世界中で、行われるその国の指導者を決める総選挙で

当選した人の思い違い、勘違いが甚だしい。

 

これを、民主主義と置き換えているが

民主主義でなく、

多数という力による独裁主義ともいえるのではないでしょうか。

 

 

総選挙で、多数の支持を受けたことで

当該国の政治の主権を担うだけなのが

時の大統領、首相、総理と選ばれるだけのこと。

ただ、多数だったということだけ。

 

 

たまたま比較上の、多数です。

 

 

多数の意見で、政治の大きな方向性は

国民が選択したのですが

それは絶対的なものでなく

多数決者に隷従しなければならないということでなく

大きな流れの方向性の選択の範疇である。

 

 

言い換えると

国民の半数に満たない人の存在の反対者がいると云う事を

常時、念頭に置き、その人の為にも

政治が行われなければならないのです。

 

 

一方だけの思考で決めたなんていうことは

有り得ないのです。

 

 

よって、多数決で決められた権力者が

自分が思い描く国づくりに

全国民を従わせるなんて

おこがましい、奢りです。

方向性に邁進しても、強制してはいけないのです。

 

 

常に意見の違いを意識して

違いの人たちに同意と説得をすることが

基本中の基本なことで

それが必要事なのです。

 

 

今、ウクライナとロシアの戦争を見ると

どちらも、国家が自分のものだと思い込んでいます。

よって、国が自分のものだから

国民が自分を選んだのだから、と

国民は、自分の言いなるになるものだと

決めつけています。

 

 

指導者の大いなる勘違いが、これでしょう。

 

互いに意見の違うことは足り前の事。

だから

国民としての意思を尊重せず

指導者の決め事に国民を隷従させるなんて

過信であり、独裁です。

 

 

その最悪なのが

意思の違う国民を殺す、ということです。

 

 

また、意思の違う国民を差別することも同じです。

 

 

思想が違う、、、こと、

当たり前です。

 

指導者に、他人を殺させる義務とか命令は

権力者の遊びであり

強欲で、傲慢で

気違いです。

 

その逆に

命の危険なことに

絶対負けるなと、戦いを強制することも

権力者の思い上がりです。

 

遊びの政治は絶対禁止です。

 

 

ウクライナ・ロシアの大間違いは

それぞれが、国を自分のものと思うことです。

 

当該国の政治の代表であることであっても

それぞれの国民に、人殺しを強制する権利はありません。

 

 

当該国の代表の責務は

暮らしの安定であり

国民の中で暮らしの差別を出さないことです。

 

 

あらためて強調したいことは

「国は、誰のものでもない」

「国民は、互いのためにいきるものだ」

と云う事です。

 

 

政治を

自分勝手に使いまわししないでください。

ゼレンスキーも

プーチンも

当然、バイデンも

おおバカ者です。

 

 

国民と言う言葉を勘違いせずに

国民は、たまたま生活圏をともにした集団でしかないのです。

 

 

国を守れ、とか、

国を守る、と言う言葉は

大勘違いです。

 

 

国は、たまたまの生活圏の仕切りに過ぎないことを

改めて考えて欲しいと思います。

 

<進>