秩父市三峰 三峯神社 拝殿・本殿
秩父神社の歴史は長く今から1900年前と伝わる。江戸時代には京都聖護院直末にもなった仏教色の強い神社である。
若林純氏の「寺社の装飾彫刻 関東編上」によると本殿は寛文元年(1661)、拝殿は寛政十二年(1800)関口文治郎とある。
本殿の彫刻は少なくあまり見る所が少ない、正面中備は蟇股である。木鼻も正面は無く、側面は象頭である。寛文年間は彫工職がまだ確立していない時代なので宮大工の作品であろう、全体に彫刻は少なく地紋彫りもほとんど見られない。それでも手挾の篭彫りは素晴らしい出来栄えである。
拝殿の正面は唐破風下が司馬温公の瓶割り、中備は七福神の琴棋書画である
左右の中備も七福神である。市の文化財指定の案内でも宮大工の記入はなかった、しかし水引虹梁には林大隅流の形跡があり、隋神門(寛政四 1792)では林兵庫正信が来ていることから多分同じであろうと思われる。
左右の脇障子は「竹林の七賢」であろうと思われる。「竹林の七賢」とは中国の三国時代から晋代にか老荘思想を基にした自由な思想を持つ七人の文人を指す。七人が一堂に会することはなく四人(山濤さんとう)阮咸げんかん)(向秀しょうしゅう)(王戎おうじゅう)と三人(劉伶りゅうれい)(阮籍げんせき)(嵆康けいこう)に分かれるそうです。劉伶は大層な大酒飲みで偏屈で誰とも会わなかったようですが阮籍と嵆康だけとは大層気があったといいます。きっと右側の一番右の瓢箪徳利を持っているのが劉伶でしょう。
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