今日はちょこっと検診。
あっという間に終わって、検査着から私服に着替えました。

お会計を済ませて、財布をバッグに入れかけたら、


待合室に座っていた20代前半と見受けれるお嬢さんが
私の方へ突進してきました。
そして彼女が「・・」と言ったとたんに、

私の手が動いたビックリマークビックリマーク

そして目にもとまらぬ速さでスカートの裾を引きずり下ろした。ひゃっ!
そう、着替えた時、シフォンのスカートだから、絶対気を付けないとって思って
何度も何度もお尻をさすって、挟んでいないか確かめたのに。。。

 

挟んでましたびっくり ちょこっと。

こんなおばさんがあらぬ姿を晒して申し訳ない。

あ・・・でもちなみに、冷え対策で、黒のスパッツ穿いていたので、

まぁまぁ大丈夫な感じです。たぶんてへぺろ

ふぅ~
「ありがとうございます。」と困惑苦笑い顔で言ったら、

「よかった」という声が聞こえてきそうな

幸福溢れる満面の笑顔ニコニコ

にこーーーーって笑ってくれました。

あぁ~なんてかわいいのラブラブラブラブラブラブ

抱きしめてお礼言いたいくらい。
天使ベル
ほんとに可愛く見えました。
いや、ほんとに笑顔が可愛かったです

オヤジ化してるな。。。。と感じたひとときでした。

 

すっとんできてそっと教えてくれた天使の彼女

ありがとう!

私は性善説派 みんな良い子~~宝石赤宝石赤

(ちなみに待合室には、彼女の他に1名女性がいただけでした。

よかった、よかった。)

(ちなみに、この失敗は初めてではないです。

はい、気を付けますてへぺろ

 

コロナ禍の中で受診したクリニックでのこと。

私の前に小太りの小さなおじさまが、受付をしようとしていました。
最初は「薬だけ」と伝えていたようです。
受付「診察3人目ですけど薬だけでいいですか?」
おじさん「こんなに人おるのに?そんなわけない」
(待合室には10名ほどの方が間隔をあけて座っていました。
 後からわかりましたが、業者の方も3名ほどいらっしゃったみたいです。)
受付「薬だけの方もいらっしゃるので」
おじさん「どっちが早い?薬だけの方が早いやろ?」
受付「それはわかりません」
おじさん「なんでわからんの?」
受付「お二人の先生が診られるので、どのようになるかは・・・」
(説明になっていないかと・・・)
おじさん「そんなんわかるやん」
受付「なんとも申し上げられません」(断言避ける)
おじさん「じゃ、診察受けるわ」(受けるんだ!)
受付「わかりました」
おじさん(待合室の奥へ進みながらも)「わからへんわけないやん」

伝え方かなぁ?
受付の人が「おひとりの診察にどれくらい時間がかかるか、
診察してみないとわかりませんので」とでもいえばよかったでしょうか?
そもそも、急いでおられるおじさまに診察を勧めたのは何故でしょう?
久しく受けていなかったか・・・。
本当は受けるつもりで来たけれど、人数が多いのでやめたか・・・。

ちなみにこのおじさま、マスクはしておられましたが、
最初は顎になさってました。
途中、私のマスク警察な目を気にされたのか、鼻の下まで引き上げましたが、
自分が喋る時は、マスクを引っ張り降ろして大声出してました。
暑いし、喋りにくいし、気持ちはわかるけど・・・場所が場所だけに、
もう少し我慢して欲しいと・・・願うばかり。

ラジオで、マスクしていないのはおじさまが多いと話していました。
確かにそんな気もします。

と思っていたら、次に来られたおばさまもマスクをしていません。
受付で結構大きな声で話しています。
この時期に大胆!と思って、私の前を通り過ぎるのを見ていたら、
アレルギーの方のようです。
マスクはきついかもしれない・・・。痒くて耐えられないのかも?
仕方ないね。
フェースシールドでも、接触性皮膚炎で無理なのかも。
まぁ、それでもやり方はいろいろあるように思います。
話す時にせめてハンカチを口に当てるとか?

という、待合室での人物観察、推察の時間を過ごしました。
多方面から、想像力を生かしてみよう!

などと書いてきましたが・・・、
単なる意識の違いかもしれませんね。
またぞろ感染者が増えてきていた頃の話だから、
私の意識では、もう少しひとりひとりが気をつけて欲しいと思いますが・・・。

マスク警察になってますね。

先日ラジオで聴いた話(聞き覚えなので、いろいろ違っているところがあると思いますが、私が受け取ったそのままをお伝えします。)

落語家のご夫婦がコンビニで並んでいると、フォーク並び(窓口がいくつかあるところへ、一列に並んでいて空いたところから先頭に並んでいた人が入る並び方)をご存知なかった年配の方が、うろうろされ先にレジへ行きかけたところ、中年男性が「こら~どこに並んでんだよ、ちゃんと並べよ!」と怒鳴ったそうです。そこへで落語家の奥様が、「こちらですよ」と案内してさしあげたのですが、ご夫婦がコンビニを出ると、その中年男性が待っていたそうなんです。そして奥様めがけて「何かっこつけてんだよ~。いいかっこしやがって。俺が悪いのかよ」と文句を言ってきたそうなのです。
この時の奥様の啖呵が素晴らしかった。

「あんただって、30年もすればああなるんだよ! 科学は日々進歩してる!30年後が今のままな訳ない。いろんなことが凄い速さで変わっていく。30年後にあんたが何もかもわかるようになれるのか!」

と(いうようなことを)言い返したそうです。

あっぱれ!

私は今でさえ、いろいろ進化した便利な事についていけていませんが、これから先わからないことがますます増えてきそうですあせる


そして、自分が通ってきた道はある程度想像することはできても、経験していないことを理解するのはなかなか難しいです。

自分の老いた体を自分がどんな風に感じるのか、何が出来て何が出来ないのか、実感としてはその時になってみないとわからないものだなと思います。

それでも、老いた父たちの気持ちにはできるだけ寄り添いたいものです。

 
この落語家さんは桂春蝶さんですニコニコ

 

 

随分前ですが、小林愛先生のヨガのワークショップを受けた時のお話。


mana先生は、ヨガのマインドを大切にされている方です。

Mana先生は、ちょうど私の中で今ブームのシヴァナンダのTTC(ティーチャーズトレーニング)を、

本場インドで受けてこられた直後。

インドの香りがほのかに漂うWSでした。  

4年前にも、mana先生のWSを受けた事があります。

先生自身がこの4年間で自分の進むべき道に更に確信を得たような強さが伝わってきました。

とっても華奢で透けるように色白の先生が、なんだか一回りも二回りも大きくなられたような気がしました。   


先生も昔はそんなに強くなかったとおっしゃっていました。

考え方捉え方を変えて、自分に確信を持つ(自信)と強くなるんだなぁ。

「強い」という言葉がふさわしいのかどうかわかりませんが。

芯がぶれないっていうことですね。

自分も大きく育てよう。


3時間のうち、おそらく半分はお話だったのだけれど、

根本的なヨーガスートラに根ざした生き方、自分の質を知る事の大切さ、

そして変わる物と変わらない物の見極め、

世の中の見方を変える術なんて事をわかりやすく、

例を沢山あげてお話してくれて、とても興味深く面白かったです。


見方を変えるとこうも違うという例として、コーチングでもよく使われている、

「電車の中の騒ぐ子供達」の話は、ヨガの中で聞くと、

改めて自分の日常に下ろしてくる事が出来て身になりました。


【電車の中の騒ぐ子供】-だいたいこんな感じの話 電車の中で走り回り大声を上げて騒ぐ子供達がいる。父親は目を閉じて座っており、注意をしない。乗客はとても迷惑そうである。ある人が、見るに見かねて、父親に、「子供達があんなに騒いで迷惑をかけているのに何故あなたは注意をしないのですか?」と言うと、父親は目を開けて、驚いたように見上げて言う。「申し訳ございません。ほんの2時間前に、あの子達の母親が亡くなったのです。子供達は気持ちをどのように整理したらいいのかわからないのだと思います。」と言った瞬間に、状況は何一つ変わっていないのだけれど、乗客皆が「怒り」から「気の毒」な気持ちへと変わった。


もうひとつ印象に残ったのが半分だけ水の入ったコップの話。

よく自己啓発ではこれを「もう半分しかない」と取るか、

「まだ半分もある」と取るか・・・と言われるけれど、

ヨガは、「コップに半分の水がある」で以上終了。ただそれだけ。

あるがままにとらえる。

無理矢理ポジティブに「まだ半分ある」ととらえる必要はないって事。

私にはその方がとっても楽だなと思いました。

「あるがままにとらえる」ということが腑に落ちた。

「まだ半分ある」の中には、「なくなった半分」への執着がありますものね。


さて、もうひとつ別の意味で面白かった事、受講者はほとんど若い人だったので、

「マインドでどうしたらいいかわからないこととかあったらなんでも聞いて下さい。」

という、先生の質問に「恋愛」について話す人が何人かいて、

新鮮な気持ちに。 そんな彼女達を微笑ましく眺めながら、

先生のお答えを、しっかり自分の恋愛以外の事(笑)に置き換えて聞いておりました。


恋愛は、思い通りに出来ない典型。

だからこそ普通の人間関係の悩みよりも、パターンがわかりやすいと思います。

また、彼女達の話を聴いていると、コーチング魂がふつふつをわき起こり、

哲学的でなく、視点を変える具体的な質問をしてみたくなりました。 


私ならどんな質問するかな~なんて考えながら聞いているのも楽しかったです。

Happyな時間でした♪

随分前に見たお芝居

「黙阿弥オペラ」 (作:井上ひさし)


お話は、明治維新の頃の庶民の浮つき気味の動揺や期待、

狂言・オペラを例に、西洋文化と日本文化の融合を計る過渡期を

おもしろおかしく、ちょっとせつなく描いた作品。


その中で印象に残った台詞を・・・。


とらばあさんがみんなから集めたお金を持って、

捨て子の幼子と半纏を買いに行く。

半纏を売る店の子が、「とうちゃんこれで米が買えるね」というと、

親父さんが、「そうだな・・・買ってきな。米屋も喜ぶぜ、

たくわんも2切れ一緒に買ってこい」

「そしたら、漬け物屋さんも喜ぶね」


というように、ひとつの暖かい心が・・・どんどんと連鎖していく話。

演じた内田慈さんの通る声に、ぼろぼろっと涙がこぼれました。



もうひとつは、井上ひさしさんのお考えなんだろうなと思う、この台詞


オペラを書くことを求められた新七(黙阿弥=吉田鋼太郎さん)が、

「わたしがオペラを書いて、それを喜んで見てくれるお客さんは今何処にいる?」

「なぜ、西洋でオペラが求められたのか、何故お客さんが喜んだのか、

 それをわかってやらなければいけない」


西洋のまねごとばかりしていては駄目だ、

お客さんが求めているものを出すのが自分の仕事だと言い張り、

結局、オペラには手を付けないんですね。


井上ひさしさんが、こまつ座の公演に、自分の数多い作品の中から、

この「黙阿弥オペラ」を選んだ理由がわかった気がします。



「人に喜んで貰う」

「身近な人をよく見て、感じる」


を改めて感じた芝居でした。