国は、誰のもの?、、、大統領?、総理?、、いいえ、民のものです。国民でなく民のものです。

 

 

 

どこぞ国の大統領が

「国を守れ」

「武器を手に」

「戦え」

、、、、と、民が犠牲になるのを強いています。

 

 

一体、民は、誰の為に犠牲になるの?

 

 

大統領の為?

 

 

国の為?

 

 

 

国と言うけど、民は、国に借りがあるの?

国と言うけど、民は、国を守ることで生きられるの?

国と言うけれど、大統領には護衛がいるが、民に護衛がいるの?

国と言うけれど、民の命は誰が守ってくれるの?

 

 

大統領は、いいよね。

最前線で戦わないから、鉄砲にも当たらない。

大統領っていいよね。

自分の周りに護衛がいるから。

大統領っていいよね。

民を生かすも殺すもできるのだから。

 

 

 

今の世界。

権力者が、一番低能だ。

 

 

国の大統領になると

民の命までも自由にできると思っている。

 

 

そんな権力を与えていないのに。

 

 

 

民は戦うとすれば

民が愛する人を守るため。

 

 

それは相手を殺す事じゃなく

相手にもわかってもらうことで

相手と共に生きるため。

 

 

殺すことすれば

憎しみしか残らない。

 

 

 

殺すことを命令するのは

悪魔だ。

 

 

 

人の命を奪っていると、

自分は被害者だという意識を周りに触れ巻いている

虚け者がいる。

 

 

人の命を奪っているという、その張本人が

日常で、他人の命を奪っていることに

考えが及ばない。

 

 

自分がしてきたことを

都合よく忘れて

他人を責める。

 

 

これが、今の世界だ。

 

 

このブログで、「民」と書いたのは

国民じゃないと云う事を言いたいだけ。

 

 

国民は、国に縛られた隷従者。いわば、奴隷に近い。

民は、地球に生きる人の事だ。

 

 

地球そのものが誰のものでもないのに

勝手に線引きして

国と言う『檻(おり)』をつくり、同志だというだけで

他の檻の民と、檻の広さを競っている。

 

 

檻の広さを広げる為に

民を殺すことを覚え、戦い、民族の血を吸って気勢を上げている。

 

 

地球に生きる民が同じ民を殺して

地球の恵みを独り占めしようとする。

 

 

民の心は、

共存共栄なのに

国民は、国に縛られ、国に忠誠を誓って

国の民の奪い合いをして、国の民でも殺しまくる。

 

 

ウクライナの悲劇は

米国が

ゼレンスキーの小番さんになったことだ。

 

 

米国の威厳もなく

ゼレンスキーの猛獣に屈して

猛獣の命令に右往左往する。

 

 

こんな米国に憧れていたことを恥じる。

 

 

人の命を

大事と思わない米国に、憧れていたことを恥じる。

 

 

米国の国務長官は、いわば外務大臣。

殺し道具の運搬屋になってしまった。

 

 

 

ゼレンスキーと言う猛獣遣いは

欧米を手玉に取って

ウクライナの民に

国民だと、決めつけ

「死んでも国の為に戦え」と繰り返す。

 

 

その果てに

ゼレンスキーは生きているのに

民は、死んでいく。

 

 

こんな不平等、可笑しくないか?

 

ゼレンスキーだって一人の人間。

何故、ゼレンスキーに玉砕を命令されなければならないのか。

 

 

死んで花実が咲くものか。

 

 

民は自由なのです。

国為に死ぬなんて間抜けです。

 

 

生きてこそ人間です。

 

<進>