インドネシア外務省は、2022年秋にバリ島で開かれる20カ国・地域首脳会議(G20サミット)にロシアを招待したことを明らかにしました。このG20サミットにロシアのウラジミール・プーチン大統領を招待すれば、先進7ヵ国(G7)がボイコットする可能性があり、またG20の加盟国はロシア問題に取り組んでいるため、サミットだけでなくアジェンダや作業プログラムも頓挫する恐れがあります。

 

今秋のG20サミットが実際どうなるかはわかりません。欧米の圧力をインドネシアがどう凌ぐのか、今後難しい舵取りを迫られます。インドネシアが敢えて中立の立場でこのような判断をしている背景を考えると、私なりに思い当たるところがあります。

 

第62話の「ムシャワラ」でも書いたのですが、インドネシアでは普段からイエス・ノーを突き詰めない傾向というか習慣があります。日本で言うところの「阿吽の呼吸」とでもいいましょうか、適当なところで話の落とし所を繕うのです。

 

例えば会社の会議で議論が伯仲したときも、結論がわからないままいつの間にかに終わっていることがあります。どうしてそうなるのか合点がいかないので、会社のインドネシア人マネジャーに尋ねたことがあります。すると彼は、インドネシアは周りが海だからあまり追い詰めると海に落ちちゃうでしょ、とわかったようなわからないような回答をしました。

 

初代大統領のスカルノ は、1955年にインドネシアのバンドゥンで非同盟諸国による国際会議アジア・アフリカ会議を開催、東西冷戦時代に植民地主義反対,基本的人権確立と民族自決,核兵器禁止,全面的軍縮を主張し,平和十原則を盛った宣言を発表しました。これは当時の米ソ両大国主導の世界の中で画期的な国際会議となったのです。

 

こうした伝統があるせいなのか、インドネシアは今も経済制裁を受けている北朝鮮とも国交があり、2004年には北朝鮮に拉致された曽我さん一家が、北朝鮮からジャカルタ経由の帰国となったことがあります。また私はジャカルタの街の中心部で、北朝鮮国旗を付けた黒塗りの車を何度か見かけました。

 

宗教のことを考えても、インドネシア国民の9割がイスラム教徒であるにもかかわらず、お隣のマレーシアのようにイスラム教を国教としていません。マイノリティーのキリスト教やヒンドゥー教、仏教も認め、それぞれの宗教の記念日を国の祝日にして尊重しています。200を超える民族が纏まってひとつになることが、スカルノ大統領がインドネシア独立宣言をしたときの理念で、今に引き継がれていると言ってよいでしょう。

 

かつて日本がA B C D包囲網で世界から経済制裁を受け、太平洋戦争へ突き進まざるを得なくなった歴史を、いま思い起こしてみるのは無駄でないように思うのです。国際社会が混迷を深めていく中で、その荒波をインドネシアがどのように乗り越えていくのか、目が離せなくなりそうです。

 

アジア・アフリカ会議50周年の2005年参加国の国旗が描かれたゴング

 

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