3年前(2006年)に亡くなった阿部謹也という歴史学者をご存じだろうか。
阿部氏とは一度もお目にかかったことはないが、『ハーメルンの笛吹き男』からはじまって
『中世の窓から』『「世間」とは何か』などの彼の著書はずっと私の愛読書であった。
最近になって、阿部氏の一橋大学時代の師匠にあたる上原專禄という人物が、
現代の生命倫理や死生学の隠れた先駆者であるということを知り、いろいろ調べて
いるのだが、その過程で阿部氏が上原を回想した文章なども改めて読み直している。
阿部氏が亡くなってから、遺族の人たちや弟子達で編集した
『阿部謹也 最初の授業・最後の授業』(日本エディタースクール出版部) という追悼本
があるが、そのなかに阿部氏の教え子がこんな文章を書いている。
ある飲み会の時、先生は、出た刺身を食べてしみじみとこう言った。
「魚を獲って暮らす人は幸せだ」
それを聞いた弟子の我々は、飲み会が終わってから延々とその言葉の解釈について
議論した。
「漁師になりたいということかね」
「いや、歴史的にもっと漁師に注目しろと言っているのだ」
「いやいや、所詮、学者などというのは虚業だと言うことだ」
「違う、キリスト教的見地から人間の営みを考えろということだ」
「えー、単純にこの刺身おいしいねっていうことじゃないの」
「(一同)違う!」
こういう師をもった弟子は幸せだ。