「価値観の不一致」という曖昧な言葉に疑問を抱く。
ふと、「価値観の不一致」という言葉について考えることがあったのでここに記す。
そもそも、他者との価値観が完全に一致することの方が少ないような気がするので、
「価値観の不一致による別離・解散」というものを目にする度、「はて」と思うことが多い。
「何が大事なのか」
「何に価値を見出しているのか」
この辺は、人によって結構差があると思うし、温度感も大分違うと思っている。
言ってしまえば、Cartilageもしにぞこナイツも、「価値観」についての話をすれば、ここにも大分違いがある。
かと言って、全く違うのかと言えば、感じ方が似ている部分もちょこちょこある。
どんなに仲が良くても、長い付き合いになっても、「完全にピッタリ価値観が一致している」と思ったことはほぼ無い。
「ここは似ているなぁ」と思うことはあっても、「完全に一致している」と明言するには少し心許ない。
Cartilageも今年で8周年(空詩&Mr.SK自体は15周年)だし、しにぞこナイツも7年になるが、「各々の価値観は各々の価値観」だと考えている。
逆に「私達価値観が合っている!」と頭から決めてしまうことの方が、私は恐ろしいことのように思う。
「なんとなくノリが合うな~」とか、「つい同じこと言っちゃった」「食べ物の好み似てる」とか、そういうのはよくあることだけど。
「価値観が丸ごと一緒だ」と思いこんでいると、いざ自分と違う意見が出た時に「あれ?」と違和感を感じてしまうのではないだろうか。
例えば、メンバーが「私(僕)は違う意見を持っていて、もっとこうしたい」と言うことなんてザラにある。
そういう時に、私はいつも「おお、じゃあ折衷案を考えようか」という話をする。
なんなら、私は「多数決で決める」というのもあまり良策だと思ってはいない。
1人でも嫌だと思っているメンバーが居るなら、それは全員でじっくり話し合って落としどころを決めるべきだと考える。
面倒くさがって多数決で強行突破すると、ことを進める際に必ず綻びが生じるからだ。
そういう綻びが生じた際に「価値観の不一致」という謎のワードが生まれるのかもしれないが、元来、価値観が全く同じ人間はそうそういない。
それが面白いんじゃないかなぁとも思うし、だからこそ、バンドメンバーの色んな発想を取り入れる度に刺激的なのである。
バンドだけではなく、人付き合いに関しても同じことで、家族にしろ友人にしろ、
善悪の基準
生活スタイル
主義主張
色恋の仕方
何に喜怒哀楽を感じるか
何が大切なのか
こういったものは人によって千差万別であり、誰がどんな意見を持っていても自由だし、もしもこういうところで何か齟齬が生まれるのだとしたら、よく話し合って、これからのやり方を考えることが最善だと考える。
私がこういう人なので、「価値観の不一致が原因」という話を聞くと、「ん-、もともと一致するはずのないものの不一致が原因なのって、何だか不思議な話だな」と感じる。
どうしても許せないことは私にもあるので、もちろんそれが許せなかった場合には距離を置くが、それを「価値観の不一致」と言うには、あまりにも言葉足らずである。
きっと、この「価値観の不一致」という言葉自体が不明瞭なのである。
もし言い換えるとすれば、
「相手の価値観の中でも、特にここの部分が、
私にとってどうしても許せなかった」
と言う説明が、一番しっくりくるのかもしれない。
それを公に説明することが憚られた為、「価値観の不一致」という何とも曖昧な言葉に収まってしまうのである。
これは説明をしているように見えて、あまり説明としての機能を持っておらず、あまりにも不十分なのだろう。
ある程度答えが出てスッキリしたので、この文章はここで終わろう。
【余談】
注文した味噌の角煮、さっき食ったんだけどめちゃくちゃ美味しかった!