こんにちは

狩野です

私は8月になると、地元の長岡まつりが恋しくなります

長岡まつりの由来には、空襲で奪われた生命の追悼の意を込めていると聞いたことがありました。
長岡にずっと住んでいたのに、全然詳しく知らなかったので、調べてみたのですが、知らなかったことに後悔するくらい、大切なおまつりでした。
昭和20年(1945年)、今から67年前。8月1日の午後10時30分、長岡にB29による焼夷弾(しょういだん)爆撃がありました。
B29は一機また一機と焼夷弾を投下し、すきまなく徹底的に攻撃する無差別爆撃によって、長岡の街は瞬く間に 炎に包まれたそうです。
空襲は、8月2日の午前0時10分まで続き、1時間40分に及ぶ空襲で、市街地の8割が焼け野原となり、1,482人の尊い生命が失われました。 投下されたM69集束焼夷弾は925㌧、163,000発余りの焼夷弾子弾が豪雨のように降りそそぎ、長岡を焼き払いました。当時の市域で、焼夷弾の落ちなかった町内はないといってよいほどすさまじい空襲。見渡す限りが悪夢のような惨状。言い尽くしがたい悲しみと憤りに打ち震える人々。
そんな折、空襲から1年後の21年8月1日に開催されたのが、 長岡まつりの前身である「長岡復興祭」だったそうです。
空襲で亡くなられた方々への慰霊の念や、長岡再興に尽力した先人への感謝、また恒久平和への願いを、長岡まつりで伝えていくという意味があったのです。
平成17年中越地震の復興再建支援の意を込めて、『フェニックス』打ち上げ開始。
今までなんとなくしか知らなかったことを、改めて再認識し、戦争の恐ろしさや空襲によって失われた生命への追悼、復興をもっと意識していかなければなと考えされられました。
一生に一度は長岡まつりの花火を皆さんに見ていただきたいです

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