狂躁亭日乘・年末聴きたい曲161229 | おととひの世界

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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
(1840~1893)

      ピアノ組曲
 『  四季  ~ 12の性格的描写  』
     作品37bより『 12月 』
   4分半くらい

チャイコフスキーは
ロシアの小貴族で

のちのストラヴィンスキーなどと同じく
当時のロシアの最高学府の大学の
法学部卒業生です

陸軍士官学校にも行き
役所に奉職している

日本旧陸軍の陸士出で
東大法学部卒みたいなもの

三島由紀夫が東大法学部卒業して
大蔵省いってるけど

陸士海兵には入っていない
徴兵検査で引っかかったとか
言ってるけど

本当にそこいけるくらいの出来であれば
経理学校行ってますよ

だからチャイコフスキーも
ストラヴィンスキーも

当時のロシアの大変なエリートだった
ことがわかります

現在のピアノ奏法の基本を確立した
と言っていい19世紀の大ピアニスト

アントン・ルービンシュタインの弟
ニコライ・ルービンシュタインに
見出され

音楽家としての道を歩み出す
しかし人生の前半はとてもじゃないが
作曲1本で食ってはいけず

国立の音楽院で教えていたわけです

ところがそこへ
思いがけない申し出が

ドイツの鉄道王の未亡人
ご本人はロシアの方ですけれども

ナジェージタ・フォン・メックという人
大変音楽に理解がある教養ある人です

この人が全面給費型の援助を
申し出てくれた

しかも成り金の金持ちみたいに
しょっちゅう側において
ご機嫌取らせてみたいなことは
一切させない

好きな時に好きな作曲をしてよい

ただ心の友としていてもらいたい
文通の相手になってくださればそれで

しかも定期的に合わなくてもよいと

チャイコスキーは彼女に
一生あいませんでした

ただメック夫人は陰ながら
いつも見てたみたいですよ

チャイコフスキーの後期の傑作
こうして生み出されていたんですよ
なかなかありえない事でしょこれ?

しかし19世紀にあっては
こういうこと珍しい事ではなかった

19世紀の偉大な文化人の陰には
必ず女性のパトロン・スポンサーがいた
と言われ

多くは金持ちの未亡人です
19世紀の偉大な文化は

特にヨーロッパですけれども

『未亡人文化』と呼ばれて
お金持ちでしかも教養がある
魅力的な女性が
最もモテていた時代だったんですよ

男本位の下品な言い方で悪いけど
キャピキャピの美人とかいうわけでは
必ずしもありません

オカネを持っていてそこそこ美人で
しかもすごく教養がある人
大体そういう人ですね

歴史に残ってるケースは
結構あったみたいだけど
こういうケースで最も有名なのは

若い頃からストラヴィンスキーを
援助していた

あのココ・シャネルさんね
『シャネル&ストラヴィンスキー』
という邦題で映画になってますよ

なんとストラヴィンスキーの最晩年まで
関係は続いたみたいですね

オカネを使うのには教養がいるんですよ

教養がナイと
オカネを持っていても

くだらないことに突っ込んで
それで終わり

20世紀の文化は結局
企業スポンサーになって
ダメになったというのが
よくわかりますね

19世紀ヨーロッパの偉大な文化
というのはほとんどが
女性の作品だったんです

ちょうどバーチャルキャラクターである
東洲斎写楽の正体が

おそらく蔦屋重三郎という版元であった

蔦屋重三郎が出版プロデューサーとして
美術プロデューサーとして
やっていた

諸々の才能を集めてね
私はそう思ってますけど

アノレンタルビデオで有名な

TSUTAYA

この人にちなんでるんですよ

19世紀の文化でそれに当たる人は
いっぱいいてほとんどが女性

フォン・メック夫人と
チャイコフスキーは
その代表格だったわけです

ともかくチャイコフスキーは
30半ばにして
金の心配が全くなくなった

そのころある版元から
雑誌連載毎月寄稿してくれと頼まれて
描いたのがこの曲です

四季折々12ヶ月
音楽にしてくれ

6月のバルカローレ・舟歌とか
11月のトロイカとか

おそらく耳にしたことがないひと
いないんじゃないですか?

チャイコフスキーは当時
あまり有名ではなかったんだけど
ロシア国内ではこの連載が
とても評判をとって

すっかり有名人になったそうですよ
12月は確かクリスマスなんだけど

いち年の終わりって感じ
私なんかには1番ピンとくる
心穏やかに落ち着いて後片付けか
なんかしてる感じ

もっともそういう12月を
いちども経験したことないんだけどね
慌ただしいばかりで
なかなか貧乏暇なしだと
そうはいかない

いつかこういう12月を
経験したいものだと思ってますが
最後3日間くらいはなんとかね