前の記事の続きです。

 

私の場合、独立に向けて、業務形態が、正社員→派遣数社→バイト→正社員営業(普段は一人で活動)→短期バイト→個人事業主と変わっていったのですが、30歳で会社を辞めて上京してからは、ずっとぼんやりとした、言葉に表すことのない、不安や恐怖感のようなものを抱いていました。

事故に遭ってからも、このぼんやりはずっとあって、言葉にするなら

 

「問題はいろいろある。
 

何に困っているのか言葉にしようとすると、これだと言い切れない。
 

何かに手をかけようとすると、別な問題が絡んできて、どこから手をつけたらいいのかわからない。
 

身動きが取れない。
 

見通しがつかない。」
 

という感じでしょうか。
 

助っ人からアドバイスを受けながら、事故の後始末を通じて、必要な術を身に着ける機会を得ましたが、そこから繋がったアイホージュの立ち上げでは、ハードルがぐっと上がりました。

 

  • 助っ人がいなくなった
  • まっさらな状態から一人で全部決めたり、作ったりする必要があった

後始末の時は、「やる必要のあること」に対して、自分はどうしたいのか を引き出していましたが、立ち上げの時は「何をする必要があるのか」を自分で考え、そこからどうするのか決めて行動していました。

 

同じ「やる必要のあること」であっても、実は後者の「自分のやりたいことをやる」方が面倒くさいのです。

 

前の記事で書いた通り、私は「どこから手をつけたらいいのかわからない」と感じていて、旅から帰ってきてからは、例のぼんやりとした不安や恐怖感などが顔を出すようにもなっていました。

 

このような中でスナックで働くことになった訳ですが、個人事業主として働くママや、お客様たちとのやり取りを通じて思い感じたことを通じて、サロンの形が少しずつ見えてきたのです。

 



ひとりだけで唸っていても何も思い浮かびませんが、誰かと接することで自分の内側に刺激が生じますものね。


ホステスになってから3か月後、EFTを習う機会が巡ってきます。

 

そこからは内側の刺激を言語化したり、「自分にはできない」「無理」などのブレーキに対応しながら、ゆっくり前に進んでいきます。

 

他にも、いろいろな面でプライドが壊れたのも良かったです。


例えば、私は人前でカラオケをするのは苦手だったのですが、ホステスになったらそんなこと言っていられないのですよね。


でも、こういったことがあったおかげで、後にサイトやブログなどで情報発信する時のハードルが下がったように思います。

 

机上の空論ではない、一個人事業主としての立場や働き方を、サロン運営を始める前に伺ったり、考えたりする機会が得られたのは、幸運としか言いようがありません。

 

昨日の記事を書きながら、ママがどのような人生を歩んできたのか、お店を持った理由などを伺ったことを思い出していたのですが、実は、これらは、EFTを積み重ねた10年後に私がたどり着く場所に関係しているのです。

 

(たどり着いた場所については、順を追って説明する必要があるので、申し訳ないのですが、まだしばらく書くことができないのです。)

 

後にEFTを提供するようになってから私は、「前のクライアントさんのセッションで抱いた疑問の答えを、次のクライアントさんが持ってくる」と感じることが多々あって、これを「見えないバトンがあるようだ」と表現していました。

 

私とママの間にも見えないバトンがあって、それをママが私に渡すために、バイトとして呼ばれたのだとしたら、なかなかの絶妙さ加減だと思います。

 

私がホステスとして働くのは半年ほど。

 

アイホージュのサイトを公開するタイミングで終えるのですが、とても為になる、楽しい経験でした。