いま、このような過去を振りかえるのは意味がある。
何か新たしい作品に取りかかる前に、今の自分を確かめる上でどうしても必要だと思うからだ。
「なぜ演劇を?」
と自分に問いかける。
大作にとりかかる前には特に、それは必要だ。
その逆もある。
以前、
無実の男が死刑の判決が下り、
刑に処せられる「壁」という作品を手がけた。
三浦綾子さんの短編「壁の声」を脚色したものだ。
裁判制度が実施されて一年目だった。
人が人を裁くとはどういうことか。
自分を裁いたら何の罪でどのような罰を受けるだろう。
命とは、生きるとは、生きたいとは、この世とは・・・
さまざまな設定の中に自分や現実を照らして考えているうちにであった。
「なぜ演劇を?」
これに回答を与えるのは大変だ。
劇団には若い役者もいる。
彼は、彼女は何を考え、
何を目指して演劇をしているのだろうか。
その彼らとどう向き合えばいいのだろうか。
みんなの人生にどう関わればいいのか。
一気に回答が出るわけはない。
自分の思いや考えの中に取り入れて、
「これでいいだろう」などと埋没させられるものではものではない。
来年の11月に公演日が決まっている。
三浦綾子さんの「細川ガラシャ夫人」の脚色を始めた。
二部作になりそうだ。
出演者は30人を超えそうだ。
可能かどうかじゃない。
演劇とは可能だからやるものではない。
可能にしない限り・・・
東京電機大学付属校高等学校の二年のときから始めた私の演劇人生は未だに継続している。
ここから早稲田に行って演劇だけは継続した。
JPサルトル作「悪魔と神」
そして民藝に・・・
ー 続く。

