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演劇人生

今日を生きる!

ブラッド・ダイアモンド

ブラッド・ダイアモンドⅠ

今回のゴールデンウイークは、

映画に恵まれていました。


・ クイーン

・ ドレスデン、運命の日

・ブラッド・ダイアモンド


この数日の間に


立て続けに3本の映画を見たのですが、


「ブラッド・ダイアモンド」

特に、この作品は感動しました。


ブラッド・ダイアモンドⅡ


2時間ほど前に、知人から電話が来た。


この連休を利用して、昨日に、

顔のたるみをとる手術をしたそうである。


来週会う約束をしていたのだが、

再来週以降にしてくれと連絡が来たのだ。


そんな今、はからずも、テレビの番組で、

顔のしわをのばした手術での成功例の、

話をしている・・・全くの偶然だ。


彼女の手術も上手く行っていることを祈ろう。


ダウン


僕と同年齢だから、

顔にしわが出来るのも、

メラニン色素が顔に定着するのも、

表情に若々しさがなくなるのも、

いわゆる老醜が現れれてくるのは当たり前なのだ。


それが耐えられない・・・か?ガーン


・・・だから手術で取り払えるのか?

鏡を見てみる・・・


「・・・!」叫び


なるほど!


鏡の向こうの、


自分の顔を覗き込みながら、


心のうちで、


聞いてみた・・・ショック!


「この顔以上に、

おれの心がたるんでいないか・・・・・?」って。


「弛みきっていないか?」


やはり、弛んでいるらしい。



答えが返って来なかった。

私たちが戦争から学ぶものがあるとすれば、

それは一体何だろうかと思う。


戦争は、人間から、人間であることを奪い、

人として生きることをも拒むものではないだろうか・・・


購入したパンフレットには・・・


「我が身に起こらなければ、


分からないのが人間だという、


動物の本質だけは、


はっきり記憶しておきたい」

・・・とある。

フェリシタス・ヴォール(アンナ)

ドレスデンの悲劇は

決して過去の、


よそごとではない。


周囲には、

戦争を知らない世代が多い。


いま、改憲の必要があるのだろうか・・・


この映画を見ながら


それを思う。


ベンヤミン・サドラー&ヴォール

日本には、

誇れるものがいくつかあるが、

その最たるものが、

“憲法”ではないのだろうか・・・

この人ほど、

世界中の、

多くの人々に愛された女性を

僕は知りません。


その死は、世界中に衝撃を与えました。


労働党から首相になったブレアが、

“人民の王女”と称したダイアナが事故死した・・・


映画は、


パパラッチに付けねらわれるダイアナの車が疾走し、

事故のトンネルにさしかかるフラッシュバックから始まります。

事故直後、


様々な憶測が流れました。


海外のそれとイギリス国内のそれとは、

相当の差異があったように記憶していますが、

王室の対応には関心がありました。


映画は、


まさに、その核心に迫っていきます。


王室のエリザベス女王と、

なりたての首相、ブレアを追い続けます。

そこに挿入される、


クイーン1

ダイアナの実写画面や、

国民が、亡くなったダイアナに手向ける姿が、

涙を誘います。


カメラは、エリザベス女王の一挙手一投足を、

執拗に追い回します。


ダイアナとの不仲説や、

王室としての対応への好奇心をそそるのです。


民間人となったダイアナの死は、


王室とは無関係とする考えは、


なかなか崩れるものではありません。


クイーン2

しかし死んだダイアナの人気は、

それを凌ぐものがありました。


国民感情は、数百年の歴史をも変える・・・

窮地に追いやられたエリザベス女王は、

「今」に相応しい決断を迫られます。


クイーン3

王室と民衆の橋渡し的な役割を、

首相になったばかりのトニー・ブレアが、

とりなすシーンは、


涙モノです。


質に違いはあっても、

グッドナイト&グッドラックで感じた、


人として「生きる」

骨太さを、

全体を通して感じさせてくれる

傑作でした。


俳優と監督も、実写を織り交ぜた、そのカメラワークも素晴らしい。

エリザベス女王役の、ヘレン・ミレンもさることながら、

ブレアを演じたマイケル・シーンが最高でした。


これは、収穫でした!

演出をしていると、

「先生(僕のこと)は、仏の○○ですね」

・・・と、しばしば言われる。


あえて返答しないが、

言ってくる人がクリスチャンなのに、

“ほとけ”…って、どういうこと?


などとくだらない疑問が浮かぶ。


最近の僕は、演出をしていても怒らない。


「母」再演稽古場

最近になって、ようやく分ったのだが、

怒鳴るのは簡単だが、「そうしたい」という目的を果たすためには、

必要なことを理解してもらう方がいいと思うようになったからだ。


そのためには、伝えようとする事柄と、


それを受け止めようとする役者さんを、


丁寧に扱わない限りは、


両方から拒否されかねない・・・


そう思うようになったからだ。


実は以前、


「お前、死ね!」ドクロ


と言ったことがある。

そう言われたからといって、彼は死ぬわけがないと思ったからで、

死ぬと思えば、間違ってもそんなことは言えない…いや、言わない。


昨夜、劇団の稽古があり、先輩役者が新人に向かって、

「○○さんは、適当に上手い役者って嫌いでね、

下手でいいんだよ。下手なのが当たり前だっていうんだ」


おいおい、意味を分かって言っているのか?

そんなことを思いながら、出来る限り黙って聞くことにしている。


「死ね!」と言った役者さんも、下手だった。


“間”も悪い、勝手な芝居をする。


相手を必要としない芝居をしているのだ。


それから彼は変った。

自分を殺して(?)役に取り組むようになったのである。


初演と、再演で演じた役のビデオを見、

(それがいいかどうかは別問題だが・・・)

当時のダメ出しノートを見直して、

全部、初演の役者の真似から始めたのだった。


「馬鹿な、誰を真似ようと、お前はお前でしかないんだよ」

・・・と、言ったものの、

徐々に変化を起し始めるのを感じ取れた。

先輩役者から、「よくなった」「やっぱりいいところは真似ていい」

などと、余計な感想が出されるが、

「それを判断するのは、オレだ」

と言って、封じ込まなければならない。


が・・・、不足はあっても、

多少の間はずしはあっても、

大きな役を(曲がりなりにも)やりこなしたのでした。


昨日の稽古で、

「下手でいい」の話が出たが、


「お前、死ね」


と言い、言われた関係は、

僕と彼の関係にしておいた・・・


彼は今、演劇を離れて、定職を持っている。

家に帰ると、その彼から、はからずも手紙が来ていた。


稽古場で、たまたま彼に思いを馳せたその日に、

「元気でやっています」の便りだった。


彼は死なずに、元気で頑張っている。ニコニコ