新潟県魚沼市大浦 赤城山(せきじょうさん) 西福寺 開山堂
開山堂は石川雲蝶の「道元禅師 猛虎調伏」の彫刻で有名である。雲蝶は、文化11年 (1814)、江戸雑司ヶ谷に生まれた。 本名を正照、俗名を安兵衛といい、。20 歳半ばで江戸彫石川流の技術を習得し、幕府御用勤めの彫 師になったとある。雲蝶の師は江戸彫物御三家の一つ石川家の「石川豊光」といわれる。豊光は「彫工 左氏・後藤氏世系図」によると、石原吟八郎の門下生の周信の系列に繋がる。周信が武州中瀬で独立し、石川家は二代になる信豊の時代に江戸下谷に住 み、三代の豊光(1782~1860)はその長男という事である。
安兵衛20歳のとき豊光には14歳になる朝光がいた。安兵衛としては弟の様な朝光がいることから石川家を継ぐわけにはいかず、20歳半ばで独立したものではないだろうか。
越後入りした経過は天保12年(1841)江戸で内山又造と出会い越後での仕事を依頼されたという。
開山堂の「道元禅師猛虎調伏」(相承より)
西福寺の内部は撮影禁止である。お目当ての猛虎調伏は撮影できないが内部で写真集「相承」を販売しているからそれを参考にするとよい。
彫工は通常の彫物師にはできない建造物の内、木鼻や虹梁にも腕を振るい、柱や長押には正確な地紋彫りを施した。西福寺には地紋彫りこそないが、水引虹梁・中備・手挾・木鼻等、素木に彫刻の秀作があり、彫工としての雲蝶や源太郎が腕を振るっている。これらは拝観料も必要なく、撮影も自由なのである。
群馬の沼田市の「平川日光神社」に石川安兵衛源信光の銘が入った胴羽目がある。棟札からすると天保13年(1842)とある。別の胴羽目には猛虎調伏に似た虎も彫られている。開山堂の起工が嘉永5年(1852)とあるからこれの10年前となる。
日光神社の虎と銘板
日光神社の宮大工は林大隅流の松岡富盛で、日光神社の前に手掛けた「町田坊観音堂」や「空恵寺 本堂」の彫 工は小林源太郎が手掛けている。彫工とは彫物大工のことで、日光東照宮にある「大猷院廟」承応元年(1652)の頃から使われ、それ以前は宮彫といわれ宮大工の仕事の一部であった。
群馬の館林にある楠木神社では胴羽目に石川安兵衛源雲蝶と花輪の石原常八主信の銘があるという。年号は調べたところ天保15年(1844)という。(館林史別巻 館林の寺社建築より)。
主信は石原吟八郎の直系の子孫で当時は58歳である。源太郎は雲蝶より15歳上で石原系統であり、熊谷の出身、武州中瀬は今の深谷市の周辺で熊谷のすぐ近くである。
以下、証拠となるものが無いので推論になるが、独立を目指す安兵衛はまず師匠の紹介で、師匠の同郷である源太郎を頼ったのではなかろうか。源太郎は安兵衛の絵の素晴らしさから彫工としての才能を見出し、石原家の主信の元に相談にいったのではなかろうか。主信もその才能に戸惑い、まず源太郎に来ていた日光神社で棟梁、源太郎とも相談してかからせたのかもしれない。日光神社には信光の名はあるが一人で出来る仕事ではなく、地紋彫りも多く彫られている。
楠木神社では主信の下での仕事になるが、才能を十分に発揮し、名前の信光は石川家に返上し、「雲の様に自由に、蝶のように華麗に新天地で振る舞え」と名前を「雲蝶」としたのではなかろうか。当時、上州や武州ではすでに作品が多く彫られ、野州では後藤・磯部系統が江戸や関東では石川家や嶋村家が台頭、信州では諏訪大隅流や立川流が多く、新たに活躍する場所は越後しかなかった。越後の地は源太郎がすでに進出していたが、相乗効果も期待でき、まだまだこれから可能性のある土地であった。
主信は安中の「長傳寺」に道元禅師の猛虎調伏を彫っている。長傳寺は安政4年(1857)とあるから開山堂が完成した頃となる。
長傳寺の猛虎調伏
猛虎調伏は武州越生の「龍穏寺経堂」にもある。彫工は岸亦八、天保15年(1844)とあることから正に楠木神社の時と同じ年代である。亦八と源太郎とは同門の間柄になり、主信とは一緒に仕事をした形跡もあり、主信の孫達を弟子として迎え、その内の一人(幸作)を倅の養子として三代目を継がせている。
これだけ証拠が揃うと内山又造の件はいささか影が薄くなる。上州との関係は越後のどの文書にも出てこないが事実であり、墨書や刻銘は間違いなく本人のものである。話はどこまでが真実に近いかどうかは分からないが、雲蝶の素晴らしさ、才能は源太郎や常八主信に認められていたことは確かであろう。
寺院名 曹洞宗 赤城山 西福寺
所在地 新潟県魚沼市大浦 174
主本尊 阿弥陀如来
文化財指定 開山堂の雲蝶の彫物
本堂
建造年代 享和二年(1802年)建立
大工 出雲崎 小黒七左衛門
開山堂
建造年代 嘉永五年(1852)起工 安政四年(1857)完成
彫工 三条彫工 石川雲蝶源正照
宮大工棟梁 越後長岡 森与市左衛門 (棟梁)鈴木半左ヱ門
鐘楼
建造年代 嘉永三年(1850)建立
彫工 小林源太郎
梵鐘 新潟 土屋忠左衛門 (勅許の銘がある)
(車椅子で拝観不可、外部は可能)
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(彫工の作品は建物の一部であるため取り外しは出来ず、出来ても、一点ものです。したがって商品として取引されるものではなく、正当な持ち主以外が持っていたらそれは、「ほぼ盗品」です。例え落ちていたもの拾っても、窃盗に問われる場合もあるし、知らないで買ったり貰ったりしても、罪に問われる場合があります。)








