【からはだふくらか】によって、全ての生命は、死ぬその時まで、快い身体で、愉しく、悦びにあふれた毎日を過ごします。
わたしは、死ぬ瞬間まで成長し続け、全ての生命から感謝を受けて、豊かな暮らしをすることができます。
ありがとうございます。
地球上の生き物の、大元は植物です。
彼らがいなくなれば、どんな科学の粋を集めた所で、人間は生きていけません。
再三お伝えしていますが、
種々雑多な生命のバランスを管理するものとして、進化の最終段階で生まれてきたのが人間
生命体のバランスを整えるのは、非常に難しい役目です。
それぞれの種に組み込まれたプログラムだけでは、突発的な変化や局地的なバランスの乱れに対応しきることはできません。
そこで、(中略)環境の変化を自らの頭脳と行動力によって整える働きを人間という種は担って生まれてきた
という言葉で、私は自分を肯定できるようになり、人間という生き物の存在意義を納得することが出来ました。
人間は、植物に畏敬の念を抱き、植物になろうとして、立ち上がった。
そう考えています。
海外からやって来た異国の人たちの目に、江戸の道路は保存状態が良い、と映ったそうです。
それは道が舗装されていなかったために、車を使うことが少なかったせいだということです。
太陽エネルギーだけで暮らしていた時代には、道路を石で固めて車で大量運搬する利益よりも、人間がかついで運ぶ利益の方が大きかったため、先祖は、野菜の供給地を含めてあまり広くない生活圏の中で生活するほかなかったのである。
太陽エネルギーしか使えなかった時代に、なるべく狭い範囲で自給自足の生活をしたのは、保守的とか進歩的とかいう思想の問題ではなく、限られたエネルギーの中で運搬に使うエネルギーを少しでも減らそうとする合理的な努力の結果だった。
東洋の自然観と、西洋の自然観の違いは、道路を石で覆い、足の裏が土と離れてしまったか、否か、ということが非常に大きく作用していると、私は考えています。
植物に追いつこうと立ち上がった人間が、土と縁を切ったことで、植物を超えて、自分が主役になろうと考え出した。
ですが、初めに言ったように、植物がいなくなれば、全ての生命も終わります。
排除したり、傷つけ合ったりしている場合じゃありません。
もう、本気で変わらないと、間に合わない時期に差し迫っています。
人間としての役目を全うせずに、地球の生命を途絶えさせてしまうことは、無責任なこと。
まして、生命の源である海を汚してしまったら、還る場所も無くなってしまう。
私たちは、今一度、土を覆っている石をはがし、土と足の裏を接触させて、植物に対し畏敬の念を抱き、足の裏と人間たる頭をつなぎ、考え、行動に移さなければなりません。
漫画で知るウイグル人の現状 by 清水ともみ氏
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「私が実験室の内外で発見した病気の原因は、医薬品、食品、空気、土壌、水の汚染です。
ウィルスには核が無く、生きていない。」
・・・・Aajonus Vonderplantiz
「ウイルスは、単に有毒細胞の排泄物です。
ウイルスはDNAまたはRNAの断片であり、他にいくつかのタンパク質がある。
それらは細胞から出る。
その反応は細胞が毒されたときに起こるもので、病気の何の原因にもなりません。」
・・・・ Thomas Cowan MD
ウィルスが生物でない、という意味がこれで分かります。
ウィルスは原因では無く、結果だってことですね。
病気の人の身体を見たら、そこにウィルスってのがいた。
その状況証拠だけで、病気の原因に仕立て上げられた、えん罪です。
ウィルスが増殖しているように見える、ということは、つまり、身体が毒に素晴らしく反応したっていう事です。
とりあえず、ウィルス性の疾患といわれるものは、この世には存在しないってことです。
ウィルスに感染したいと願っても、それは無理だということ。
別の毒、そして気分によって、発症しているということ。
リーキーガットでウィルスが作られる、という説はかなり有力だと思います。
それに、別に病原なんて無くたって、目の前で、ゲロ吐かれたら、気分悪くなって、つられて吐くっていうのと一緒。
同調とかミラーリングとかっていうので病気に罹った気分になっている、という部分も、かなりを占めていると思います。
本人は本当に病気だと信じていれば、重症化だってしますよ。