創造本能G-DRAGON #2
努力して楽しんで、楽しんで努力して..、僕を注ぎ込む方法
①他の人より少し早く始めて少し上手なだけ
ステージ上にいる時は何も恐くなくて、世の中をすべて手に入れたような情熱を吐き出すBIGBANGだが、僕を含んだメンバーは本当に不思議なくらい愛想がない。
だから時々誤解も生じたりもする。
言い訳する形になってしまったけど、愛想がないというのは僕たちにはまだ長い道のりがあるという証拠だ。
メンバー全員、社会生活を学ばなければいけない時期の大部分を練習室で過ごしたせいで人懐っこさがゼロだ。
僕たち5人が一緒にいる時はシューズのヒモ一つで数時間楽しく過ごせるけど、BIGBANGを離れればまるで水の外に出てきたフナのようにそれこそ’バカ’になる。
数万人を前にしたステージより、見慣れない一人を恐れる臆病者たちだ。
時々、ファンたちと会う時さえ顔が赤くなるほど恥ずかしくなる。
性格が良い事で知られるテソンさえそれなりにバラエティ番組をやってとても明るくなったと自己評価するほどだ。
だからBIGBANGに不足しているもの一つ挙げろと言うのなら、僕はためらう事なく愛想だと言うだろう。
デビュー当時は”食事はしましたか?”と言うとても簡単な挨拶の言葉さえ勇気出して言えないほどだった。
「先輩、今回のアルバム本当に大当たりですね」
「監督、不十分な私どものせいで苦労が多かったでしょ?」
と言いたくてたまらないが、どういうことか人前に立つと話が出来ない。
時には「こんにちは!」と挨拶したらその次に何の話をすればいいのか分からず、カチカチに固まっていたりもする。
しかし、「出来ない」とためらって自分の言い訳を並べるのは、自分で出来ない事を強く決意する形にしかならない。
そんな考えばかりでは何も変わらないこともよく分かっている。
拳くらいある大きさの雪だるまを何度も転がして大きくさせてこそ雪だるまになるように、とにかく始めてみなければならない。
何でも初めが難しいが自らを刺激しながら実力や人格がより一層強くなるために努力している。
"歌手になる前にまず人になれ"というYG練習生の教訓が浮かび上がる。
歌はものすごく上手なのに人間性があまり良くない人が尊敬される歌手になれるだろうか?
手段と方法を選ばずに自分の事しか考えない人を大衆が愛するだろうか?
人を軽く見たり物事に対して感謝出来ない人が美しい歌詞を書くことができるだろうか?
深く悩む問題だ。
僕たちは分かっている。
他の人たちより少し早く始めて、今もったいないくらいの待遇を受けているが、そうなればなるほど謙虚になって自身を発展させなければ生き残れないということを。
初めて練習生になった頃は衣装やその他必要な荷物を背負って、地下鉄に乗ったりバスに乗ってコンサート会場に行ったりした。
兄さんたちが大変そうに見えたら走っていって助けることはないかお聞きして、小さい体ではあるが僕が出来る仕事を探したりした。
今でも変わらない。 ただBIGBANGという肩書きがついただけで。
僕が変わったんじゃない。
必要に応じてバンに乗ったり、マネジャーの兄さん姉さんが僕たちを助けてくれたり、他の人より派手な服を着るようになっただけだ。
謙虚さと努力という僕たちの本質を忘れてはいけないということを僕たちはよく分かっている。
1位というタイトルやアルバム販売量記録みたいなものは”僕たちが努力を積み重ね吐き出したこと’に対しての一つのボーナスだということを。
僕たちは一生、練習生の気持ちで生きていくんだ。
②根元が違う木が互いに支えて生きる’連理の枝’のように
いつかヤン・ヒョンソク代表が苗木に例えて話された事がある。
僕は花が華やかに咲いて人々の視線を惹きつける木で、TOP兄さんは太くてどっしりした木、テヤンは一人でも大きくなる木、テソンは実が多い木、最後にスンリは小枝をうまく切ってやればもっと大きく成長する木だと。
ずば抜けた表現だと思った。
僕はヤン代表が僕を評価した部分について一人で考えてみたりする。
'華やかな花'とは…. 外見やヘアースタイル、着飾る事、少なくとも表情や身振りまで全て僕を見せる包装紙だ。
時折、その包装紙があまりにも目立ってしまって僕自身の本質が隠れているようだけど、それでも僕にふさわしいのはその包装紙を美しくして派手にさせていくことだと思う。 幸い広い心で受け止めてくださる方々がおられて感謝するばかりだ。
BIGBANGメンバーはステージに上がる時”さあ、遊びに行こう!”と言う。
それは僕たちがステージを楽しみたい熱い思いの表れでもあるが、何よりもBIGBANGはステージに鍛えられているからだ。
ステージに上がる前、いくつかの計画を立てておく事もあるが、BIGBANGの長所は、むしろ自然な’突出行動 “だと思う。
ステージ上で誰かが失敗をすれば、各自の顔を見つめて笑ったり耳打ちしてからかったりもする。
一つ間違えるといたずらっぽく見えるけれども、失敗を恐れるよりステージ上の全てを楽しみたいBIGBANGの姿を良く見てほしいと思う。
BIGBANGという名前を本格的に発表する前から僕たちは色々なステージを経験した。
特にYG 10周年ツアーはアメリカ、日本、韓国の色々な都市を巡回する公演だったので、先輩歌手らと共に巨大な規模のステージに立たせてもらえるチャンスであった。
YGの長所は新人に’ステージ経験’のチャンスをたくさん提供するという点だ。
そして各種放送はもちろん、公演でも’同じ曲’を歌うからといって’同じコンセプト’で出る場合はほとんどない。
デビューしてわずか2~3年しかない僕たちが’以心伝心’出来る理由はまさにそのような実戦練習のおかげだった。
ある時は公演直前にパフォーマンスに対する構想を終える場合もある。
だから各現場で起きる突発的な状況を理解して対処しなければならない。
もちろんどんな仕事でも簡単ではない。
だが、特に芸能界の場合、表面の派手さだけ見て何年も続けるには体力と忍耐心全てがとても必要なことの一つだ。
毎回大変だという素振りも見せ、ず与えられた状況にベストを尽くすメンバーがいるからBIGABNGのパフォーマンスがより一層輝くのだと思う。
③’FRIEND’友人というのは互いに長く頼れる人
お父さんはいつも僕に”男は友達が多くなければならない。”とおっしゃる。
あえてお父さんが言わなくても僕にとって友達は喜びと苦しさを全部分け合うことができる大切な存在だ。
僕が持っているものとは違ったものを持っている人から毎日何かを学ぶ。
勉強ができる誠実な友達からは”着実さの美徳”を学び、人々が遊び人と指差しする友達からは’個性あふれる活発さ’を学ぶ。
ある文を読んだことがある。
友達(FRIEND)というそれぞれの字が何の意味を持っているのか解釈した文だった。
その解釈によれば’F’はFace,つまり顔を見るという意味で、’R’はRecognition,お互いを知ってありのまま認め合うということだという。
'I'はInteract,つまり互いに影響力を及ぼして関係を結んでいくことで、'E'はEquality,いつも平等でバランスが取れている状態を維持するということだという。
'N'はNeed、互いに必ず必要な存在になることで、'D'はDependence,お互いに寄り添って頼れる大切な人という意味だ。
本当にその通りの解釈だと思った。
僕にとっても友達は生きていく重要な理由の一つであり、古くからの友人と一緒ならいつでも楽しい。
僕に付いて回る修飾語の中の一つが’狂った人脈’という言葉だ。
僕がアルバムに残した’thanks to’を見てファンたちが付けたニックネームだ。
実際にアルバムを出そうとすると感謝する人があまりに多かった。
時々友達の中で”僕は芸能人のクォン·ジヨンの友達だ!”と自慢するのを密かに楽しんでいる場合もあるが、その時はあまり親しい関係でなくても快く友達になってくれる。
色々な友達を思い出して一人ずつ書いていくとthanks toの長さが限りなく長くなった。
やはり僕にとって’友達’といえばテヤンに対する話は欠かせない。
(リアルドキュメンタリービッグバン)では僕たちがまるでお互いを警戒するライバルのように描写されたが、実は僕にとってテヤンの存在は世の中で最も頼りになる心強い支えだ。
僕がメンバーたちを責め立てればテヤンはその名のように穏やかで暖かい笑顔で仲間の背中を軽く叩いてくれる。
だが、僕が気力がなくなっていたりまとめることができない時は僕の代わりにリーダーの役割をしてくれる。
毎日毎日テヤンから学び刺激されて慰められる僕はある意味、テヤンを見て育つひまわりみたいだ。
その友達(テヤン)の広くて深い心と完璧を追求する自己啓発の意志は’音楽の道’を歩こうと思った僕の初心を失わないように鞭打ちする(刺激する)
だから僕は一生テヤンと共に過ごして、お互い期待し刺激されて発展したい。
普段出来ない話だけど、もし僕がいつか死ぬ時、最後にその場を見守るただ一人の友人を挙げろと言うなら迷わずテヤンを挙げるだろう。 いつも本当に感謝している友達だ。
④忙しいのになぜ退屈だったんだろう?
僕は一時もじっとしていることができない性格だ。
休日があってもくつろぐ事はない。
ある人はそんな僕を心配な眼差しで見るけれども、僕にとって”また他の何かを創作する瞬間’こそが最高の休息なのだ。
一日中練習をしたりスケジュールのせいでくたくたに疲れて宿舎に戻っても僕は自分の部屋で何かを言及する。
音楽を作ったり歌詞を書いたり練習場で絵を描いたり、せめて先伸ばしにしておいた映画でも見て満足する。
次の日ジャーン! と作った曲を出せばメンバーたちでさえ”一体いつ作ったの?”と驚いた表情をする。
僕も分からない。
ただ書きたくて気が狂いそうな状況がある。
作曲をしなければならないと決心した瞬間から周辺の全てのものが音楽と連結するようだ。
通りの看板を見ても、映画を見ても、周辺のささいなことまで曲に対する発想に結びつけるクセができた。
頭の中で瞬間的に何かが浮かび始めればノートを取り出して歌詞を書いて音を口ずさむ。
ステージ上で歌ってラップをする時も楽しいが、個人的に曲を作ってデモ録音をする時一番調子があがる。
僕が考えたものが実際音楽になって作られる過程があまりにも不思議で面白い。
13才の時から肩越しの空みたいな先輩たちの姿を見届けてきた。
全く同じ努力をしてもスポットライトを浴びれない人、全ての事を準備しておいてもステージに一度もまともに立ったこともない人、美しく輝きながらも一日で露のように消える人も見た。
だから僕にとってステージに上がるということはいつも過分で有り難いことだ。
ところが僕だけそうではないらしい。
皆寝る時間がはるかに過ぎているのに、誰かの部屋では音楽が流れ、誰かはリビングでダンスの練習をしている。
本当にみんな義務感のために無理するのではなく、自分の好きな仕事で最高になろうと一生懸命に努力している。
昔、原文全部ブログに打ち込んで訳した本、もう一回手直しして再UPしますた。
今回は原文は省略しましたwww
今回はアメ限ではないので読んだことのない方、ぜひ読んでみてください♡!!
"汗で綴る僕の挑戦の価値は夢に向かった思いだった
今まで流した僕の涙は希望を現実にする踏み台だった
奇跡の花を咲かせる美しい人、僕がまさにその主人公になりたい
僕に捧げる最後の祈りは、ステージで華やかに咲くことだ。"
創造本能G-DRAGON #1
才能を持ったのは、ほんの少しだけだった。
①音楽が好きだという事以外、他になんにもなかったヤツ
僕は何でもハッキリするのが好きだ。
友達と遊ぶ時は我を忘れるほど狂ったように遊びまくり、仕事をする時は全身の細胞一つ一つが逆立つほど集中させる。
せめて寝る時ぐらいは冬眠に入るツキノワグマのみたいにしっかりと寝るスタイルだ。
どんなことでもうやむや、こそこそ、いい加減、ごまかしたり、あいまいな事が生まれつき嫌いだ。
おかげで‘礼儀をわきまえない、無愛想だ’などと誤解もたくさん招いた。
だけど生まれつきの性格は変えられない。
どんなに困難な場所、不愉快な人でも‘違う’と思ったら死んでも自分の考えを通す性格だ。
‘頑固なヤツ’っていうイメージが徐々に固定されてる感じだ。
正確にはわからないが誰かが僕の夢を初めて訪ねてきたその瞬間から、僕の答えはいつも”歌手”だった。
正直、小学6年、13歳で歌手の道に飛び込んだ僕に他の考え、他の夢は贅沢なだけだった。
目隠しをして全力疾走をする競走馬のように目標に向かって走る事以外できることはなかった。
誰かは本当に子供らしい夢だと、また他の誰かは外見だけ格好つけてるだけだと、からかわれる夢だけど、音楽は僕の体と心を動かし、僕を呼吸させて、華やかなステージはいつも僕の胸をドキドキさせた。
僕が音楽をやってなかったら、何をしていただろうか?
この質問の答えは多分一生探すことができないだろう。
ビッグバンというグループの名前さえなかった練習生時代、オーディションの準備した仲間は僕を含めて全部で6人だった。
最終オーディション終わり今は5人のメンバーで構成されているが、当時はこれから誕生するグループが2人で構成されるか3人で構成されるか誰も分からなかった。
テスト結果によって誰かが脱落しなければならないサバイバル方式だったからだ。
生き残るためには自分の全てを賭けなければならない切迫した時間だった。
こうした状況だから、他の人より長く練習生として過ごした6年という時間は負担なだけで、決して有利な条件ではなかった。
ヤン・ヒョンソク代表の性格上、実力が認められなければ6年でなく60年練習しても容赦なく脱落させることをよく知っていたので、僕とヨンベ(テヤン)はより一層緊張と焦せる毎日を過ごさなければならなかった。
また、一日12時間はダンス、歌、ウェイトトレーニング、そこに外国語2つまで含まれた7.8個のレッスンを受けるのは体力の限界を感じ、メンバーたちの神経も毛を立てた猫のように鋭く尖り始めた。
その上、僕はリーダーの位置にあった。 いくらサバイバル方式であっても、’音楽が好き’という理由一つでその長い時間を共に泣いて笑った仲間の手を一つでも離したくなかった。
いや、離すことはできなかった。
たった一人の脱落者もなく僕たち6人全員切実に願った’その事’,そしてこれから進もうとする’その場所’に一緒にいたかった。
だが、実力と性格、能力が違う6人を小船に乗せて一つの方向に櫓を漕ぐのが簡単でなかった。
突然訪れる一人一人のスランプを寛容に黙認する余裕もなかった。
メンバー全員歯を食いしばって立ち上がるという事をよく分かっていたが、「一生懸命すること」はただ基本なだけで「ちゃんとやらないなら」絶対に一緒の船に残ることができないという冷酷さもよく分かっていた。
②うっかり引き受けることになったリーダー役
僕たちは全員同じ年頃の友人よりもっと早い年齢で人生の目標を定めて、僕たちが持った全てのものを賭けた。
友達が学校で英単語を覚えている時、僕たちはラップと振りつけを暗記し、友達がグラウンドで運動をして汗を流す時、僕たちは湿気いっぱいの地下の練習室で止まりそうな暑さと戦いながら踊りを習わなければならなかった。
友達が試験を終えて気持ち良い歓声を叫ぶ時、僕たちはまた他の試験が次々と待っている練習室へ向かい、友達が休みだからと朝寝坊をする瞬間でも僕たちは休みなのでもっと早く出てきて、もっと長く練習しなければならないつらい日程をこなさなければならなかった。
また、友達が朝から’ご飯食べなさい’というお母さんの小言にうんざりする時、僕たちは一ヶ月に一度会うお母さんが心配しないように一生懸命明るく笑ってみせて、帰るお母さんの後ろ姿を見て涙をこらえた。
他の人たちとスタートラインが違って進む道も違ったので、ここで退けば帰る場所さえなくなる僕たちだった。
<リアルドキュメンタリービッグバン>を見ると、僕がメンバーを責める姿が頻繁に出てくる。
「そんなんじゃ100回やっても身につかないよ。 それじゃいくら練習してもダメだよ!」
「膝が一度ケガすると死ぬのか? 覚悟して力強くひねってみて。何そんなに痛いからっておどおどやってるんだよ。」
「お前の事を考えて言ってるんだから、しっかりやるべきだって気付かないの?」
「ダメだろ。 一日残ってるからって寝るヤツがどこにいるんだ?」
当時メンバーらに吐きだした荒っぽい僕の毒舌が入れられた<リアルドキュメンタリービッグバン>がインターネットを飛び交い始め、おかげで僕は’クォンGラを”,”紙やすりジヨン”,”カチルジヨン”というニックネームまでついた。
2006年6月メンバー選定が最終確定する直前、SE7EN兄のコンサートステージにバックダンサーとして上がる最終実戦テストがあった。
最終脱落者を決めるそのステージで僕たちはそれまで一生懸命磨き上げてきた実力と最高のチームワークを見せなければならなかった。
SE7EN兄さんまで僕たちを心配する気持ちでいて,僕も訳もなく色々な心配に包まれて神経が鋭く逆立っていた。 いよいよリハーサルが始まった。
当時、6人全員が生まれて初めて大きなステージであると同時に、たった一回のリハーサルで完璧に動作と場所配置を習わなければならない状況だった。
ところがバク宙したヨンベが思わず倒れてしまった。 ミスもミスだが、何よりも倒れて手を負傷したのがもっと大変だった。
僕たちは瞬間慌ててどうすればよいか分からなかった。 怪我をしたヨンベも心配だが、もしかしたらヨンベの負傷で頑張って練習した振付と展開の両方を変えなければならないかもしれない状況だったからだ。
幸いヨンベは痛い表情一つせず”大丈夫だ。”と言ってメンバーたちを安心させた。 出血する手が痛かっただろうが、一生懸命平気なふりをしたのだ。 僕たちは今一度体制を整え、特に問題なくリハーサルを終えた。
だが、僕はリハーサル舞台を降りてくるやいなやメンバーたちを叱り飛ばした。
「僕も気持ちに余裕がなかったけどお前たちは何なの?”僕が怒鳴らなかったらずっとボーっと立ってたんじゃない?」
「ヨンベが倒れたからって固まって、’ん、どうしよう? ‘って表情で立っていれば良いのか? 万が一、本番ならどうしてたの?」
習慣のように容赦ない言葉が口からあふれ出た。
「さあ、今から本番だよ、本番! 本当の何か見せよう。」
ステージに上がる瞬間まで僕の小言は止まらなかった。
「さあ、位置に気を遣って、表情に気を遣って! 踊りながらも隣の人の位置をよく把握するんだ」
今になって思えば緊張したメンバーたちを落ち着いて慰めて勇気をもっと出させるようにすれば良かった気がしたが、当時はただ一人も脱落しないことを願う気持ちがもっと切実だったんだと思う。
③子供ルーラ、YG練習生として入ってくる
すでにたくさんの方々が知っておられるように、僕はルーラ先輩らのミュージックビデオに’子供ルーラ’で出演したことをきっかけにYGエンターティメントの練習生としてスカウトされた。
幸いにもお母さんが様々な分野の経験を持たせるのにとても関心が多かったので、僕は小さい頃からお母さんの手を握ってあらゆる大会やオーディションを受けるのが日常茶飯事だった。
今考えてみても僕はとんでもなく無茶な子供で、どんな大人の前でも色々な大衆の前でも震えた経験が殆どない’大胆な子供’だった。
それが他の人たちが言う’才能’なのかは分からない。
ただ僕はとても好きで楽しめたし、もっと幸いなのは両親や周辺の人々の全面的なサポートを受けたという点だ。
僕は自ら考えてみても悲観的な性格がひとかけらもない、100パーセント楽天家だ。
上手くやっても楽しいけど、出来なくても次に上手くすれば良いというのが僕の考え方だ。
ただ遊ぶ事が好きで今でも小学校の時の友達にまで連絡して過ごす’関係指向型人間’だから、以前のように友達と会ったり一緒に遊んだり出来ないのが少し寂しい。
YGに入ってきた後、練習生生活のせいで友達と遊ぶことができないと、一人で退屈なら歌詞を書いてラップを書くことが僕だけの趣味であり僕だけの遊び門下になってしまったわけだ。
同じ年頃の友達がゲームをして遊ぶ時、僕は音楽を聞いて遊んだことが小さな違いだろうか?
少し大変で退屈だったりしたけど僕にとって練習生生活はそれほど大きな悩み事ではなかった。
もちろん肉体的には大変で友達と遊ぶ時間が減ったけど、時々先輩の兄さんや姉さんのステージを見たりステージに立ったりMVを撮りながら’歌手の真似’をしたりすることがひたすら楽しかった時期だった。
学校に行けば宿題をしなければならなくて、会社に行けば決まった時間までプロジェクトを提出しなければならないように、練習生生活の間、僕の主な宿題は一週間に一回ずつ新しい練習映像を録画してヤン代表に提出することだった。
そしてラップと歌詞を書くのが趣味だったせいか、外国歌手の原曲をただ歌うより新しいラップと歌詞をまた書いて歌ったりした。
ある程度時間が過ぎると、ヤン代表は一週間に一曲ずつ作詞作曲をしてくるよう課題を渡された。
もちろん当時ではとても不十分なレベルだったが、6年間着実に休まないで練習した事が今の作詞作曲をするのにとても役立ったと思う。
④失敗することより、失敗を恐れてチャレンジしないほうがもっと愚かだ
そんな楽天的だった僕だったが、メンバー選定が近づくとますます苛立つようになってきた。
"うまくいかないはずがない"と独り言をつぶやいたが、サバイバル方式が与える重圧感は非常に重かった。
楽天的な僕さえこうなのに、経験が少なかったり性格がナイーブな他の仲間はどうだったのだろうか?
他の仲間が無駄な苦しみに陥らないようにするためにも、僕が先に貪欲のように飛びかかって先に悪役を自任しなければならなかった。
実はメンバーらにせき立てた言葉の大部分は僕自身に対する言葉だった。
ヤン·ヒョンソク代表は口癖のように「うまくできると思う」と「本当にうまくやる」という事は厳格に異なっている。”と言う話をされる。
才能を持っている事とその能力を発揮するという事は厳格に違う’という意味だ。
今まで僕が一番上手く出来て一番好きだと信じた歌手になれなかったら僕の未来はどうなるだろうか?
どこでも頭さえつけたらよく寝る僕だったが、悪夢まで見始めた。
ある夕方のことだ。突然、窓の外で荒々しい風雨が吹きつけ始めた。
風がどれくらい強かったのか、開いていた窓の間から大きな雨のしずくが吹き荒れて入ってくるほどだった。
急いで窓を閉じようとした瞬間、僕は暴風雨と死闘しているクモ一匹を発見した。
ヤツはその小さい体で大きな雨のしずくを受け、すぐにでも切れてしまいそうなクモの巣の上で慌ただしく動いた。
普段なら注意深く見ない光景だが、その日のそのクモの姿はなぜか他人事のように見えなかった 窓を閉じなければならない事も忘れたまま、僕はクモをぼんやり眺めていた。 その身振りを見た瞬間、妙な感じがした。
「こいつは知っているんだ。この嵐が過ぎ去ったらまた晴れる日が来ることを」
ヤツがその薄いクモの巣に’生存’という願いをかけて歩いてるように、僕は’歌手’という夢に僕のすべてを賭けた。
その切なる願いがないなら生きてても意味がない。
大きな人気が欲しいのではない、僕の歌をたくさんの人と呼吸して歌いたいんだ!という切なる願い。
その夢を叶えるために意味あるように僕を追い立てて過ごす毎日…
これよりもっと幸せなはずがないという気がした。
才能’というのは誰も目にしなくてもクモがクモの巣を吹き出して自分だけの美しい家を作るように、しつこくても美しい行為を繰り広げるほど’能力’で花を咲かせることができると信じている。
そしてたとえ多少は美しくなかったりとか、ゆがんだ家を作ることになってもどうだっていうんだ。
自分を捧げて夢に向かって走って行くその瞬間だけは生涯最高の瞬間であることを。
⑤ビッグバンは実力派? いや努力派!
デビュー前からビッグバンというグループについて多くの言葉が行き来するのを聞いた。
'ヒップホップ アイドル','実力派アイドル','差別化されたアイドル'…
ある者は’それでもいつものように企画会社によって作られたアイドル’だと言った。
ぴったりな言葉だ。
BIGBANGは’作られた’アイドルだ。 どれ一つただで与えられず、メンバー各自が自身の才能の花を咲かせて、また自身が持った限界を跳び越えながら汗と涙で’作られた’アイドルだ。
ある人は作詞、作曲、プロデュ-スまでする僕を見て’一人ですべて行う’と評した。
だが、その言葉は明らかに間違った言葉だ。
BIGBANGは曲一つ作っても僕たちのイメージ、僕たちのカラーを生かすために5人のメンバー全員で死に物狂いで作った。
自分のパートをレコーディングする時は誰とか関係なく、歌詞と曲に合う感じと声を見つけるために’自ら満足するまで’録音する。
周囲がいくら”もう充分だ”とか”上手だった。”と止めさせようとしても効果がない。
人が何と言おうが、BIGBANGは’実力派’というよりは’努力派’に近い。
チームの中で各自のカラーを出すために努力しながら同時にバランスを作り出す。
僕たちは誰かによって作られたアイドルというよりは、本人たちによって作られ発展する’自家発展型アイドル’だと言える。
TOP兄の声は’優れたラッパー’である他に人間的に人を引き寄せる力がある。 ラップをする時だけでなく話をする時でさえ何か動物的に感じられるその声はチーム全体の重心を取ったりシナジー効果を作り出す。
テヤンの場合は毎回見るたび人を驚かせる。 じっとしている時は純真でとても静かな友達だが、ステージに上がれば僕が見てもカッコよく見えるほど強烈な印象を与え、完璧に近いステージを見せる。 時々’あの友達が僕と共に6年間練習したヨンベなのか? ‘という気がするくらい誇らしい。
テソンはエンドルフィン(幸福を呼ぶ媚薬)製造機だけあって本当に明るくて賢い。 悲しい歌を歌う時は’感情’を込めて悲しい感じをうまく表現して、演歌を歌う時はベテラン演歌歌手に劣らない味わいのある姿を見せてくれる。 テソンはまるで状況によって自身のカラーを変えることができるカメレオンみたいだ。
スンリは少年から青年に成長する境界にいるのだろうか?
普段は親しい弟のような存在だが、ステージに立つと男性らしい魅力があふれた不思議な雰囲気がある。 ソロ曲[Strongbaby]を作曲してプレゼントしたところ、一人で振り付けを構想して着実に自分のステージを変化させるほど、情熱的で努力派だ。
このように、すべてのメンバーは今日と明日が本当に違うと感じられるほど見違えるように段々と成長し、調和してお互いの役を引き立ててくれる。
時々、僕とヨンベは”BIGBANG結成以前に僕たち2人がデュエットでデビューしたらどうだったのだろうか?”と話をしたりする。
簡単に想像さえ出来ない。
互いに違う長所を持った今のBIGBNAGはまるで一つの円を構成するために集まった5つのかけらと同じだからだ。
奇跡とも言える僕たちの出会いにいつも感謝して、有名芸能人になったことよりBIGBANGの一員であることに一層感謝する。
BIGBANGはステージの上で最も光を放つ。
5人全員強いエネルギーを持っているがその5人が一つになれば、もっとすごいシナジーを作り出す。
僕の才能を誇るのに先立ち、謙虚さと節制を学んだ事はグループ活動で得た最大の教えだ。
メンバー全員、BIGBANGという名前の中でお互いが光るように自分自身を適切に調節してくれてありがたく、また感謝でいっぱいだ。
日本でコンサートをした時だった。
公演が終わりにさしかかった時、突然音響に問題が生じて音楽が途中で止まってしまった。
誰も予想できない事故でステージの上では静寂だけが流れ客席も慌てたようにざわめいた。
ところが突然、誰かが即興でビートボックスをし始めた。
また、誰ということもなくそのビートボックスに合わせてラップをして誰かは掛け声を入れて誰かは拍手して、観客らに呼びかけをした。
ただの一度もそんな状況を予想したり練習した事がなく、そんな状況を備えて計画を立てておいたこともなかった。
だが、危機的状況でまだ何秒もたってない僕たちはいち早くアイコンタクトしてその視線の中で深い信頼と信頼のやりとりしてお互いを信じて頼った。
ステージから降りた僕たちは何も言わずお互い抱き合った。
今回は原文は省略しましたwww
今回はアメ限ではないので読んだことのない方、ぜひ読んでみてください♡!!
"汗で綴る僕の挑戦の価値は夢に向かった思いだった
今まで流した僕の涙は希望を現実にする踏み台だった
奇跡の花を咲かせる美しい人、僕がまさにその主人公になりたい
僕に捧げる最後の祈りは、ステージで華やかに咲くことだ。"
創造本能G-DRAGON #1
才能を持ったのは、ほんの少しだけだった。
①音楽が好きだという事以外、他になんにもなかったヤツ
僕は何でもハッキリするのが好きだ。
友達と遊ぶ時は我を忘れるほど狂ったように遊びまくり、仕事をする時は全身の細胞一つ一つが逆立つほど集中させる。
せめて寝る時ぐらいは冬眠に入るツキノワグマのみたいにしっかりと寝るスタイルだ。
どんなことでもうやむや、こそこそ、いい加減、ごまかしたり、あいまいな事が生まれつき嫌いだ。
おかげで‘礼儀をわきまえない、無愛想だ’などと誤解もたくさん招いた。
だけど生まれつきの性格は変えられない。
どんなに困難な場所、不愉快な人でも‘違う’と思ったら死んでも自分の考えを通す性格だ。
‘頑固なヤツ’っていうイメージが徐々に固定されてる感じだ。
正確にはわからないが誰かが僕の夢を初めて訪ねてきたその瞬間から、僕の答えはいつも”歌手”だった。
正直、小学6年、13歳で歌手の道に飛び込んだ僕に他の考え、他の夢は贅沢なだけだった。
目隠しをして全力疾走をする競走馬のように目標に向かって走る事以外できることはなかった。
誰かは本当に子供らしい夢だと、また他の誰かは外見だけ格好つけてるだけだと、からかわれる夢だけど、音楽は僕の体と心を動かし、僕を呼吸させて、華やかなステージはいつも僕の胸をドキドキさせた。
僕が音楽をやってなかったら、何をしていただろうか?
この質問の答えは多分一生探すことができないだろう。
ビッグバンというグループの名前さえなかった練習生時代、オーディションの準備した仲間は僕を含めて全部で6人だった。
最終オーディション終わり今は5人のメンバーで構成されているが、当時はこれから誕生するグループが2人で構成されるか3人で構成されるか誰も分からなかった。
テスト結果によって誰かが脱落しなければならないサバイバル方式だったからだ。
生き残るためには自分の全てを賭けなければならない切迫した時間だった。
こうした状況だから、他の人より長く練習生として過ごした6年という時間は負担なだけで、決して有利な条件ではなかった。
ヤン・ヒョンソク代表の性格上、実力が認められなければ6年でなく60年練習しても容赦なく脱落させることをよく知っていたので、僕とヨンベ(テヤン)はより一層緊張と焦せる毎日を過ごさなければならなかった。
また、一日12時間はダンス、歌、ウェイトトレーニング、そこに外国語2つまで含まれた7.8個のレッスンを受けるのは体力の限界を感じ、メンバーたちの神経も毛を立てた猫のように鋭く尖り始めた。
その上、僕はリーダーの位置にあった。 いくらサバイバル方式であっても、’音楽が好き’という理由一つでその長い時間を共に泣いて笑った仲間の手を一つでも離したくなかった。
いや、離すことはできなかった。
たった一人の脱落者もなく僕たち6人全員切実に願った’その事’,そしてこれから進もうとする’その場所’に一緒にいたかった。
だが、実力と性格、能力が違う6人を小船に乗せて一つの方向に櫓を漕ぐのが簡単でなかった。
突然訪れる一人一人のスランプを寛容に黙認する余裕もなかった。
メンバー全員歯を食いしばって立ち上がるという事をよく分かっていたが、「一生懸命すること」はただ基本なだけで「ちゃんとやらないなら」絶対に一緒の船に残ることができないという冷酷さもよく分かっていた。
②うっかり引き受けることになったリーダー役
僕たちは全員同じ年頃の友人よりもっと早い年齢で人生の目標を定めて、僕たちが持った全てのものを賭けた。
友達が学校で英単語を覚えている時、僕たちはラップと振りつけを暗記し、友達がグラウンドで運動をして汗を流す時、僕たちは湿気いっぱいの地下の練習室で止まりそうな暑さと戦いながら踊りを習わなければならなかった。
友達が試験を終えて気持ち良い歓声を叫ぶ時、僕たちはまた他の試験が次々と待っている練習室へ向かい、友達が休みだからと朝寝坊をする瞬間でも僕たちは休みなのでもっと早く出てきて、もっと長く練習しなければならないつらい日程をこなさなければならなかった。
また、友達が朝から’ご飯食べなさい’というお母さんの小言にうんざりする時、僕たちは一ヶ月に一度会うお母さんが心配しないように一生懸命明るく笑ってみせて、帰るお母さんの後ろ姿を見て涙をこらえた。
他の人たちとスタートラインが違って進む道も違ったので、ここで退けば帰る場所さえなくなる僕たちだった。
<リアルドキュメンタリービッグバン>を見ると、僕がメンバーを責める姿が頻繁に出てくる。
「そんなんじゃ100回やっても身につかないよ。 それじゃいくら練習してもダメだよ!」
「膝が一度ケガすると死ぬのか? 覚悟して力強くひねってみて。何そんなに痛いからっておどおどやってるんだよ。」
「お前の事を考えて言ってるんだから、しっかりやるべきだって気付かないの?」
「ダメだろ。 一日残ってるからって寝るヤツがどこにいるんだ?」
当時メンバーらに吐きだした荒っぽい僕の毒舌が入れられた<リアルドキュメンタリービッグバン>がインターネットを飛び交い始め、おかげで僕は’クォンGラを”,”紙やすりジヨン”,”カチルジヨン”というニックネームまでついた。
2006年6月メンバー選定が最終確定する直前、SE7EN兄のコンサートステージにバックダンサーとして上がる最終実戦テストがあった。
最終脱落者を決めるそのステージで僕たちはそれまで一生懸命磨き上げてきた実力と最高のチームワークを見せなければならなかった。
SE7EN兄さんまで僕たちを心配する気持ちでいて,僕も訳もなく色々な心配に包まれて神経が鋭く逆立っていた。 いよいよリハーサルが始まった。
当時、6人全員が生まれて初めて大きなステージであると同時に、たった一回のリハーサルで完璧に動作と場所配置を習わなければならない状況だった。
ところがバク宙したヨンベが思わず倒れてしまった。 ミスもミスだが、何よりも倒れて手を負傷したのがもっと大変だった。
僕たちは瞬間慌ててどうすればよいか分からなかった。 怪我をしたヨンベも心配だが、もしかしたらヨンベの負傷で頑張って練習した振付と展開の両方を変えなければならないかもしれない状況だったからだ。
幸いヨンベは痛い表情一つせず”大丈夫だ。”と言ってメンバーたちを安心させた。 出血する手が痛かっただろうが、一生懸命平気なふりをしたのだ。 僕たちは今一度体制を整え、特に問題なくリハーサルを終えた。
だが、僕はリハーサル舞台を降りてくるやいなやメンバーたちを叱り飛ばした。
「僕も気持ちに余裕がなかったけどお前たちは何なの?”僕が怒鳴らなかったらずっとボーっと立ってたんじゃない?」
「ヨンベが倒れたからって固まって、’ん、どうしよう? ‘って表情で立っていれば良いのか? 万が一、本番ならどうしてたの?」
習慣のように容赦ない言葉が口からあふれ出た。
「さあ、今から本番だよ、本番! 本当の何か見せよう。」
ステージに上がる瞬間まで僕の小言は止まらなかった。
「さあ、位置に気を遣って、表情に気を遣って! 踊りながらも隣の人の位置をよく把握するんだ」
今になって思えば緊張したメンバーたちを落ち着いて慰めて勇気をもっと出させるようにすれば良かった気がしたが、当時はただ一人も脱落しないことを願う気持ちがもっと切実だったんだと思う。
③子供ルーラ、YG練習生として入ってくる
すでにたくさんの方々が知っておられるように、僕はルーラ先輩らのミュージックビデオに’子供ルーラ’で出演したことをきっかけにYGエンターティメントの練習生としてスカウトされた。
幸いにもお母さんが様々な分野の経験を持たせるのにとても関心が多かったので、僕は小さい頃からお母さんの手を握ってあらゆる大会やオーディションを受けるのが日常茶飯事だった。
今考えてみても僕はとんでもなく無茶な子供で、どんな大人の前でも色々な大衆の前でも震えた経験が殆どない’大胆な子供’だった。
それが他の人たちが言う’才能’なのかは分からない。
ただ僕はとても好きで楽しめたし、もっと幸いなのは両親や周辺の人々の全面的なサポートを受けたという点だ。
僕は自ら考えてみても悲観的な性格がひとかけらもない、100パーセント楽天家だ。
上手くやっても楽しいけど、出来なくても次に上手くすれば良いというのが僕の考え方だ。
ただ遊ぶ事が好きで今でも小学校の時の友達にまで連絡して過ごす’関係指向型人間’だから、以前のように友達と会ったり一緒に遊んだり出来ないのが少し寂しい。
YGに入ってきた後、練習生生活のせいで友達と遊ぶことができないと、一人で退屈なら歌詞を書いてラップを書くことが僕だけの趣味であり僕だけの遊び門下になってしまったわけだ。
同じ年頃の友達がゲームをして遊ぶ時、僕は音楽を聞いて遊んだことが小さな違いだろうか?
少し大変で退屈だったりしたけど僕にとって練習生生活はそれほど大きな悩み事ではなかった。
もちろん肉体的には大変で友達と遊ぶ時間が減ったけど、時々先輩の兄さんや姉さんのステージを見たりステージに立ったりMVを撮りながら’歌手の真似’をしたりすることがひたすら楽しかった時期だった。
学校に行けば宿題をしなければならなくて、会社に行けば決まった時間までプロジェクトを提出しなければならないように、練習生生活の間、僕の主な宿題は一週間に一回ずつ新しい練習映像を録画してヤン代表に提出することだった。
そしてラップと歌詞を書くのが趣味だったせいか、外国歌手の原曲をただ歌うより新しいラップと歌詞をまた書いて歌ったりした。
ある程度時間が過ぎると、ヤン代表は一週間に一曲ずつ作詞作曲をしてくるよう課題を渡された。
もちろん当時ではとても不十分なレベルだったが、6年間着実に休まないで練習した事が今の作詞作曲をするのにとても役立ったと思う。
④失敗することより、失敗を恐れてチャレンジしないほうがもっと愚かだ
そんな楽天的だった僕だったが、メンバー選定が近づくとますます苛立つようになってきた。
"うまくいかないはずがない"と独り言をつぶやいたが、サバイバル方式が与える重圧感は非常に重かった。
楽天的な僕さえこうなのに、経験が少なかったり性格がナイーブな他の仲間はどうだったのだろうか?
他の仲間が無駄な苦しみに陥らないようにするためにも、僕が先に貪欲のように飛びかかって先に悪役を自任しなければならなかった。
実はメンバーらにせき立てた言葉の大部分は僕自身に対する言葉だった。
ヤン·ヒョンソク代表は口癖のように「うまくできると思う」と「本当にうまくやる」という事は厳格に異なっている。”と言う話をされる。
才能を持っている事とその能力を発揮するという事は厳格に違う’という意味だ。
今まで僕が一番上手く出来て一番好きだと信じた歌手になれなかったら僕の未来はどうなるだろうか?
どこでも頭さえつけたらよく寝る僕だったが、悪夢まで見始めた。
ある夕方のことだ。突然、窓の外で荒々しい風雨が吹きつけ始めた。
風がどれくらい強かったのか、開いていた窓の間から大きな雨のしずくが吹き荒れて入ってくるほどだった。
急いで窓を閉じようとした瞬間、僕は暴風雨と死闘しているクモ一匹を発見した。
ヤツはその小さい体で大きな雨のしずくを受け、すぐにでも切れてしまいそうなクモの巣の上で慌ただしく動いた。
普段なら注意深く見ない光景だが、その日のそのクモの姿はなぜか他人事のように見えなかった 窓を閉じなければならない事も忘れたまま、僕はクモをぼんやり眺めていた。 その身振りを見た瞬間、妙な感じがした。
「こいつは知っているんだ。この嵐が過ぎ去ったらまた晴れる日が来ることを」
ヤツがその薄いクモの巣に’生存’という願いをかけて歩いてるように、僕は’歌手’という夢に僕のすべてを賭けた。
その切なる願いがないなら生きてても意味がない。
大きな人気が欲しいのではない、僕の歌をたくさんの人と呼吸して歌いたいんだ!という切なる願い。
その夢を叶えるために意味あるように僕を追い立てて過ごす毎日…
これよりもっと幸せなはずがないという気がした。
才能’というのは誰も目にしなくてもクモがクモの巣を吹き出して自分だけの美しい家を作るように、しつこくても美しい行為を繰り広げるほど’能力’で花を咲かせることができると信じている。
そしてたとえ多少は美しくなかったりとか、ゆがんだ家を作ることになってもどうだっていうんだ。
自分を捧げて夢に向かって走って行くその瞬間だけは生涯最高の瞬間であることを。
⑤ビッグバンは実力派? いや努力派!
デビュー前からビッグバンというグループについて多くの言葉が行き来するのを聞いた。
'ヒップホップ アイドル','実力派アイドル','差別化されたアイドル'…
ある者は’それでもいつものように企画会社によって作られたアイドル’だと言った。
ぴったりな言葉だ。
BIGBANGは’作られた’アイドルだ。 どれ一つただで与えられず、メンバー各自が自身の才能の花を咲かせて、また自身が持った限界を跳び越えながら汗と涙で’作られた’アイドルだ。
ある人は作詞、作曲、プロデュ-スまでする僕を見て’一人ですべて行う’と評した。
だが、その言葉は明らかに間違った言葉だ。
BIGBANGは曲一つ作っても僕たちのイメージ、僕たちのカラーを生かすために5人のメンバー全員で死に物狂いで作った。
自分のパートをレコーディングする時は誰とか関係なく、歌詞と曲に合う感じと声を見つけるために’自ら満足するまで’録音する。
周囲がいくら”もう充分だ”とか”上手だった。”と止めさせようとしても効果がない。
人が何と言おうが、BIGBANGは’実力派’というよりは’努力派’に近い。
チームの中で各自のカラーを出すために努力しながら同時にバランスを作り出す。
僕たちは誰かによって作られたアイドルというよりは、本人たちによって作られ発展する’自家発展型アイドル’だと言える。
TOP兄の声は’優れたラッパー’である他に人間的に人を引き寄せる力がある。 ラップをする時だけでなく話をする時でさえ何か動物的に感じられるその声はチーム全体の重心を取ったりシナジー効果を作り出す。
テヤンの場合は毎回見るたび人を驚かせる。 じっとしている時は純真でとても静かな友達だが、ステージに上がれば僕が見てもカッコよく見えるほど強烈な印象を与え、完璧に近いステージを見せる。 時々’あの友達が僕と共に6年間練習したヨンベなのか? ‘という気がするくらい誇らしい。
テソンはエンドルフィン(幸福を呼ぶ媚薬)製造機だけあって本当に明るくて賢い。 悲しい歌を歌う時は’感情’を込めて悲しい感じをうまく表現して、演歌を歌う時はベテラン演歌歌手に劣らない味わいのある姿を見せてくれる。 テソンはまるで状況によって自身のカラーを変えることができるカメレオンみたいだ。
スンリは少年から青年に成長する境界にいるのだろうか?
普段は親しい弟のような存在だが、ステージに立つと男性らしい魅力があふれた不思議な雰囲気がある。 ソロ曲[Strongbaby]を作曲してプレゼントしたところ、一人で振り付けを構想して着実に自分のステージを変化させるほど、情熱的で努力派だ。
このように、すべてのメンバーは今日と明日が本当に違うと感じられるほど見違えるように段々と成長し、調和してお互いの役を引き立ててくれる。
時々、僕とヨンベは”BIGBANG結成以前に僕たち2人がデュエットでデビューしたらどうだったのだろうか?”と話をしたりする。
簡単に想像さえ出来ない。
互いに違う長所を持った今のBIGBNAGはまるで一つの円を構成するために集まった5つのかけらと同じだからだ。
奇跡とも言える僕たちの出会いにいつも感謝して、有名芸能人になったことよりBIGBANGの一員であることに一層感謝する。
BIGBANGはステージの上で最も光を放つ。
5人全員強いエネルギーを持っているがその5人が一つになれば、もっとすごいシナジーを作り出す。
僕の才能を誇るのに先立ち、謙虚さと節制を学んだ事はグループ活動で得た最大の教えだ。
メンバー全員、BIGBANGという名前の中でお互いが光るように自分自身を適切に調節してくれてありがたく、また感謝でいっぱいだ。
日本でコンサートをした時だった。
公演が終わりにさしかかった時、突然音響に問題が生じて音楽が途中で止まってしまった。
誰も予想できない事故でステージの上では静寂だけが流れ客席も慌てたようにざわめいた。
ところが突然、誰かが即興でビートボックスをし始めた。
また、誰ということもなくそのビートボックスに合わせてラップをして誰かは掛け声を入れて誰かは拍手して、観客らに呼びかけをした。
ただの一度もそんな状況を予想したり練習した事がなく、そんな状況を備えて計画を立てておいたこともなかった。
だが、危機的状況でまだ何秒もたってない僕たちはいち早くアイコンタクトしてその視線の中で深い信頼と信頼のやりとりしてお互いを信じて頼った。
ステージから降りた僕たちは何も言わずお互い抱き合った。
ね しんじゃげ せっかるん black
내 심장의 색깔은 black
僕の心の色はblack
しこもけ たぼりょjust like that
시커멓게 타버려 just like that
真っ黒に焼けてしまってjust like that
とぅまん なみょん ゆりるる けぶすご
틈만 나면 유리를 깨부수고
暇さえあればガラスをぶち壊して
ぴが なん そぬる ぼご なん うぇ いろっか うぇ
피가 난 손을 보고 난 왜 이럴까 왜
血が流れる自分の手を見て僕はどうしてこんな事をするのか?どうして
に みしぬん びんなぬんgold
네 미소는 빛나는 gold
君の笑顔は輝くgold
はじまん まるとぅぬん
하지만 말투는 feel so cold
だけど口ぶりはfeel so cold
かるすろっ なる のむ たるまが
갈수록 날 너무 닮아가
どんどん僕に似てきて
かっくんしぐん karmaが でぃっちょぬん ごっがた
가끔씩은 karma가 뒤쫓는 것 같아
時にはkarmaが追いかけてきてる気がして
さらげ ぼんみょぐん ぶんみょに ちゅんお
사랑의 본명은 분명히 증오
愛の本名は確かに憎たらしい
ふぃまぐん しるまんくゎ ちょるまげ ぶも
희망은 실망과 절망의 부모
希望は失望と絶望の親
おぬせ ね おるぐれ とぅりうぉじん くりんじゃが
어느새 내 얼굴에 드리워진 그림자가
いつのまにか僕の顔に縁取られた影が
のらん びちぇそ せんぎん ごる もらっするっか
너란 빛에서 생긴 걸 몰랐을까
君という光で出来たことを知らなかったのだろうか
のわ ね さいえ しがぬん もんちゅんじ おれ
너와 내 사이에 시간은 멈춘 지 오래
君と僕の間で時間は長く止まって
おんじぇな ことげ うぉにぬん おへ
언제나 고통의 원인은 오해
いつも痛みの原因は誤解
はぎえ など なる もるぬんで
하기야 나도 날 모르는데
そりゃ僕も自分自身が分からないけど
にが なる あらじゅぎる ばらぬん ごっ く ちゃちぇが おへ
네가 날 알아주길 바라는 것 그 자체가 오해
君に僕の事を分かってもらいたい それ自体が誤解
さらんどぅるん た えっそ うっじ ちんしるる すんぎん ちぇ
사람들은 다 애써 웃지 진실을 숨긴 채
人は皆、無理に笑って 真実を隠したまま
くじょ へんぼかん こっちょろん
그저 행복한 것처럼
ただ幸せであるかのように
さらぎらん まるそっ かりょじん こじする すんぎん ちぇ
사랑이란 말 속 가려진 거짓을 숨긴 채
愛という言葉の中 遮られた嘘を隠したまま
まち よんうぉなる ごっちょろん
마치 영원할 것처럼
まるで永遠に続くかのように
ううらん ね せさげ せっかるんblack
우울한 내 세상의 색깔은 black
憂鬱な僕の世界の色はblack
ちょうむくゎ っくつぅん びょね ふっくゎ べっ
처음과 끝은 변해 흑과 백
始まりと終わりは黒と白に変わって
さらみらん かんさへ かっくむ ほっでぃん まんさげ どぅろ
사람이란 간사해 가끔 헛된 망상에 들어
人というものはずる賢い 時々無駄な妄想にふけて
ちょんまる なん うぇ いろっか うぇ
정말 난 왜 이럴까 왜
本当に僕はどうしてこんな事をするのか?どうして
く いっするん せっばるかんred
그 입술은 새빨간 red
その唇は真っ赤なred
こじんまるちょろん せっばるかげ
거짓말처럼 새빨갛게
嘘のように真っ赤
かるすろっ どぅるまげ おのが
갈수록 둘만의 언어가
どんどん2人だけの言葉が
そろ かじん colorが あん まんぬん ごっがた
서로 가진 color가 안 맞는 것 같아
互いに持っているcolorが合わない気がして
さらげ ぼんみょぐん ぶんみょに ちゅんお
사랑의 본명은 분명히 증오
愛の本名は確かに憎たらしい
ふぃまぐん しるまんくゎ ちょるまげ ぶも
희망은 실망과 절망의 부모
希望は失望と絶望の親
おぬせ ね おるぐれ とぅりうぉじん くりんじゃが
어느새 내 얼굴에 드리워진 그림자가
いつのまにか僕の顔に縁取られた影が
のらん びちぇそ せんぎん ごる もらっするっか
너란 빛에서 생긴 걸 몰랐을까
君という光で出来たことを知らなかったのだろうか
のるる まなご なむん ごん っくっ おんぬん ごに
너를 만나고 남은 건 끝 없는 고뇌
君に出会い 残ったのは終わらない苦悩
なるまだ しりょんくゎ しほめ よんそっ こげ
날마다 시련과 시험의 연속 고개
日々 試練と試験の連続の峠
いじぇん いびょるる のれへ にが こへ
이젠 이별을 노래해 네게 고해
今は別れの歌を歌って君に告げるよ
いごん ね まじまっ こへ
이건 내 마지막 고해
これが僕の最後の告白
さらんどぅるん た えっそ うっじ ちんしるる すんぎん ちぇ
사람들은 다 애써 웃지 진실을 숨긴 채
人は皆、無理に笑って 真実を隠したまま
くじょ へんぼかん こっちょろん
그저 행복한 것처럼
ただ幸せであるかのように
さらぎらん まるそっ かりょじん こじする すんぎん ちぇ
사랑이란 말 속 가려진 거짓을 숨긴 채
愛という言葉の中 遮られた嘘を隠したまま
まち よんうぉなる ごっちょろん
마치 영원할 것처럼
まるで永遠に続くかのように
Someday せさげ くて ほろ ぼりょじん ちぇ
Someday 세상의 끝에 홀로 버려진 채
Someday世界の終わりに一人見捨てられたまま
のる くりうぉ はるじど
널 그리워 할지도 yeah
あなたを恋しがるかもyeah
Someday するぷめ くて な きるどぅりょじん ちぇ
Someday 슬픔의 끝에 나 길들여진 채
Someday悲しみの終わりに 私は飼いならされたまま
くんね ふふぃ はるじど もら
끝내 후회 할지도 몰라
最後に後悔するかもしれない
な とらかるけ ねが わっどん く きろBLACK
나 돌아갈게 내가 왔던 그 길로 BLACK
戻るね 僕が来たあの道へBLACK
のわ ねが っとぅごわっどん く よるむんIT’S BEEN TO LONG X 2
너와 내가 뜨거웠던 그 여름은 IT’S BEEN TO LONG X 2
君と僕が熱かったその夏はIT’S BEEN TO LONG X 2
FADE AWAY FADE AWAY FADE AWAY FADE AWAY X 2