グールドはカラヤンの演奏したシベリウスの交響曲第五番を「率直に言って音楽的、劇的体験としてわたしの人生で真実忘れられないものの一つ」とし、自らのラジオ・ドキュメンタリーに使用したばかりか、無人島に持っていく三枚のディスクの一枚に選んでいる。グールドによるカラヤンに対する記述は非常に多い。
「ショトラウスのメタモルフォーゼンを、わたしは紙の上の一つの観念として三十年近くも愛してきた。しかしその間ずっと、この曲は二十三の勝手気ままな弦楽器が六-四の和音を求めて走り回るための乗物にすぎない、としか考えなかった。ところが二、三年前にカラヤンの主導力のある録音をはじめて聴いたとき、その考えはがらりと変わった。何週間にも渡って、毎夜二、三回はこのレコードをかけた。」
「これまで私が観たもののうち、最高傑作を二、三挙げるならば、そのうちのひとつ~《中略》~とにかく圧倒的な名演で、私はCBCで個人的に見せてもらえるように頼んだほどです。」
カラヤンもまたグールドを高く評価し、競演した際に「説得して舞台の先端から指揮してもらう」ことも困難ではなかったと述べている。カラヤン自信、自伝にて以下のように述べている。
「グレン・グールドはなんという音楽家だったろう。彼の吹き込んだものをじっくり聞いてみると、こうしたすべてのことをわたしは感じる、-正しいテンポを見つける彼のやり方、その楽器の扱い、バッハにおける構造についての知識-。彼が公開演奏から身を引いたこと、彼専用のスタジオを持たざるをえなかったこと、自分自身の望むところを正確にそのまま音楽にしたこと、わたしはそうしたことをいつも理解してきた。彼ほどの能力を持ったピアニストは、こんなふうにしか生き延びることは出来なかった。彼の死は、世界にとって大きな損失だった。」
カラヤンもグールドもお互いの芸術性を高く評価していた。共にレコードと映像に高い興味を示し、無限の可能性を確信していた。しかし、決してカラヤンがグールドのようにコンサートをドロップアウトしなかった点は興味深い。オケとソロの違いはあれど、おそらくカラヤンであれば状況的には可能だった筈である。グールドは聴衆をモンスターとみなし、カラヤンは「音楽を愛する人々との直接なコンタクト」を拒絶せずに「別物」とみなした。
今日では彼らの生きた時代から更にテクノロジーが進化し、レコード産業は衰退を迎えた。人々は生の演奏を聴く機会があれば金を払うが、録音されたものに金を払うのは馬鹿馬鹿しいと考えるようになった。自然淘汰されたのが、コンサートではなく録音だった点は皮肉である。

SICC-908
Beethoven: Piano Concerto No.3/Sibelius: Symphony No.5
Glenn Gould & Herbert Von Karajan Berliner Philharmoniker
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番&シベリウス:交響曲第5番
グレン・グールド&ヘルベルト・フォン・カラヤン
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1957年5月ベルリン高等音楽院ホール