたり



原動力となった国際活動もやることはなく、



その時々で感じてきた、



◯◯したい、◯◯しよう、といったことは



結果としてそれらが思った通りに



実現することはなく、 



かといって何の問題もなく、



想定していなかったこともたくさんありましたが



どれもが大切な経験で、



自然なままに今日ここまで導いて



もらってきたことを実感しています。



導かれていくので、委ねること。



最近学んだことです。



自分自身やサポートしてくれている



見えない存在たちを信じて。