チルドレス先生を解剖する | 空庵つれづれ

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宗教学と生命倫理を研究する中年大学教師のブログです。



話題は、日々の愚痴から、学問の話、趣味(ピアノ、競馬、グルメ)の話、思い出話、旅行記、



時事漫談、読書評、などなど四方八方に飛びます。

チルドレス先生とは、もちろん私がアメリカにいる間、ずいぶん身近に接する機会が

多かったのだが、今回のように一週間にわたって一緒に旅をすると、今まであまり

見えなかったところも見えてくる。

というわけで、今日は
チルドレス先生の学者としての凄さの秘訣 がどこにあるのか、

について、これまでの観察データから分析してみたい。


まず、彼はたいへん仕事が好きである。

学問が好きだし、勉強も好き、人に教えるのも好きだ。

ヴァージニア大学の同僚である仏教学者のポール・グローナー先生は、

チルドレス先生のことを「ワーカホリック」と評していたが、なるほど

彼にはそういうところがある。

学問以外にはこれといった趣味はないようだし、今回の旅の間もホテルの
部屋や

移動中の列車の中でも、少しでも時間があれば仕事をしておられた。

たとえば、京都から米子に移動する列車の中で、米子での研究会でチルドレス先生

がコメンテーターをされることになっているA先生の発表原稿(そこにはすでにいくつも
黄色いマーカーで線が
引かれていたり、多くの書き込みがなされていた)をずっと

点検され、メモを取りながら慎重にコメントを考えられていた。

下の写真は、その米子での研究会の際のものだが、先生の前に、たぶんこの時に

書かれたのであろう(かなり詳細な)手書きのノートがあるのが見える。
しかも、発表を熱心に聴きながら、
先生はさらにメモをとっておられることがわかる。
(ぜひ写真をクリックして、拡大してみてください)
コメンテーターとして


しかし、チルドレス先生は、「ワーカホリック」という言葉で普通私たちが思い浮かべる
ような人
(特に日本人)とは、ずいぶん違う気がする。

いつも忙しそうにはされているのだが、せわしない感じはまったく受けないし、
常に相手を受け入れてくれる余裕のある体勢で仕事をされているというか、

彼と接する人々の側からみて、近寄りがたい感じがまったくなく、いつでも

懐をサッと開いて相手をしてくれそうな感じ(実際にそうしてくださるのだが)

がするから不思議である。


また、仕事が趣味、みたいな人の中にはそれ以外のことを楽しむ心の余裕が

ない人もよく見かけるが、チルドレス先生の場合はまったく違う。


好奇心が旺盛なのはもちろん、どんなことをしている時でも、それを全身全霊

で楽しむという、ある種の卓越した能力があるのだ。

なので、何をしても絵になる。
(下の写真は、金閣寺で「おみくじ」(英語のものが売っている)を初体験し、

それを木に結んでいるところ)

おみくじ初体験

一言で言えば、つねにその場、その場で自分が出会うもの(自分の思考の内部

も含めて)に対して、ものすごい集中力で向き合うことができる人なのだ。


また例によって私の得意な(?)食べ物の話になるが、今回、私がチルドレス先生
の注意力・集中力に一番ビックリしたのは、松江でお昼に出雲そば(わりごそば)

の店(有名なKそば)にお連れした時のことである。

チルドレス先生たちはわりごそばはもちろん、蕎麦を食べるのも初体験。

まず、私が、わりごに入っている蕎麦に薬味を入れ、つゆをかけるやり方を指南。

それをじーっと集中して見ていたチルドレス先生。
わりごは3枚あるので、まず1枚目。
先生は非常に慎重に、私がかけたのとほとんど同じだけのつゆを正確にかけた。

(このKそばのつゆは濃くて辛いので、「絶対かけすぎないように」と私が注意
したため)
マーシャさんの方は、次にドボッとつゆを書けてしまい、私が「stop」と言うと
ほとんど同時に先生が「stop」と止めた。

私は自分の1枚目の蕎麦を食べ、「自分にはこれで十分だけど、アメリカ人
にはちょっと薄いかもしれないな」と思ったが、
チルドレス先生たちが
「very tasty」と言って食べているので(麺自体はコシがありすぎるので食べにく

そうだったが)、何も言わないでおいた。

(下の写真が、私が食べている途中の1枚目のわりごを撮ったもの)

わりごそば

そして2枚目。
チルドレス先生は、今回も大変慎重に、1回目にかけたよりもやや多めの
つゆをかけた。
わりごそばをよくご存じの方にはおわかりの通り、濃いめのつゆの場合は、
一枚のわりごの蕎麦を全部食べ終わったときに、底につゆが残るか残らないか

ギリギリぐらいの境目ぐらいが、つゆをかける一番いい量。

案の定、少し多すぎたのか、チルドレス先生の2枚目のわりごの底には少し
つゆが残った。

びっくりしたのは、この残ったつゆ(ほんの少し蕎麦のかけらも混じっていた)
をチルドレス先生が、3枚目のわりごに流し込まれたこと!
(こんなことをするのは、普通は相当わりごの通の人だけだ)

そして、1枚目の時とほとんど同じぐらいのつゆを、これまた大変慎重にかけ
られ、先生は「good, good!」と二度繰り返した。
3枚目の蕎麦を食べ終わった時、わりご中はつゆが残るか残らないかぐらい
の完璧な状態だったのである!!

蕎麦を食べるだけのことでも、これだけ先達(私)のやってるやり方を注意
して見て、自分で味をたしかめながら微調整して、1枚ごとに食べ方が完璧
になっていく!


単に仕事や学問のことにおいてだけではなく、日常のちょっとした行動の中にも示される、
こういう並外れた注意力と集中力、繊細な識別力
(アメリカ人で、これほど繊細な味がわかる人はきわめて稀)の中に、
チルドレス先生の学者としてのたいへん優れた資質の本質があるように、
私には思えました。


いやー、世の中にはすごい人がいるもんだ~~