プーチンを縛る「ボリス・ゴドゥノフの呪い」 | おととひの世界

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・・・日本経済新聞なんか読んでると
「国際社会で孤立」するから彼らも
「いずれは歩み寄る」だろうね・・みたい
なことばっかり書いている。天安門事件
以後の中国とか、ウクライナ事変以後の
ロシアね・・。事変と書いたのは、誘致され
た外患によって起きた事件だからですよ。

バカだね・・。そんな横並びのメダカ思考で
いつも予測を外すんでしょ・・?はっきりと
言っておかなきゃね。「投資」も「投機」も、
多数派の向こうを張ることによってしか
儲からない、成功しないんですよ・・。
それがわからないから、この国には相変
わらずネズミ講がはびこるわけ・・。その
下地を作ってるのはああした経済マスコミ
でね。「みんなが儲かる」・・?
そんな話は最初からないんだよ・・。

あたしゃプーチン閣下の肩を持つ気は
全くないけどね。それでも私が同じ立場
なら、全く同じことをやるだろうね・・。
なぜって・・?それはロシアって国の歴史を
少し紐解いてみればわかることだよ・・。
何しろ西側の連中の言うことを聞いて、
トクしたリーダーってのは歴史上1人も
いない・・。近くエリツィンがそうだろ・・?
西側の連中の言うとおりにしていたら
新生ロシア国家デフォルトがしたわな・・。

ゴルバチョフだってそうだよ。
このところの日本のリーダーに比べれば
めちゃくちゃに開明的で英邁な指導者だ。
それでもあの人の評価は、ロシア国内では
「しくじったリーダー」でしかないんだ。

共通しているのは、西側の言うことを
聞きすぎたリーダーだったってことだ。

ゴルバチョフは旧ソ連を計画倒産させた人。
その意味では江戸無血開城時の勝海舟役。
旧ソ連が崩壊する時、やる気になれば
西側に核ミサイルの雨を降らせることも。
しかし彼は理性的にやらなかった。

なぜか・・?それは西側、特にアメリカが
NATOやEUを東ヨーロッパに
拡大するということはしない・・・と
約束したからだ。

しかしこの約束は守られなかった。
現状を見ればそれは明らかだ。つまり
ゴルバチョフは結局、騙されたんだ・・。


しかもこれはロシアの歴史上、昨日今日
の話ではないよ。400年以上前からだ。

現在のロシア、国家の血脈から言えば
モスクワ大公国の後裔国家、同じルーシ
でもキエフ公国の末裔・ウクライナとは
別系統だ。ちなみにロシアの語源にも
なっている「ルーシ」は「水の向こうから
来たもの」の意味。地中海からボルガ川
、ドニエプル川をさかのぼって定住した
バイキングの末裔だ。それがスラブ人と
混血した。だから彼らは必ずしも、
ユーゴスラヴ族やブルガリア人、
ポーランド人とは仲が良いわけではない。
それほど尊敬もしていない。
むしろスウェーデン人なんかに親近感を
持っている。片思い的に。感覚が近いんだ。

西暦989年、初のスラブ族キリスト教国家
としてまずキエフ公国ができた。しかし
200年後、モンゴル帝国に敗退して征服
された。こうしてロシアは2世紀半にわたり
キプチャク汗国のー部になっていた。
長期にわたるモンゴルの征服は、価値観
まで及んだ。鼻が低く目が細い男が
ハンサムに見えるほどにね・・。
伝統ある旧キエフ公国の民は
このような風になびかなかった。
しかしモスクワ公国は違った。

彼らは積極的にモンゴルにおもねった。
その努力の結果、徴税権を得て
カネをせっせと蓄えた。その人こそ
イワン1世。イワン雷帝ことイワン4世
のひいじいさんだ。彼はともかく蓄えた。
がま口イワン・・・とまで言われた。
その努力は結局、イワン雷帝による
ロシア再統一につながったわけだ。

ところがこのイワン雷帝という男
おそらく世界中の暴君ランキングでも
確実にトップクラスになるぐらい
凶暴極まりない男だった。
目つきが気に入らないだけで殺す男だ。
息子のイワンもまた輪をかけて凶暴。
ところがこの親子、息子の嫁のことで
喧嘩になった。癇癪起こした雷帝は
鉄の杖で息子を殴ったところ
当たり所が悪くて死んじまった。

イワン雷帝は無茶苦茶に後悔した。
80キロだか120キロだか、葬式の列を
息子の墓まで裸足でついていたらしい。
そこまでするならはじめから殴るなよ。

妾のマリアの子、ドミトリーは
てんかんの発作で死んじまった。

もう1人の知恵遅れの息子フョードルが
後継者にノミネートされた。しかし
もともと子供ができるわけもなく・・。

後継者の皇帝フョードルも数年で死んだ。
ここにはイワンの王朝・リューリク朝は
5代目にして断絶してしまった・・・。

形の上ではイワンの部下だが、
実はイワンの妻・アナスタシアを毒殺した
陰険な敵であるボヤール・大貴族から・・。
血統から言えばそういう順序に・・。

しかしイワン雷帝が摂政に指名したのは
モンゴルタタール系の下級貴族出身の
武装親衛隊長でKGBの前身にあたる
ロシア秘密警察・オフラナの創設者、
ボリス・ゴドゥノフだった。

彼はフョードル時代の難局を
摂政として如才なく乗り切り、国民
から圧倒的な信望を得ていた・・。だが
血統が悪かった。なにせモンゴル系だ。
皇帝に即位すれば貴族の反発は必至。
そこで彼は一計を案じた。

1453年、オスマントルコによって
滅亡させられた東ローマ帝国の
東ローマ教会を、モスクワを第3の
ローマとして正式に迎え入れ、
その教会の強い推薦によって国民に
支持され帝位に就く・・。
そして貴族を丸め込む。

こうしてボリス・ゴドゥノフは皇帝になった。
このあたりのやり方はプーチンに似ている。
どちらも秘密警察、特務機関の出身者。

1598年のこと。西欧ではまさに絶対
王政時代。日本では徳川幕府成立前夜。

出だしは大変うまくいっていた。
何しろ国民の圧倒的な支持で出来た政権。

しかし、幸運は長く続かなかった・・。

大火災・・。大地震・・。そして大飢饉・・。

これを見た大貴族たちは動き出した。
あろうことか外国の勢力と手を組んだ。
宗教改革によってドイツという
金城湯池を失ったローマカトリック教会。
そしてその手先の謀略軍事組織イエズス会。
さらに北欧のカトリック大国・ポーランド。

彼らが死んだはずのイワン雷帝の遺児
偽物のドミトリー皇太子を担いで
ウクライナを先導してロシアに攻め込んだ。
このあたり現在の構図にそっくりだ。

ボリス・ゴドゥノフは開明的な男で
エリザベス朝のイギリスやデンマークに
接近した西欧諸国よりの外交をやったが
これらが結局全て裏目になった。
ポーランドとカトリックの連合諸国に
バルト三国まで尻馬に乗って
ロシアを占領・・・。ボリスは狂い死にし
その家族はみな虐殺された・・。

しかし余所者の統治がうまくいくはず
もなく・・、偽皇太子ドミトリーは
1年後に虐殺され、彼を招き入れた
大貴族ワシリー・シュイスキ一も
まったく無能で統治ができず追放された。

するとそこらじゅうで再び
第2、第3の「ドミトリー皇太子」が出現。
ここにロシア国内は皇帝だらけになった。

そこで大貴族会議が招集された。
もうドミトリー皇太子は認めないと
いうことになった。その上で
イワン雷帝の血筋に最も近かったもの
すなわち最初の妻アナスタシア・ロマノバ
の実家・ロマノフ家の当主を皇帝に・・・。

これがロシア革命まで続いたロマノフ朝。

どうだね?このような歴史を経験した国が
なぜ今更西側の言うことなんか聞けるかネ?
ホイホイと聞くようなら、ソイツはバカだ。
今まで西側の言うことを聞いて
結局得したリーダーは1人もいないんだから。

プーチンが聞く耳持たずだって・・・?
聞く耳があったって聞かないよ。だろ?