演劇人生 -27ページ目

演劇人生

今日を生きる!

「お前は何も知らないな」


この劇団は日本の三大劇団の一つだそうだ。

「演劇をやってるんだろう?」

そんなことも知らないのかと言わんばかりの顔だった。

民藝、俳優座、文学座を、

当時は三大劇団といっていた(ようである)。

民藝の芝居は一度も観たことがなかった。

シェークスピアが好きなので、

芥川比呂志の「ハムレット」や千田是也の「ウィンザーの陽気な女房たち」などは見たことがあるが、民藝だけは名前を知っている程度だった。

友人たちは異口同音に、

「お前向きの劇団じゃないよ」と言った。

「どっちかと言えば文学座だろう」

とか、

「民藝じゃお前には続かないよ」

とかいろいろ言われたものだ。


ここで、一つの生き方を考えた。

好きな劇団に入れれば、それもいいだろうが、

「入った劇団を好きになればいいじゃないか」


どんな役者や演出がいるのか調べると、

宇野重吉さん、滝沢修さん、北林谷栄さんなど。

「あ、この人たちなら知ってるよ」

程度の知識しか持ち合わせていなかった。

「この劇団はフリーで入るのが難しい」

コネらしいものがなきゃ」

駄目だろうと友人が言う。


「じゃ、コネになってくださいと頼みに行くよ」

生き方を考えた一つがこれだった。

山はこっちに来なくても、こっちが行けばいい。

これだ。


民主団体の知人に頼んで、宇野さんにアポイントをとってもらった。

目黒区にある宇野さんの家を訪ねた。

「民藝というところはコネがないと入れないと聞いた」

だからコネになって欲しいと、サントリーのだるまを渡した。

「そりゃいいけど、君はコネが無きゃ入れないのか?」

例のボソッとした口調で聞かれた。

生き方の課題が突きつけられた。


「実力で入ります」

ウイスキーを返してもらって家を出た。


玄関までついて行ってくれた友人は、

「大丈夫?」

と心配してくれた。


「おれは自分の生き方を示したんだ」


続く。

大学を出てどうしようと思った。


前年は安保反対で集会やデモに明け暮れた。

そんな中にありながら、

卒業公演で主役などを受けることにした。

J・Pサルトルの「悪魔と神」である。

しかし何とか仕上がるものである。

いま考えれば無謀としか言いようのないのだが、

人が集まり、目標を立て、懸命になれば、

山も動くのだと実感した。

いや、山は動かなくても、

こちらから近づいて行けば、

山は近づくのだということを知ったのだった。


しかし当時は、

このような経験をつみながら、

そこまでの考えには至らなかった。

「お前は、何を考えて生きている?」

と、友人に聞かれたことがある。

当時を振り返ると、

何故生きるかを考えることなく、

その日その日を送っていたのかもしれない。


さて、単位を一つ落としたが一ヶ月遅れで大学を卒業することになった。

学生課に行くと、既に就職案内は一枚も貼られたない。

「何を今頃になって」と、学生課長に叱責された。

「君の好きな芝居でもやったら?」

この言葉に、「それもそうだ」と思いながら、

あてもなく学内を歩いていた。

と、ベンチに捨てられた一冊の雑誌が目に入った。

演劇雑誌のテアトロだった。

手に取りパラパラページをめくると、

劇団民藝の俳優教室生徒募集の広告が目に入った。

犬も歩けば棒に当る。

「お前は何を考えて・・・」という友人の言葉が脳裏を走った。

「ここから考えればいいことだ」

就職先がなくなったのは過去になった。

過去と他人は変えられないが、

あしたと自分は変えられる。


続く。

「劇団アドック祭」

打ち上げました。



舞台稽古(中抜きでした)の写真です。

「芝居づくりはこんなものじゃない」

とつくづく感じたイベントになりました。

稽古不足以上に人材不足がありますねェ・・・


真剣に俳優、女優になりたいと思っている人たちと芝居をしたい。

これが本音かなァ。

8月30日(土曜日)17時開演


麻布区民センターホール


ドキドキ第一部


「うさぎの話」


 港区ふれあいセンター「表現講座」受講生


「みんないい(金子みすず)」


  ふれあいセンター受講生とアドック俳優


ドキドキ第二部


  岡田清光&かおりんによるコンサート


ドキドキ第三部


 三浦綾子作「貝殻」


¥1,000


真面目に楽しいお祭りです。


みなさん、いらしてください!!