前回の続きです。
年内にこの思いを終わらせよう。
そう考えたものの、何となくすっきりしないまま
1999年を迎えて、2日目のこと。
1通のグリーティングカードが届きます。
差出人は、フィリピン人のトニー。
1988年、高校2年の時に、長野県で行われた、
ガールスカウトのユースキャンプで出会い、
一緒のテントで5泊6日を過ごした、友人です。
「今どこで何をしているの?
私は結婚して子供がいるの。
もしこのはがきを見たなら連絡を頂戴。」
彼女はイロイロという都市の出身で、
大学への進学を機に、マニラ首都圏へ出ていたのだけれど
カードには、ミンダナオ州ダバオにいると書いてありました。
私たちは、キャンプを終えてから6年程、文通を続けていたのですが、
大人になる過程で何となくやり取りが途絶え、
グリーティングカードの受け取りは、何と5年ぶり。
青森にカードが到着するまで、7-10日位か。
この偶然に、ぼんやりと、
私が落ち込んでいるのをトニーが知っているような気がしたのです。
そんなことを思いながら私は、はがきにあれこれ書きつつ、
メールアドレスも添えて、投函しました。
実は、付き合っていた人と別れた日は、
私の手元に、初代のパソコンが届いた日でもありました。
まだ使い方はよくわかっていなかったけれど、
メールだけは打てたので、
何の気なしにアドレスを書いたのです。
何日か経った後に、トニーからメールが届きました。
何度かやり取りをするうちに、私の中で
「ゴールデンウィークに、失恋旅行と称してフィリピンに行こうかな。」
という気持ちが湧き始めます。
飛行機を苦手と感じていた私にとって、これはとても珍しいこと、でした。
苦手と言っても、国内なら必要があれば乗っていたのですが、
国際線については、高校の修学旅行以来。
それまでは、海外旅行に誘われても
「怖いからヤダ」の一点張りだったのです。
我ながら驚いたのですが、ここで
「怖くても、本当に自分が行きたいと思った所には、行くんだな」
と思ったのを覚えています。
それに、あの時、付き合っていた人と別れていなかったら、確実に私は
「久しぶりにトニーからカードが来た」
で終わっていたはず、なのです。
ドキドキしながら、トニーに
「会いに行く!」とメールしたところ
「hope to see you」という返事がきました。
インターネット環境を得たことで、
私はさっそくその恩恵を受けたのです。
幾たびの偶然が重なり、手紙のやり取りでは、
実現が不可能な旅が始まります。、
私とトニーは、
ユースキャンプが終わる頃に
「2年後に、また会おう。」
と約束をしていました。
早いもので、あのキャンプから11年。
これは、お互いの約束を守る旅、でもあったのです。