卒業時、教師になるつもりはなく、会社就職を考えて居た。
主任教授は暫く高校の教師でもしてはと奨めてくれたが、母の友人の息子が東京海上火災に勤務しており、その紹介で阪急百貨店を選んだ。教授に紹介状を書いて貰って、一次試験はパスした。英語と論文であったが、英語の問題は当時読んでいた英字新聞と全く同じものであった。
二次の面接は、どうもしっくりしない気がした、予想が的中して不採用の通知がきた。面接の社長は、のちに東宝の会長をつとめた清水雅氏で、小林一三の愛弟子であったと聞く。
たまたま、講師をしていた附属中学に英語教師ー名必要との話があり、昭和2 7年4月から正式の教諭となった。 以後十年間、同校に勤務することになる。
結婚については、二、三の話が持ちかけられたが、そう急ぐ事ではないと考えていた。母方の親戚の仲介で、一時は交際し始めたが、先方の母親が私自身を信用しなかったのが原因で話は途切れてしまった。
近所に同級生の佐藤夫妻が仲にたって、北川忠子と結婚したのが昭和二十八年十月である。忠子の兄二人は小学校の時からよく知っており、姉達も顔見知りで、親同士は昔から交遊があった。
挙式は平安神宮で、披露宴は、京都市内岡崎にある、料亭の別荘で行われた。宴会場は義理の従兄弟,羽栗さんの紹介によるものである。
一人息子に見合わせるについては反対する人も多い。家内の姉からも、結婚してから、そんなこともきいた。






















