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演劇人生

今日を生きる!

三浦綾子作「母」

この作品は、「蟹工船」の著者小林多喜二の母を題材に

書かれたものだが、きょう2月20日は、小林多喜二が、

築地警察署で虐殺された命日にあたります。

1903年秋田県下川村(現在の大館市釈迦内)に生まれ、

1933年2月20日、拷問の末虐殺されたのです。

短い人生でしたが、貧しい人々へ常に目をむけ、

権力の弾圧に負けずに闘い続けた文学者であり

運動家でもありました。

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
  

同じ獄中にあった人が多喜二について書いたものもあります。

想像を絶する拷問を受けた様子がわかります。

「便所に行きたい」

という多喜二を抱えてトイレに連れて行ったものの、

しゃがむことも出来ないほど大腿部から膝にかけて

どす黒く腫れ上がっていたといいます。

錐か千枚通しのようなもので滅多刺しにされ、内出血もあり、

倍以上に腫れ上がっていたというのです。

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
    小樽市立文学記念館展示中のデスマスク

その多喜二の亡骸を母のセキは引き取りに出向きました。

「お母さん、多喜二さんは心臓麻痺で亡くなりました」

「さ、足元に気をつけてください」

猫なで声を耳にしながら、

セキさんは口を結んだまま何一つ語りませんでした。


そして車に同乗し、杉並の馬橋へ帰ってきました。

するとセキさんは庭に伏したまま吼えるような声で泣き出し、

庭を涙で濡らし、枯れてしまった声をふりしぼって、

いつまでもなき続けたのだそうです。

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
        劇団公演舞台「母」

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
  多喜二死亡の知らせで集まった同志たち

中野重治、佐多稲子、江口喚、壺井栄、佐々木孝丸、

千田是也、原泉子、鹿地亘 等々の人々

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
   当時を偲ぶ数少ない資料は小樽にある

この9月9日、10日、11日には、

この多喜二が、「母」という舞台でよみがえります。

世を去って78年、よみがえる多喜二は、

今という時代に何を見、何を感じ、何を思うだろうか・・・

昨日「和服」が送られてきた。

「・・・・?」

どなたからなのか。

「あゝ、Kさんだ!」


昨年12月に劇団が初めておこなった「劇団まつり」の第1部で

ぼくが持っている講座受講生の一人が「60歳のラブレター」

を朗読したのが契機となり、当該書最初の出版で、

金賞を受賞したKさんに鑑賞していただくことになったのである。


その時からお付き合いが始まったのだが、

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
三浦綾子さんの「この重きバトンを」に出演した
我輩は、

最後まで衣裳が見つからず、ツンツルテンの和服を着ることになった。


「伊藤さん、みっともないよ。大きな呉服屋の旦那なんだから」

といわれたものの、

「倹約家の旦那なんだよ」などと苦しい言い訳をして出演した。


それが、実は見苦しかったのかもしれない・・・

などと思って、今更ながら赤面するところだ。

運良くその時の写真がないので二度目の恥をかかずに済むが・・・


が、衣裳のみならず、

倹約のつもりでも、貧しいからにしても、

観客に対して、

舞台に集中できないような欠陥をさらしてはいけない。


今年9月に「母」を上演する。

10数回の公演を継続してくると、

失敗談も一つや二つではない。


まだ死んでもいないのに死体を舞台に出してしまったり、

逃げ込む人間の前に追いかける人間が先に出てきたり

数え上げれば枚挙がない。


数年経てば笑い話になるかもしれないが、

お客様の記憶には、「何故?」「可笑しいなァ・・・」という

イメージが残り続けるのだ。


金がなかったからとか、役者が忘れたのでというような

「言い訳は一切利かない」のである。


「母」の勉強会を始める。


しかし登場する主要な役の配役がまだ決まっていない。


どなたか、

一緒にお芝居を創りたいという方はいないだろうか。

名乗り出ていただけると嬉しい。


ふるさと「天童会」を立ち上げました。


「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
天童市は、

一見人面横顔に見える山形県の盆地にあります。

面白山を抜けると宮城県に入ります。

名物は何といっても「将棋の駒」そして「温泉」

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
  公園の桜満開の中、人間将棋が行われる

フルーツ天国だけあって、

さくらんぼ、ラ・フランス、葡萄、りんご等々・・・が。

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
昔は桜桃と言っていた。

「劇団生活」そこに生きる道を見つけて久しい。
        鎌倉時代に作られた懸仏

 音譜花の山形 紅葉の天童~と歌われるその中に、

 音譜めでためでた~の 若松様の~

の「若松様」も天童にある。

「若松寺」じゃくしょうじと呼ぶが、708年行基菩薩によって開山された。


また、昔、田んぼの中に湯が沸いて始まった天童温泉!


周辺には名所も多い。

慈覚大師開山の山寺や最上川などもある。

山寺といえば、

静けさや 山にしみいる 蝉の声(芭蕉)

最上川は、

エンヤコラ マカショ~で始まる「最上川舟歌」は

世界3大舟歌にもなっている。

五月雨を あつめてはやし 最上川(芭蕉)


等々・・・名所古跡が沢山ある。

昨日、九段のホテルに打ち合わせに行ってきた。

3月6日に、ふるさとを離れて暮らす天童出身の面々が集まる。


第18回目になる「関東天童会」の集まりである。


250名くらいになる予定だが、

天童からも市長や温泉の女将たちも来る。

ことしはジャズバンドが入る。


一昨年から司会をしているが、

ま、回を重ねると、プログラムもマンネリで目新しさがない。

集まる年齢が高いせいもあるようだ。

60代が中心かなァ・・・

アメーバのぐるっぽに天童会を立ち上げてみよう。

何人集まるかわからないが・・・若い人たちの参加がほしい。


昨日、ぼくのカルチャー「朗読・話し方講座」の受講者の一人が

山寺から蔵王温泉、最上川舟くだり(こたつ舟)で鶴岡をまわり

帰ってきたらしい。

大感激して話をしてくれた。

雪がとても素晴らしかったという。

「でも、現地、雪国のみなさん大変ですよね」

と付け加えてくれた。


このひと言で、ふるさとの人たちも慰められるに違いない。

ぼくも、涙をこみ上げそうになった。


いま、ふるさとは雪に埋もれたままなのだ。

悩みや苦しみは分かち合えるか。

自らが抱える様々な悩みを考えると、

分かち合ってもらえないものの方が多いし重い。


「わたしは悩んでいます」「苦しんでいます」

という相談を受けることがある。

親身になってお付き合いしようと思う。

しかし大抵は、途中でその方向や視点を見直してみる。

自分の悩みや苦しみと比較すると

安易にも思えるし、軽くも思える。


そこで得た結論は、

人の悩みや苦しみは、

己が身に振りかっかったものでないだけに、

重くもないし安直なものだと思えるもの・・・ということだ。


だから、ぼくは人に悩みは打ち明けない。

明日自殺するにしても、

誰にも気取られることはないだろう。


これと同じように、

誰にでも、人に打ち明けずに、

その重さにペチャンコになりそうな思いで

生きている人がいる・・・

このことを思えば、「自分だけ」という思いからは

解放されるような気がする。


ほんものの苦しみや悩みは、

本来は独りで抱えなければならないものなのだ。

そう思ってしまえば、

心に詰め込まれた錘から解放される。


・・・・この結論を得た。