この年の9月に第一室戸台風が関西地方を直撃し傾いた校舎の机の下にうずくまっていたことを思いだす。
学校は今の近鉄伏見駅で下車して徒歩1 0分ぐらいである。インクラインが近くにあったが校舎は古く、辺り一帯も風光明媚とは言えなかった。インクラインは今は竹田街道のバイバスとなっている。翌年校舎のいたみが激しく、今の近鉄丹波橋の近くに移転した。
私は「田舎者」と呼ばれていたが、正直、あまりよい感じがしなかった。しかし、それが特に影響を与えたとは考えない。
そのうちに友人ができて、太郎君、琢伍君と仲良しになり、相互の家を行き来するような仲になった。太郎君のお父さんは父の友人で田辺の出身、文筆業に携わっておられた。太郎君は京都大学を出て弁護士として活動している。琢伍君は同じく京都大学を出て大阪証券代行の専務を務め、現在は野村佃煮店の家業をついでいる。
昭和1 1年にはニ・ニ六事件がおこり大きく新聞報道された記事と写真が記憶に残っている。岡田啓介首相は身代わりがいて助かったが重臣の高橋是清等が暗殺された。この事件が今後どの様な展開になるのか子供心には知るすべもなかった。
(つづく)














