なぜ人はモノに名称をつけるのか。
モノだけでない。感情にだって名称をつける。
そんなことを勝手に考える。専門知識がないのでただの想像で仮説に過ぎないけれど、それが学問というものだ!
仮説をたてて検証する。この繰り返し。なので勉強する前に仮説をたててた方が楽しい。自分の仮説や考えを勉強することで検証していく。
当たってたら自身をもって人に話せるし、さらに仮説を膨らませることができる。
もし間違っててもどこが間違っていたのか軌道修正してまた考えを展開できる。
人間なんてだいたいは100年も生きないし、特に死ぬまでにこれをして下さいと神様に言われるわけでもないんだから、こうやって楽しんでくのが良いのかなと最近感じています。
ところで言葉ですね。
パンを食べる
なぜあれをパンというのか?!
ゲシュタルト崩壊必至ですね。
パンパンパンパンパンパンパンパンパンパンパン
パンってなんだ!
まぁコミュニケーションをとる上で大事なのかなとふわぁっと思いました。
人と話す時に、
あのフワフワしたやつ食べたとか言っても、こいつ何食ってんだと思われること間違いなし。
そもそもコミュニケーションなんて都合のいい言葉に逃げて分かった気になってしまってる気がする
調べてみるとコミュニケーションとは、
人間同士が意思、感情、思考を伝達し合うこと。とあります。
なるほど、言葉は人と意思、感情、思考を伝達し合うことのためにあるのかなと。
コミュニケーションの手段は言葉を使って話すこともそうだし、書いたり、ジェスチャーだったりたくさんある。でもそこには何か伝達し合うことがあるわけです。
話したり書いたりする時に名称を用いることは想像できると思います。ジェスチャーはどうだろう。
ジェスチャーも自分の中に伝えたいことがあってそれには名称が頭の中で浮かぶと思います。
パンを食べたっていうのを伝えたい場合、パンを映像的に浮かべてそれをジェスチャーで伝えるけど、もはや映像を浮かべる時に同時に名称も浮かんでると思います。
そういう意味ではコミュニケーションはどんな手段でも名称は必要なのかなと思います。
ただ、名称がついてないとしてもフワフワした物を口にいれてモグモグする映像が浮かべばそれをジェスチャーで伝えられるので、根源的なコミュニケーションっていうのはジェスチャーなのかな。
世の中には名称がついてても知らない名称もあって、それを言葉で伝えるのは難しいけど、こんなやつとか言ってジェスチャーで表したり、絵を書いたりして伝えることができるしね。
さて、しかしジェスチャーですべて伝えられるかと言うとそうではない。なぜ人はジェスチャーでコミュニケーションをとり続けないのか。それは言葉を使った方が効率的であり、より正確に伝えられるからであろう。
パンを食べるジェスチャーをされてもはっきり言って何食べてるのかまで当てるのは難しい。ジェスチャーで隣の人に伝えて言って、最後の人がジェスチャーで何をしてたか当てるみたいなことをしてもやはりおもしろおかしく間違うことが多い。伝わったら伝わったで、スゲーとか点数を与えられたりする。
それだけジェスチャーは不正確なのだ。
それと比べて、紙に書くのはどうだろう。
パンを食べると紙に書いて隣の人に渡す。隣の人はその紙を見ながらパンを食べると新たな紙に書く。それを続けて最後のひとが紙に書かれている文字を読み上げる。
パンを食べる
なるほど一字一句間違って伝わることはないだろう。
それが3秒だけ紙に書いた文字を見て、思い出しながら書いていくという記憶の部分も使い出すと
パンを食べた
とかになる可能性もある。単純な文章なので正しく伝わる可能が高いが、文字数が多くなったり、あまり馴染みない単語を使っていればおそらく最後まで正確に伝えるのは難しいだろう。
そう考えると、話すという行為もあやしいな。
伝言ゲームで言葉だけで伝えてもやはり意味が変わってしまったりする。
つまり、正確にコミュニケーションをとることを考えると、紙に書いたりメールにしたりすることが一番正確にコミュニケーションをとれる手段であろう。
ただ面と向かって会ってるのに、紙に書いてコミュニケーションをとる人はいないだろう。
それは話した方が早いし、普段の話で正確性を求められることはあまりない。
パンを食べたって言ってたじゃん!と激怒されることもあまりないだろう。
いや、あえて想像してみよう。友達同士で話してる時に、やたら自慢してくるやつがいる。そいつは昨日は仕事忙しくて2時間しか寝てないし、一週間トータルでも8時間しか寝てないし!と謎の自慢をする。
うさんくさいな。。嘘だろうな。。まぁ自分に害があるわけでもないからほっとこうかな。いや、でもこんな話をいつまでも聞かされ続けるのは辛い。。今度ウンザリするようなこと言ったらちゃんと指摘してやろう。
そしてその日が来た。彼は言ったのだ。毎朝ごはん食べてから出社してるから調子いいわー朝から覚醒して仕事に打ち込めるぜ!とか言ってる。パンはなんか胃の中に溜まる気がするし、学校の給食以来パン食べてないわ〜とか言い出した。いや、この前彼は確かに言っていた。近所のパン屋のパンがうまいと。
そこで私は
パンを食べたって言ってたじゃん!と激怒した。
うん、ギリあるかな。まぁどうでもいいや。そんなくらいなので、普段の会話にそこまで正確性が求められるわけではないので、いかに相手に早く伝えられるかという視点が必要だ。
話す時のジェスチャーや表情からも言葉の意味は補足される。
それでまぁ正確性は書くことには劣るけども、スピード感あり、円滑にコミュニケーションとることができる。
なので普通コミュニケーションをとる際は話すことが一番頻繁に使われるだろう。
最初の問いに戻る。
なぜ言葉を使うのか?
コミュニケーションをとるためだろう。
なぜ名称をつけるのか?
コミュニケーションの質をあげるためだろう。
質をあげるというまた曖昧な言葉がでてきた。ビッグワードは便利だけど何も伝えない。
ここで用いた質という言葉は、相手と自分の中の映像を一致させることだと思う。
より相手と同じ映像を浮かべることができるように言葉は使われ、名称をつけるのだろう。
抽象度をあげると、何か今使ってるモノが無くなった時にそのモノの必要性がわかるのだ。
言葉がなかったらどうなるだろう?ジェスチャーで相手とコミュニケーションとるだろうし、往々にしてそれは誤って伝わるだろう。
言葉は難しい。
そっと抱きしめる方が正確に相手に自分の感情を伝えることができるというのはどういうことだろうか。。
とりあえずこの関連の本を読んでみます。さよなら