最近、ブログについて話す機会が多く、

ふと思い出し、自分の過去の日記を辿っています。

面白い発見があって、それをここに記しています。

 

ちょうど10年前の12月の日記

 

今年の目標は、引き続き


「肉体改造」

「流れに乗る」
「ミッションステートメントに従う」

だったそうです。

えぇ・・・・忘れていました。

ねぇ。。。。。あきれ果てますね。

 

今年はじめ、フランクリン手帳(7つの習慣を実践する手帳)

を使っていたのですが、

途中から普通の手帳に変えていたので、

自分の思考の記録がありません。

っていうか、もうすでにそこで「ミッションステートメント」手放してるやんあせる

 

どんだけいい加減に生きてきたのかしらん?しょんぼり。。。

 

来年の目標を立てるに当たって

今年立てた目標を振り返ってみましたが、

 

あまりの わすれんぼさんに唖然としただけでした。

 

10年前です。

目標が今と変わらないことに吃驚ですびっくり
10年前から私は「身体・身体・身体・・・・」って言っていたんですねー。

今年2021年の私の目標は

「健康第一」

この中には、肉体改造ももちろんありました。

 

しかも、今年ひょんな出会いの重なりから

再度自分のミッションを掘り出す作業を始めています。

 

私にとってミッションは思考・行動の指標。

10年前に出していたものは、理想に近かったかもしれません。

 

何故もう一度出そうかと思ったかというと・・・

 

私の周りにはクリスチャン十字架が多いのですね。

彼女たちに聞いてみたことがあるんです。

「クリスチャンになってよかった事は?」って。

 

すると

「迷いがなくなった」

「何か決める時に、神様だったどうされるかって考えると、

すぐに道が開ける」などなど・・・。

 

あー、そうなんだと妙に納得。

それなら私にもその信念・指標があったら、

毎日迷う時間が減らせる電球と思ったからです。

 

ひとりで出すのは難しいので、

コーチングのコーチや、仲間に手伝って貰って、

今年中には、今の私のミッションを出してみたいと思っています。

 

ちなみに、2021年の目標は

今年の日記のタイトルにしていたので、

しっかり覚えていましたチョキ

昔々、ヨガのクラスで、頭立ちシルシャーアサナをしようとしていた時に

先生がおっしゃった言葉

 

「日本人の悪い癖なんですね。早く早く・・・と先を急ぐ。

早くポーズを取りたがる」

 

「ひとつずつ、自分の身体を確かめながら移していくと、

 やろうとせずとも自然に脚が上がってくる」

 

「間をすっとばすのは違う。

それではアーサナの恩恵は受け取れない」

 

おっしゃるとおり ^-^;

 

きっちりと距離を測って、腕と頭の位置を決め、そこから肘の真上に肩が来るように体を立てて行き、骨盤の位置が決まったら、自然と脚が浮いてくる。そこから腰を反らせずに徐々に脚を立てて行く・・・。

 

こうしてひとつずつ段階を経て立ち上がった時、体の中を通るエネルギーを感じる事が出来ます。

 

こうして導かれた私は、今日はとても安定した気持ちでアーサナ中の自分の身体を感じる事が出来ました。そして、充分にアーサナを味わった後、ゆっくりとひとつずつアーサナを解いて、チャイルドポーズへと移っていった時、また先生のひとことが・・・。

 

「アーサナが出来た、嬉しいって思うのは違う。

感じるところが違う。

アーサナの間も、終わった後も集中する体の箇所を間違えないこと。

その他の部分は委ねる。

出来ても出来なくても、呼吸をたっぷりする事で

そのアーサナから受け取るものがある。」 

(先生の言葉そのままではありませんが、だいたいこんな感じの事をおっしゃっていました。)

 

実はこれ、10年ほど前の日記に書かれていた事です。
当時はヨガインストラクターの資格を取り、ヨガ付けの日々を送っていました。

この言葉、今も響きます。響きすぎます。
ベルベルベル
私が今しているヨガは、ほぼほぼ筋トレのうちの一つになっています。

筋肉や関節の正しい使い方をしての、ストレッチや筋力増強に。
また、受けているクラスは、頭立ち・ブリッジもする激しめ。

出来たら、やっぱり嬉しい乙女のトキメキニコニコって思ってしまいます。
しかも、時間内に出来たいって急いでいます。

 

あー初心に戻ろう・・・・と思った11月末でした。

10年近く前の話です。

実家にて私の荷物の断捨離をしていた時、

小学校2年の時の学校発行の文集(低学年の部)が出てきました。


 

「おとうさん」 by小2のわたし

 

 わたしの、おとうさんは、かっこいい。

 せが、スラッとして、かっこいい。

 わたしがなくと、すぐに

 「〇〇(私)、おいで、だっこしてあげよ」

 と、いって、やさしい。


 

これ、父としてはどうでしょう?

かなり嬉しいのではないでしょうか??うふ

何も言わずににやけている父が想像出来ます(笑)。

 

そうかー、第二子だったし、私はかなり自由にやらせて貰っていたので、

小さい頃にかまってもらっていた感覚は、あまりなかったのだけれど、

しっかり抱きしめて貰っていたんですねぇ。

 

この抱きしめられた感覚は、きっと私の中でいい芽芽を出してくれているんじゃないかな?


 

こうして振り返って思い出してみると、

塾のお迎えは、父が来てくれていたし、

雷嫌いの私は、雷がなっていると、かなり大きくなるまで、

父に「一緒にお風呂に入ってくれ」とせがんでいたし。

 

放ったらかしだ~とか、、

お兄ちゃんばっかりずるいとか(笑)、

私はなんでも一人で出来たとか、

勝手にすねたり、強がったりしていたけれど、、、

 

充分に愛を注いで貰っていたのですね。

改めて認識することが出来てよかったです。

有り難いです。

 

そういえば、先日、小学校の時の塾のOG会

 (仲良しの4人だけだけど(笑))をした時、

「〇〇(私)のお母さん、〇〇の事溺愛してたもんねぇ」

と言われて吃驚した事がありました。

本人には全くそんな感覚はなかったのですが・・・?

またもや有り難い話です。

 

いろんなことを思い出せて、

いろんな思いと感謝を抱けて・・・


断捨離バンザイです(笑)

 

親からの無条件の愛は、子からも無条件に返せてるかな

そうだと信じたい。

ふむ、しかし「返している」より良い言葉ないでしょうか・・・ね。

 

何年か前、ある手工芸を作る時間がありました。

 

知人と参加したのです。

 

あらかじめ個々に用意された豊富な材料に、

プラスして自分が使いたい材料も選べました。

 

私は満足した出来栄えを眺めながらも、

あらかじめ用意された材料が少し余っていることに気づき、

どうしうようかなぁ、これ・・・と思案顔。

 

(心の声)これで何か他のを作るかな

 

すると友達が、

「これ半分に切って付けたらいいよ、

そしたら、全部あるように見えるし」

と言います。

 

私が「うーーん」と黙ってなおも(何に使えるか」と思案顔でいたら、

彼女、さっさと自分で切って、私の「作品」にくっつけてしまいました。

 

えっ!?キョロキョロ

えっ!?びっくり

えぇ~!?ガーン

 

唖然としながらも、その場ではまた黙ってしまいました。

(心の声)「他人が作っているものに、勝手にくっつける???」プンプン

「なんで、なんで、なんで???」はてなマーク

が渦巻きました。

 

あまりに衝撃で、その後私がその作品をどうしたかはっきりと覚えていないのですが、

その場ですぐに「やめて」とは言いませんでした。

ちょっと躊躇したんですよね、「やめて」って言うことを。

彼女は反応を示さない私に少し怪訝そうな顔をしながらも、

しっかり糊付けして(笑)、私をスルーしました。

そして、私は・・・

彼女は「いつも」自分がすることを一番だと思ってるんだなぁ
と、ひとつのことから、彼女のいつもを思い出し、

どこか「またか」と思っていました。

妻が夫を怒る時に、「あなたはいっつもそうなんだから」

「ほらあの時も、あの時だって」

っていうのと似てるなと思いましたてへぺろ

 

彼女に「やめて」と伝える方がよかったのか

当たり障りなく「そうね」と受け入れた方がよかったのか

 

どちらもしなかった私です。

今はどちらもしなかった自分が幼いなぁと思います。

今の私なら「やめて」を伝えただろうな。

もっと上手に。

「そうね、それもいいね。
私はこれない方がシンプルでいいかな~

持って帰って何か他のに使うことにするね」

 

とでも。
 

さて、とっさに出来るかしらん?


自分が違うなと感じたことに気づいて、、

そして次はどう言おうと考えていると

いつか、とっさの時にもちゃんとできるようになります。(断言)
そう信じて、生涯修行だ~ビックリマーク


 

夫から「ダイアンの津田の事、好きだねぇ」と言われた。
漫才師のダイアン津田さんの事である。

「えっ? 別に特にそんなことないけど。」

「いやいや、だって津田が出ている時、いっつも笑ってるよ。  
 にこにこしながら見てて、時々うふふふふって笑ってるよ。」

「ほんと?全然自覚ない・・・」

「母親のように温かい目で見ながら、くすって笑ってるよ。」

そうなんだ。
それ以来、ダイアン津田さんがテレビに出ていると、
夫がにこにこしながら横目で私を見るようになった。
そして私が少しでも笑うと、ほらほら と言う。

だから、私も自覚し始めた。
確かに・・・笑ってる。
一生懸命なのに、あれ?ってなるところが可愛いと思っている。
ちょっと拗ねたりするのも・・・。


無意識の行動・反応に自分の本質が隠れていることがある。

ダイアンの津田さん、私はきっと良いひとだろうと思っています。
裏表なさそうな、優しい人に見えます。
そんな人に私は惹かれたり、安心したりするんだろうなぁ。
実際に、やること、いうこと面白いと私は思ってました(笑)

お笑い、大好きだ。