演出をしていると、
「先生(僕のこと)は、仏の○○ですね」
・・・と、しばしば言われる。
あえて返答しないが、
言ってくる人がクリスチャンなのに、
“ほとけ”…って、どういうこと?
などとくだらない疑問が浮かぶ。
最近の僕は、演出をしていても怒らない。
最近になって、ようやく分ったのだが、
怒鳴るのは簡単だが、「そうしたい」という目的を果たすためには、
必要なことを理解してもらう方がいいと思うようになったからだ。
そのためには、伝えようとする事柄と、
それを受け止めようとする役者さんを、
丁寧に扱わない限りは、
両方から拒否されかねない・・・
そう思うようになったからだ。
実は以前、
「お前、死ね!」
と言ったことがある。
そう言われたからといって、彼は死ぬわけがないと思ったからで、
死ぬと思えば、間違ってもそんなことは言えない…いや、言わない。
昨夜、劇団の稽古があり、先輩役者が新人に向かって、
「○○さんは、適当に上手い役者って嫌いでね、
下手でいいんだよ。下手なのが当たり前だっていうんだ」
おいおい、意味を分かって言っているのか?
そんなことを思いながら、出来る限り黙って聞くことにしている。
「死ね!」と言った役者さんも、下手だった。
“間”も悪い、勝手な芝居をする。
相手を必要としない芝居をしているのだ。
それから彼は変った。
自分を殺して(?)役に取り組むようになったのである。
初演と、再演で演じた役のビデオを見、
(それがいいかどうかは別問題だが・・・)
当時のダメ出しノートを見直して、
全部、初演の役者の真似から始めたのだった。
「馬鹿な、誰を真似ようと、お前はお前でしかないんだよ」
・・・と、言ったものの、
徐々に変化を起し始めるのを感じ取れた。
先輩役者から、「よくなった」「やっぱりいいところは真似ていい」
などと、余計な感想が出されるが、
「それを判断するのは、オレだ」
と言って、封じ込まなければならない。
が・・・、不足はあっても、
多少の間はずしはあっても、
大きな役を(曲がりなりにも)やりこなしたのでした。
昨日の稽古で、
「下手でいい」の話が出たが、
「お前、死ね」
と言い、言われた関係は、
僕と彼の関係にしておいた・・・
彼は今、演劇を離れて、定職を持っている。
家に帰ると、その彼から、はからずも手紙が来ていた。
稽古場で、たまたま彼に思いを馳せたその日に、
「元気でやっています」の便りだった。
彼は死なずに、元気で頑張っている。