こんばんは。
終活の駆け込み寺ブログを書いている好奇心のダボハゼです。
今日も過ごしやすいお天気で、皆さまにとっていい日曜日だったでしょうか。
今朝は町会の「クリーンデー」でしたので、皆でお掃除をして気持ち良いスタートになりました。以前、何度か書いた禅の教えで最も大切なお掃除という修行。気持ちを整えるのに効果的とされています。無心になって掃除する。
1日15分くらいは、そういう時間を作るのは忙しい現代人に必要かもしれませんね。
さて本日は、何度か引用しているシュバイツァー先生のお言葉からの引用です。
「認められるまでは嘲笑されるのである」
実は、ここ数ヶ月、自分なりに考えて温めてきたお仕事が有りました。それが少しずつ実をつけた事で理解を得られようやく認められるという事が有りました。嬉しいですね。
周囲には、ブレーキをかける耳の痛い言葉をかける方もおりましたので、孤独を感じた時間も有りました。
こうして文章にすると1、2行ですが、思いは積み重ねた時間の分だけ有ります。
でも今はとても気持ちが晴れています。
人間は、承認要求が強い生き物なんですね。
気が付いて声をかけて貰えると嬉しいものです。そういう人に出会えると、素直にこの人の為にお役に立ちたいと思えます。
人は、自分の範疇を越えた人を見ると素直に応援出来なくなるのはどうしてなのでしょうか。
そういう話に触れると、どんよりした空気を感じてしまいます。
物事にはなんでも理由が有ると思います。
その人の話をじっくり聞いて、応援していく人で有りたいです。
私の仕事は葬儀社の相談員、お問合せを頂いて説明、ご希望に沿えるように組み立ててご提案をして、任せて頂けるようにお話しを進めていく事が仕事内容です。
その話の要になるお話しというのが、
「何の為にお葬式をするのか」という葬儀の意味を説く事です。
お葬式のプロセスは一つ一つに意味が有ります。
ご臨終・・命の終わりを見届ける、死の確認をする。
お通夜・・亡くなった事を受け入れる時間。
明日の晩はこの世界にお身体は有りません。
お身体がある最後の夜です。
告別式・・広く一般的にお亡くなりを伝える。
喪中・法要・・悲しみを癒やすための時間
旅立つ人は、この世界でお世話になった感謝を伝え、見送る人は亡くなった人から頂いたたくさんの思い出に感謝を伝える。
生きている事はそれだけで尊い事なのだと「死」に直面した事からこそ気付かせて貰える事。表現する言葉を持ち合わせない子供にも分かる。「死」とは、その人に2度と会えない事。
その事を腹落ちさせながら、目の前のお客様の年齢、育ってきた環境や状態に合わせて、お話しをする事。最も時間をかけてお話しをする所です。
その人らしく送る事を一緒に考えて見送りたい。ただそれだけを思い仕事に向かっています。
昨日の朝礼の言葉。
「今日は最良の1日。今は無二の好機」
いい日悪い日はなく、今日というのは1秒の積み重ね。さぁ、行動を起こそう、今日が最良の1日になるために。
朝、この言葉を意識すると元気が湧いてきます。
命の砂時計⏳は、自分では分かりません。
やりたい事があるならば、誰かに思いを伝えたいならば、思った時にしておく事。
日々、後悔しないで精一杯生きる。
ゴールをした時に「生ききったから幸せだった!」と思える自分をイメージして。
今回、温めてきたお仕事も先に伸ばして考えていたら、今この瞬間には苦悩していたかもしれない。おそらく、虫の知らせ的な何かによって突き動かされたのでしょう。不思議です。
ところで、虫の知らせの「虫」。皆さんはどんな昆虫を思い浮かべますか。
私は、てんとう虫🐞くらいの大きさをイメージしています。