埼玉県比企郡小川町 八宮神社
八宮(やみや)神社は創建年代等は不詳であるが、当初日向山に祀られていたものが、享保2年(1717)当地へ遷座したといわれている。祭神は天忍日命(おしほみのみこと)を始めとして八柱であることから「八宮」となったという。
現在の本殿は妻切葺屋根の重厚な作りで、熊谷市妻沼聖天院の棟梁の系譜を引く林兵庫正尊を棟梁として天保四年(1833)に再建された。本殿三面と破風には龍・唐獅子などを配した中国風俗の彫刻が施され、作者は上州花輪(群馬県)の石原常八である。現在本殿は、町の文化財に指定されている。(案内板より)
正尊は羽生の林正利の弟正道を養子として迎えている。石原常八は妻沼聖天堂(正式名称は歓喜院聖天堂)の彫工石原吟八郎の系列の常八主信の事で吟八郎の石原彫刻を継承している。(正利とは板倉雷電神社や野田の愛宕神社等多くをの関りがある)寺社彫刻は寛政年間頃から極彩色の色遣いが姿を消えはじめ素木に彫工の力作が主流となった。当神社は主信48歳の時の作品になり、当時の最高傑作ではないかと思われるほどの出来栄えである。
まずは拝殿である。拝殿は文化財の指定から外れていることや彫刻の作風からして、幕末以降の様な気がする。特に虹梁の鯖尻(左右の両端)の跳ね上げが見られないことからも大工は正尊とは思えない。しかし兎毛通の鶴や軒唐下の孔雀・目抜の龍は力強さもありなかなかの力作である。目抜きの龍は左右に子引き龍を従えている。子引き龍は主信が得意とするもので本人が行ったのか弟子の仕事か不明であるが地紋彫りが柱・梁に丁寧に彫られているところを見ると石原系統の作品と思えるものである。
右胴羽目は三国志の一場面であろうが良く分からない、敵軍ではなかろうかとの説もあるがなかなかの力作である事は間違いない、思わず見とれてしまうほどである。
背胴羽目は三国志から劉備、関羽、張飛ではないかと思わている。脇障子は左が梅妻鶴子、右は玉巵弾琴である。双方とも主信が得意とするもので拡大をしてみた。
まず三国志の三人は少し斜めにして拡大した。単なる高肉透彫りでなく、立体的になっているのが分かるであろう。この様な彫り方は日光の東照宮が最初で彫工の腕の見せ所となっている。
脇障子の拡大は表側から写したものとした。裏と表がほとんど同じで彫ってある。こちら側はどちらもうまく写っていないが表からの物である。この様に彫る例は珍しく、他ではみられない。
腰羽目は唐子遊びが二枚、左は背面の亀とりであろうか亀さんを担いで遊んでいる。右は右面の竹馬遊び、左は駒遊びをしているようであったが写真では陰になってしまった失敗作で載せられなかった。唐子とはもともと中国故事の中に描かれていたものであるが、陽明門により和風で服装こそ中国風であるが日本の遊びを中心にしたものが彫られている。子供が安心して遊べる社会であってほしいとの願いが入っているとかいう。それをより日本的にしたのが妻沼の聖天堂であり、石原系統の彫工は好んで彫っている。
妻飾りになる。二重虹梁太瓶束の構造で飾り支輪も多い、尾垂木は龍と獏であろう、どれをとっても力作であることに間違いない。しかしよく見ると石原系統の作品であるにも関わらず少なくなっている。地紋彫りの分まで予算が回らなかったのかもしれない。それはともかく見飽きない作品である。
木階下はリスに葡萄でしょうか、浜床下は鴨と思われます、浜縁下は犀でしょうね。本殿との隙間は鯉の滝登りですね、大床の持送りは龍になっていてこのよう所も丁寧な仕事ぶりにはさすが名人芸であると思えるところでもある。
神社名 八宮神社(やみやじんじゃ)
所在地 埼玉県比企郡小川町小川991
主祭神 天忍日命(おしほみのみこと)ほか
文化財指定 八宮神社社殿及び青麻三光宮本殿 付 棟札四枚
平成24年3月 埼玉県指定 有形文化財(建造物)
神事 祈年祭2月23日、青麻三灮宮5月3日、諏訪祭9月1日、
例大祭10月19日、熊手市12月1日
(神事は記載漏れや変更等ある場合があります、ご容赦ください。)
本殿
建造年代 天保四年(1833)
大工 武州妻沼 林兵庫正尊
彫工 上州花輪 石原常八主信
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