演劇人生 -83ページ目

演劇人生

今日を生きる!

演技に術ってあるのだろうか。

こんな話になった。

数10年会っていなかった友人だが、10年以上前に、役者をやめていた。

「今は、人気のラーメン屋・・・じゃない中華風麺どころってところかな」

どういう意味かを聞くと、ラーメン屋というと抵抗があるのだそうだ。

「おれは役者していてお客さんとの接点が、インチキ臭くて仕方なかった」

という。


このような話は、かつての彼には考えられない。

演劇論だの演技論という話題からはいつも逃げていた男だからだ。


「舞台から押し付けているというのなか、お客さんが求めているものが、

ソバなのに蕎麦粉入りうどんを食わせて、これはこれで美味いだろう?」

・・・するとお客さんは、「なるほど、それもアリ」と誤魔化しに合いながら、

「誰々さんがよかった」「装置が凄かった」「劇場がよかった」ことを含めて

拍手を送って帰路に着くのだという。


肯けなくもないが、彼の「麺の世界は違う」という話を延々と聞かされた。

途中から私がまともに聞いていないのを感じ取ったのだろう、

「お前は今も夢を追い続けていて偉いなァ」と、手前話を切り替えてきた。

「夢かァ・・・、昔はそうだったが、今は現実を追い続けているんだよ」

「へぇ、じゃぁ、おれと変わらねえじゃないか」

「う~ん、まぁな」

こんな会話の後、

「最近、いい役者いるか?」

と聞く。

「いるよ」

「誰?」

「うちの劇団の芝居を観てくれ」

「へェ、まさか、お前、自分って言いたいのか?」

「いや違うよ。上手いかどうかといえば、そこは“うん”とは言えないかも」

しかし、入団1年で難しい主役をはれるまでに成長した男が2人はいる。

劇団アドック創立10年を迎えました!  劇団アドック創立10年を迎えました!
演技は、技術ではない。

謂わば、「術」であり体系だった方法であり、

豊かな感性と学びによって成り立つものなのだ。

話術は、日々の生活の中に生きてあり、学術は学びの中に生きてある。

それをまとめて技術とは言わない。


「ま、おれの仕事は、そういう難しいことじゃないんだ。初めて食べる人も、

常連のお客さんも、そこに座って箸を使ってスルスルッってすすった瞬間から

最後のスープを飲み終わった時までが序曲なんだ。飲み終わったその瞬間、

次もやっぱりここの来ようと決断させることなんだよ。ここにドラマがあるんだ」

「ほぅ、深いねぇ」

正直な気持ちだ。これには一種、感動を覚えた。

「ここまで行けば、“ありがとうございます”も“またどうぞ”もいらないのだという。

「にっこり笑顔でお互いに肯き合えるんだよ。いい芝居を観終わったときに、

劇場入り口に歩きながら心の中で唸ることがあるだろう“う~ん”ってさ」

「あるなァ」

「おれには、お前が出ていた“星の牧場”がそれだな。宇野(重吉)さんが、

ほら、ちょっと頭の弱い何とかいう役を演じていた・・・」

「へぇ・・・そうか」

「こんどお前の芝居観るよ」

「来てくれ」

「唸らせてくれよ。唸りたいんだよ、おれ。おれの麺を食べに来てくれ」

「よし。唸りに行くか」

「お~ぅ」

劇団アドック創立10年を迎えました!
       この「星の牧場」という作品だけは、

    ソバを食べに来た客にソバを食べさせたという


「う~ん、お前を唸らせる芝居なぁ・・・」

「深~い芝居だよ」

そこで、2人とも大笑いになって話が終わった。


別れた後、昔は何を考えて芝居をしているかわからない男だったが、

奴はラーメン屋・・・じゃない、麺屋になってはじめて役者魂に触れた・・・

そんな思いがした。・・・それとも以前から、そういう男だったのかもしれない。

演劇と演技を再考させられる話だった。

11日、地震の後、部屋に入ろうとしても入り口のドアが開きません。

ドアの向こうには崩れ落ちた傘や靴、果ては鍋やボール、コート等々・・・

ぎっしり詰まってストッパーになっていたのです。

通りがかった同じフロアの住人(だろうと思う)の助けを借りて、

「せいの・・・ヨッコラショット!」押し込んでもらい、やっと入室しました。

まぁ、部屋の中はメチャクチャで、高価(?)な天目茶碗ひとつと、

銘なし茶碗ひとつ、ロイヤルドルトンだか何だのお皿一枚割れていました。

本棚だけは大丈夫でしたが、そろそろ古書として売ろうと思っていたものも。

ちょっとした宝物に思っている本が何冊かあります。

劇団アドック創立10年を迎えました!

       ローレンスオリビエ

オリビエの大型の写真集

劇団アドック創立10年を迎えました!
 前進座創始者中村翫右衛門氏の著書

  著者サイン入り「演技自伝」

劇団アドック創立10年を迎えました!

劇団アドック創立10年を迎えました!
劇団アドック創立10年を迎えました!
 訳者久保栄氏のサイン入り「ファウスト」

「日本の気象」「火山灰地」の著者の翻訳物・・・

関心のない人にはゴミ以外の何ものでもありませんが、

私には貴重な、手放したらちょっと戻らないだろう宝物かもしれません。

で、目録でも作ろうかと思ったときにフッと思い出したことがあります。

何冊か貸したまま返却されない本がありました。

その人がこのブログを見たら、「アッ、アレのことを言われてる」と思うでしょう。

忘れないわたしもこだわり過ぎと思いますが、まだ手元にあったら・・・

とは言え、時効だしなァ・・・ま、いッかァ~!

原発被害について耳につくのは、「安全」ということばです。

今日的状況から、「危険だ」ということばはタブー化しつつあります。


周辺住民や、ひいては日本国民に不安と恐怖感を植えつけるものとして・・・

自然界で一年間に浴びる放射線量と比較しても摂取基準以下で安全であり、

ほうれん草も洗わず、ナマで一年間食べ続けることなどない話ですから、

「安心」「安全」だと、テレビもラジオも「安全」「安心」を繰り返しています。


現地で被爆した作業員も危機管理不足がもとで、当然のことをしていれば、

これも「安全」なことだったということでしょうか。


そういえば、一昨日、

「原発のおかげで新幹線も走ったし、贅沢もできたのだから、

こんな事故があったからと、ぎゃ~ぎゃ~言うのも可笑しいわよねぇ」

交差点で信号待ちをしていたご夫人が友人らしい連れに語っていました。

加えて、

「周辺の住民も、いろいろ利益を受けてきたんだから、文句も言いにくいわよ」

信号が変わってしまったので、その後どのような話になったか知りません。


その後、2時間のカルチャーを終わらせた空教室で一人考えてしまいました。


戦後の日本はアメリカの核の傘の下に入れて貰っていたおかげで、

安全も保てたし、経済の発展もできた。沖縄の基地も、日本国の防衛には

必要不可欠。危機の抑止のためには国外移転は考えられない。

現実的にも方便としてでも、政府見解はこのようなものでしょうか・・・


人は普通に歩いていても危険をかわせないこともあります。

自転車に乗ったり車に乗ったりすれば、事故を起こすのが当りまえで、

決して「安全」ではないのだと思います。

さもなければ自賠責保険とか、何とか(私は免許を持たないので詳細は

わかりませんが)いう保険も必要ないのかもしれません。

そういえば、「もしもの時に備えて」生命保険もあれば損害保険もあります。

人は、ただ生きているだけでも「危険」と隣り合わせなのかもしれません。


いったいおれは何を考えているんだ、冒険も何もするなということか?

そんなことをくり返し思いながら、ひとつの結論に至りました。


今回の事故、事件を機に、「安全」、「危険」ということを、

もう少し慎重に考えてみたいということです。

朝から出歩いて、

四谷から権田原へ・・・

途中、立ち寄り先でベルを押すが・・・・応答なし。

「あゝ、きょうは土曜日だァ」

やむなく自転車のスタンドを上げて・・・

「おおッ!」

可憐な白い花がうわ~ッと咲いている。

これは素敵なひろい物だ!


被災した人たちにとっては花どころではないだろうなァ・・・

なにか申し訳ない思いがした。

その被災地で、懸命に生きている妹に、

このひろい物を送ります。

元気でいてください。


劇団アドック創立10年を迎えました!
     こぶしの花でしょうか

どのような役にも少なくても1箇所は

聞かせどころといわれるようなセリフがあります。

三浦綾子原作「母」の末娘ユキにも、

印象的で、その人物を表す上で大切で、

あるいは、この「母」という作品のテーマを決定づけるような、

ひと言があります。

いま、この役を演じる女優さんを探しています。



いまの若い人には想像もつかない・・・

というと、これだけで批判されそうですが、

いまでは、コンビニに行けばいつでも並んでいる「ボタモチ」



戦前、

米を作っている農民のことば・・・

「死ぬまでに一度でも白いご飯食べたい!」

米麹で作り砂糖の入っていない甘酒に・・・

「(飲んで)甘さで体が溶ろけそう!」

このような時代でした。



長兄の多喜二が北海道拓殖銀行に就職が決まりました。

母は、ボタモチを作りました。


みんな「いただきま~す!」

  全員が、しみじみと小皿の上のボタモチを見つめる。

  次女ツギは涙ぐむ。

ツギ「年に一度でもボタモチを食べられれば、

   普段なんて、何を食べていてもいいね」

三吾「ボタモチって、人を幸せにするね」

ユキ「(突然立ち上がり)だったら、だったら・・・

   日本中の人に食べさせてあげたいね!」

みんな「・・・・・!!」

  いっせいにボタモチを食べ始める。


このひと言に、

ユキという少女の温かな、

優しさに満ち溢れた感性があふれています。


今の日本にも欲しい気持ちのようにも思います。

人生における演技は、ごく自然で説得力に満ちている。 ところが、何故か台本を前にする演技は虚構に満ちてくる。(演技道場主)

晴れ小林多喜二(後) 前列左から長女チマ、ユキ、次女ツギ、三吾晴れ