娘亡くし、5年と9か月、当時の悲惨なブログを読み返すことはしていないが…あまりにも過酷過ぎて…、いつか、この頃はこんな気持ちだった、こんなことがあった、こんな音楽を聴いていた、と読み返す日が来るのかどうかはわからない。
最近聴いて強く心に残る音楽は少ない。
しかし…、
病気の心配が起き、「遺作」を感じるような音楽が、この数日間、染みてきた。
はっきりとした旋律ラインが「ない」ものは、理解するのに少し時間が必要だ。
人に媚びず、ただただ疲れ、最後の力を振り絞るかのような印象の曲。
臨終の時に流れてくるような音楽。強いイメージではないのに、静寂や恐れや諦め、溜息が聞こえてくる。
公園でひとりぽっちでベンチに座り、池の鳥や遊んでいる子供や青空や木々、風などの自然を眺める感覚で「流して」いくと、いつの間にか、心の中に動く「もの」があり、言葉ではない「感情」だけが、その音楽に呼応できる気がする。
私が歌が嫌いで、音楽には言葉は邪魔であり、不要であると思う理由が、まさに「それ」なので、人それぞれに好きなように感情に沿ってくれる自由な音楽…楽器の世界観には何の制約も押し付けもない…のです。
もうひとつは、矛盾するようで、そうでない…映画音楽です。
ひまわり、というイタリアの悲劇の音楽は、映画そのものよりもヒットし、人々の心を捉えている優れたもので、耳タコのように昔から知っていた曲が、なぜかギター曲として再度私の心を捉えています。おそらく、自己に甘々な程度には弾けそうな気がして、練習を始めようとしています。
シマノフスキ (ポーランドの作曲家) のプレリュード 作品1の8
ひまわり ヘンリー・マンシーニ作曲 江部賢一編曲