演劇人生 -84ページ目

演劇人生

今日を生きる!

被災地に住む「妹」から連絡が来た。


被災後、周囲の片付けなどで外出も少なくなっているようだ。


「店の80%は閉店したまま開く気配もない。

久々に家を出ても生活に充てられそうなものは何も揃わない。

何処かへ買出しに行こうにもガソリンがなくて車は動かない。


ナイナイ尽くしの中、やっと開いたスーパーへ行くが大行列。

店に入る前から渡されたカゴを手にやっと店中へ・・・


あゝ、これが非常事態なのだ」


とじみじみ味わったという。


「潮位が問題だった満月も去り、

こんどは大きな余震が取りざたされている半減の月・・・


でも、わたしは頑張っていま~すキラキラ音譜キラキラ

地震による被害

津波による被害

原発による被害


キラキラキラキラ不謹慎な会話キラキラキラキラ

「事故、事件は思いもよらないところにやってくる」

「しかし、よくよくみると、すべては予見し得たものでしょう?」

「まさか」

「表立ったものではなかったかもしれませんが、

人々は囁き、心ひそかに思い続けてきたものだったんです」

「そんな、文学的な話なの?」

「災害をテーマにしたり警告を含んだ映画も沢山ありますよ」

「知ってるよ」

「ボルケーノ、大地震、地震列島、TUNAMI、日本沈没・・・」

「ノストラダムスの大予言か?」

「そうです」

「想像だよ。フィクションだよ。空想の誇大妄想だ」

「今回の災害を越える作品ばかりです」

「わかった。その主張を全部受け容れよう」

「原発建設に反対する人の理由は何でしたか?」

「危険性さ」

「だったら、これだって思いもよらない事故とはいえないでしょう?」

「ま、言われてみれば、確かにそうだ」

「被災者には保障を考えると東電の副社長がいってましたね」

「そんな出来るわけないでしょう?方便だよ。前総理大臣だって使った手さ」

「冗談じゃない」

「冗談じゃない、上段からしか見てないからね。そんな気がしただけさ。

だって保障するなんてできっこないのはわかりきっているじゃないか」

「えっ、公然と言ったんですよ。被災者とテレビカメラの前で」

「だから方便だっていったろう?そのうち余計なことを言ったといって、

退職させられるかもしれないよ。だって、放射能が水を汚染したし、

野菜も牛乳も・・・土壌まで汚染したんだから大変だよ。

それ保障するだけで倒産さ。それでも保障させようってのか?!」

「当然ですよ」

「何を言ってるんだ。できもしないことを要求したって、

ないものはないし、君の言ったすべては想定内だ、確かに」

「そうですよ」

「でもね、想定外ってのだってあるんだよ」

「何がですか」

「人という動物が生きているってことさ」

「・・・・!?

アメブロの友人のお嬢さんの写真と文章を転載します。


劇団アドック創立10年を迎えました!

5歳の娘に募金箱にお金を入れた理由を聞かれたので、

『この前の地震でお家がたくさん壊れてしまったんだよ』

という話をしました


5歳児にどこまで理解できてるかわからないけど、

『・・・心配・・・』と、


大変なことが起きているんだということは感じたようです。

『みんなが元気になりますように』

というお祈りのメッセージを代理で届けます。


この祈りが通じるように、私も一緒に祈ります。

なんという災難だろう・・・


そして、瓦礫の山は画面にでてきても、

その中に埋もれ亡くなっている人々の姿は見えない。

いや、見せないというべきなのか・・・


生存者を映しても死者は映さない。

確かに、今はそれがいいのだろうと私も思う。


地震は天災だろう。

しかし津波の大部分は人災に思えてくる。

その部分を、「想定外」という言葉の蔭に覆い隠してはいけない。

そして、その後に起きる災害のすべても人災なのだ。

数十万という人々が受けた大きな災禍。

この傷を癒し、人が人としての生活を取り戻すための道のりの長さを

自分はともに生きられるか・・・、いま問いかけている。


CMで再三再四流れている「心がけ」「思いやり」「手当て」のような、

目に見えるものなのだろうか・・・

私たちは目に見えるものに頼りがちだが、

いつの世でも、いつの時でも求められているのは、

その根っこにあって、そのすべてを支えるもの・・・

「心」であり、「思い」であり「手」そのものではないかと思える。

それを単に持っているだけではなく、

持っていることの意味をしっかり噛み締めること。

その心がどのようなものであるのか。

思いが、手がどのようなものか・・・


私たちに出来ることはたくさんある。

どこにでもある。

心と思いと手を持っているのだから。