スポーツが闘争を基本にする理由、武術が闘わないことを最上とする理由 | 読む整体【からはだふくらか】@伊豆長岡

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俗に“野口整体”と呼ばれる、野口晴哉の整体の特徴の一つに、「体癖」があります。
 
身体の使い方の癖によって、感受性、思考、優位な感覚などなどが、それぞれ違い、それは、ほぼ、同じ人間同士とは思えないくらいの違いになります。
 
ときに誰かに対して「なんでそうなるの?」と感じる時は、おおよそ、体癖の差異を目の当たりにしているときだと考えて良いでしょう。
 
自分の感じ方、考え方が、体癖に沿ったものであると同時に、相手の行動、言動もまた、体癖に沿って現れてくるものなので、しばしば、お互いに、相手を理解することが不可能、という状態に陥り、衝突が起こりやすくなります。
 
そこに文句を言っても、平行線のまま、どうにもなりません。
 
お互いが違う生き物なんだ、という理解があって、初めて相手の行動に対して、「どうして」という問いは始まります。
 
ですので、「体癖」を知っておくことは、人間関係のストレスを確実に軽減させることになり、円滑な人間関係の礎となるものです。
 
ということを、仰っているのが精神科医の名越康文先生で、ライフワークとして、ずっと講座を持たれています。
この「体癖」は12種に分類されていて(名越版は10種)、それらは、階調を持っていますので、結局千差万別なんですが、身体の強張り、滞りなどにより、「体癖」が上手く表出できなくなったり、逆に出過ぎておかしくなってしまう、ということにもなります。
 
究極的にはある一つの状態に向かうべき、理想ではあるのだと思います。
 
 
その「体癖」には「ねじれ」と言われるものがあり、「泌尿器型」とも呼ばれます。
 
何度かここでも書いています。
 
 
で、スポーツです。
 
野球、サッカーなど球技、陸上競技、格闘技、まあ、何でも良いですが、基本に「ひねり」という動作があります。
 
ということは、「ねじれ」の要素を強めることになるので、否が応にも「勝ち負け」に拘らざるを得なくなる、ということになっちゃうんですね。
 
日本のスポーツ界隈が、ともすれば「我慢」を強いて、根性論、みたいな方面に行ってしまいがちなのも、この「ひねる」という動作が基本にある以上、仕方のない部分があるのかもしれません。
 
翻って、武術を見てみると、甲野善紀さんが提唱されているように「ひねらない」というのが基本です。
 
ねじっているようで、ねじらないのが武術的な身体の使い方。
 
「捻る」動作というのは、時間が必要になります。
 
ひねって、溜めて、爆発させる、というのがその動きです。
 
ところが、武士は、いつ襲われても対処できる状態に在る、というのが嗜みです。
 
そうすると、捻ってる時間は無いわけですね。
 
急に襲われたときに、「ちょっと待って」と身体をねじっている間に斬られちゃいますからね。
 
当意即妙に対応できる力を身につけることが武術には必要とされるわけです。
 
それが、未熟だったりで「ひねり」を持ったままだと、闘争的になりますので、やたらに人を襲ったりしがちになる。
 
危ないヤツになってしまいます。
 
だから、妖刀、なんて言われるヤツは、刀自体のバランスが悪いか何かの影響で、身体にひねりを生むことが避けられないせいで、やたらに、人を襲いたくさせてしまう、のかもしれません。
 
「ひねらない」動きを身につけると、武術は本来的に、人殺しの技術でありながら、闘争に意欲を持ちにくくなりますので、今度は、その技術を高める、という方向にエネルギーが向けられ、引いては、非常に精神的なものになりやすい、ということなのだと思います。
 
純粋に身体の動きを追求していく武術はやがて、木刀で竹を斬ったり、雨粒を壊さず斬る、などという、信じられないような身体能力を発揮するようになっていきます。
 
「勝ち負け」はどうでもよく、己がどこまで高みに登れるか、のみが興味の対象となります。
 
 
さて今度は、武士と兵隊の違いというところを見てみますと。
 
その差は、より我慢を強いられるかどうか、という面があるように見受けられます。
 
日本の教育は、明治以降、一貫して、工場労働者、機械の歯車として優秀であることを求め続けています。
 
そこでは、自分を出さず、強調し、我慢に我慢を重ねる人が、優等生とされるわけです。
 
ところが、抑圧を重ねることは圧縮を生み、やがて、制御の効かない爆発を引き起こすことになります。
 
我慢はねじれを生みますので、我慢を続けると、どうしても闘争的にならざるを得なくなります。
 
 
体罰が横行するような組織や、団体は、ですから内紛の可能性を自ら高めていることになります。
 
 
以前の記事でもご紹介していますように、今の日本社会は「ねじれ」の要素がどうも強いように感じます。
 
これは、私がそうだから、そう感じやすい、という面もあるかもしれませんが。
  
今、社会は我慢、我慢、我慢、我慢、、、。
 
 
ということは、ねじれて鬱憤が溜まり、エネルギーが圧縮して、爆発する機会を今かと待ちわびている状態、だと言えます。
 
自粛警察だ、何だという方は、早目に爆発をしている人たちだ、ということに他なりません。
 
我慢を強いて、なおかつ、爆発も許さない、というのはそもそも、無理な話です。
 
爆発してはいけないというのであれば、我慢を強いることを止めるべきだし、我慢を強いるなら、爆発も止む無し、と考えるよりありません。
 
我慢は身体を捻らせ、ねじれているときは、身体に力が入ります。
 
力が入っているとき、感覚は鈍くなります。
 
それが募ると、自分の状態が把握できなくなるんです。
 
どちらもいけないと、とにかく我慢をしろ、となると、あとは身体と心を壊すよりありません
 
我慢をし続けていると思考力も下がります。
 
一度、解放して、楽な状態を作ってください
 
そうすれば、善後策が浮かぶやもしれません。
 

 

 

 

 


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(同内容の本放送と再放送です)



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次回は再放送が5月3日(月)19時。

5月16日(日)16時です。

 

ウィルスは生物でも無生物でもない

 

「私が実験室の内外で発見した病気の原因は、医薬品、食品、空気、土壌、水の汚染です。

ウィルスには核が無く、生きていない。」

 ・・・・Aajonus Vonderplantiz

 

「ウイルスは、単に有毒細胞の排泄物です。

ウイルスはDNAまたはRNAの断片であり、他にいくつかのタンパク質がある。

それらは細胞から出る。

その反応は細胞が毒されたときに起こるもので、病気の何の原因にもなりません。」

 ・・・・ Thomas Cowan MD

 

ウィルスが生物でない、という意味がこれで分かります。

 

 

ウィルスは原因では無く、結果だってことですね。

 

 

病気の人の身体を見たら、そこにウィルスってのがいた。

 

 

その状況証拠だけで、病気の原因に仕立て上げられた、えん罪です。

 

 

ウィルスが増殖しているように見える、ということは、つまり、身体が毒に素晴らしく反応したっていう事です。

 

 

とりあえず、ウィルス性の疾患といわれるものは、この世には存在しないってことです。

 

 

ウィルスに感染したいと願っても、それは無理だということ。

 

 

別の毒、そして気分によって、発症しているということ。

 

 

リーキーガットでウィルスが作られる、という説はかなり有力だと思います。

 

 

それに、別に病原なんて無くたって、目の前で、ゲロ吐かれたら、気分悪くなって、つられて吐くっていうのと一緒。

 

 

同調とかミラーリングとかっていうので病気に罹った気分になっている、という部分も、かなりを占めていると思います。

 

 

本人は本当に病気だと信じていれば、重症化だってしますよ。